採石師ラウル・6
最高神官の結界があれば、霊山で雨に濡れることはない。
しかし、サリサは見事にぬれねずみになって戻って来て、仕え人は長い髪を乾かす作業に追われた。
持っていった羊毛のマントは、そのままサリサの手にあった。エリザとは会えなかったに違いない。
既にあの時、エリザが母屋を発ってから小一時間が過ぎていた。足の早い者ならば、一の村に着くか着かないか……という時間である。着かないとしても、どこかで雨を避けて道を外れていたならば、見つけることは難しい。
「お会いになれなくて、良かったのです」
仕え人は言った。
彼女は火鉢の火力を足し、扇ではたはたとあおいだ。夕の祈りまでに髪を乾かさねばならない。
「エリザ様に今後必要なのは、最高神官との繋がりではなく、家族や隣人との繋がり、そして新しい出会いです。あの方に、霊山で学ぶことはもうありません。今後は、ムテの日々の生活の中で学び、成長してゆくべきなのです」
濡れた体に火鉢ごときは温かくない。サリサはぶるりと震えた。
「薬湯をお持ちします」
仕え人は敬意を示し、一度部屋を退出した。
――新しい出会い。
届けようとしたマントが虚しい。
手元を離れていったならば、いつかはそういうことがある。わかっていたはずのことだが、目の前でつきつけられてしまうと……。
サリサは両手で頭を抱えていた。
雨は通り雨。
山からゆっくりと降りていったらしく、サリサが外に出た時は小降りになっていた。道の途中は濡れていないところもあり、何とも局所的な雨だとあきれたものだった。
しかし、強い風がすぐに雨雲を運ぶだろう。サリサは駆け足でエリザのあとを追いかけた。
その甲斐もあって、思ったよりも早く、エリザを見つけたのだが。同時に男の姿も見つけた。
確か、何年か前に採石師の資格を与えた男。春先毎に、その年の採石許可を得るために、最高神官のもとを訪れている。
エリザは、男物のマントをすっぽりとかぶって、しゃがみ込んでいる。その前で、男はまるでエリザを守るように、仁王立ちになっているのだ。
まるで夫婦のような……。
サリサの心を象徴するかのように、雨が追いついた。
突然の雨に、エリザはその男に肩を抱かれ、サリサの視界から消えていった。
そこで引き返せばよかったと思う。
だが、どうしても、今目撃したものが信じられない。
サリサは納得がいかず、こっそりと二人のあとをつけてしまった。
二人は小さな洞窟で雨宿りを始めた。
かなり遠く、崖上から見下ろしているので、はっきりは見えない。
エリザは洞窟の奥の方にいるのだろう。男は空模様を気にしているのか、入り口あたりで腕組みをしている。
ふと、エリザの姿が見えた。何か、話をしているようだ。
気を集中させたところで、この雨が力を阻害するし、この辺りの岩は八角の部屋と同じ鉛成分を含んでいる。盗み聞きするようなムテの技はないうえに、あったとしても無理だろう。
だが、サリサはどうにか二人の話を聞こうと焦った。雨よけの結界をはることすら忘れた。
男の姿が洞窟に消えた。それにつられてエリザの姿も消えた時、サリサは身を乗り出してしまった。
やがて男が再び入り口付近に顔を出した。雨もやんでいた。
サリサはほっとした。が、それは一瞬だった。
雨がやんだというのに、男は再び洞窟の奥に姿を消し、エリザも出てこない。
雨宿りならば、もうそこにいる必要はないのに……。
時間だけが過ぎてゆく。
ムテ人は、心が繋がらないと体を求めない。
だから、その状況にサリサが焦る必要なんてないはずなのだ。
だが……。
先ほどの夫婦のような二人の姿が、サリサを不安にさせた。
ジュエルを抱くエリザ。その横で二人を守るように立つ男。
心が繋がらないと、体を求めない。だが、逆もありだ。
心が通えば、出会いまでの時間は関係ない。
……とはいえ、正式な結婚無しで体を求め合うなどということは、まずありえないことなのだ。
さらに、サリサはすっかり忘れていたが、エリザは子供を産んで……というか、流産して、月病みの年を終えている。そういう欲求は起きない時期だ。
なのに、なぜ二人は出てこないのだろう?
サリサの脳裏に艶っぽいエリザの表情が浮かんでは消える。その表情を見たのは……もうかなり前だ。
エリザが妊娠して以来、二人が愛しあった夜はないのだから。
時間だけが……過ぎてゆく。
やっと出て来た男は、なんとエリザの肩掛けを自分の肩に掛けた。
そして、差し出した手に……エリザの手は結ばれていた。
採石師。
サリサの父と同じ職業である。
癒しの巫女の相手にはふさわしい職種であろう。
サリサとは全く雰囲気の違う男だった。背はサリサのほうが高いが、体つきの良さは、向こうの方が数倍上だ。
爽やかな……誠実そうな男だった。
エリザと並んでお似合いだった。
だが。
相手の幸せを願うというのは……こういうことか?
ここまで辛いことだったのか?
サリサは、ずぶぬれになったまま、しばらく動けなかった。
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