帰郷・10
エリザが目覚めたのは、もうお昼を過ぎた頃だった。
どうやらいい天気らしい。
ベッドから体を起こすと、あちらこちらが痛い。筋肉痛のようだ。
しかも、手や足が傷だらけだった。だが、しっかりと癒されていて、ほとんど治りかけていた。
この癒しには、霊山の気を感じる。
エリザは、すこしだけ懐かしく思った。
ベッドの横にぬくもりを感じた。エリザは、もう一度横になって、そのぬくもりを全身で感じた。
肌に残る愛撫の感触は……癒しのせい?
――夢だったと思う。
あまりにも恐いことや悲しいことがありすぎて、錯乱状態だった。
だから、最高神官の夢を見たのだ……と思う。
だが、あまりにも甘美な夢だった。
エリザは、その夢に没頭した。
ジュエルのことも、父のことも、恐かった事件も何もかも忘れて。
「どう? 元気になった? 起きれそう?」
ノックもほどほどに、シェールが部屋に入ってきた。
エリザはあわてて飛び起きた。
思ったよりもサバサバしているこの女性は、あっという間に窓を開け、部屋の空気を入れ替えた。
「そろそろ起きて、食事にしなきゃ……。エオルも話があるって。え? 何? どうして赤くなっているの?」
「い、いえ! その、何でも……」
エリザは真っ赤になりながらいいわけした。
癒しは、霊山の強い力によってなされていた。もしも、昨夜エリザを癒した人がシェールだとしたら。
ずいぶんと恥ずかしい寝言を聞かれたかも知れないのだ。
シェールは、どうやらエリザの考えていることを読んだらしい。にやりと意地悪な微笑みを浮かべた。
「もしかして、私に恋をした?」
「あ、う、え、い、お……」
エリザは目を白黒させ、わけのわからない声をあげてしまった。
その様子を見て、シェールは笑いながら部屋を出ていった。
恋って……やっぱり?
エリザは、しばらく恥ずかしくてベッドから出られなかった。
父が旅立ったばかりで、しかも、悪い事続きで……。
さらに言えば、エリザは月病の年を終えている。つまり、普通はそういうことを望まない状態なのに。
――結ばれることを望んだ。
身も心も、サリサと繋がりたいと思ったのだ。
まるで、リューマ族の男が望んだように、泣いて懇願した。
夢の中のサリサは、戸惑っていた。だから、エリザはますます悲しくなって泣いてすがった。
そして、二人は……。
でも、それが妄想だとしたら?
「わ、わ、私ったら、シェールさんに、へんなことを言ったのかしら?」
抱いて……とか?
口づけして……とか?
とすれば、やはり誤解が解けた後も、エリザはシェールが苦手なままだろう。
「き、き、きっと、変態だと思われているわよね?」
気を取り直して起きる。
雨が上がったせいか、嫌な空気は一掃され、明るい雰囲気が家に漂っていた。
シェールの元から、ヴィラが戻ってきていた。エリザは、ヴィラとやっとまともに挨拶ができた。
ヴィラを見て思った事は……兄は面食いだということだ。大きなお腹をしているとはいえ、ヴィラはかなり美しい女性で、兄が自慢に思って当然の人だった。
そして……まだ、産まれていない子供に不安を感じた。エリザは、ジュエルと同じ頃産まれるはずの子供を想像していたのだ。
他の人には昼、エリザには朝の食事だった。
ジュエルには、やはり誰も近寄らない。シェールが施したのか、高度な結界が張られている。
この場に父がいない事は、やはり寂しかった。エリザは、父の言葉を思い出していた。
――この子は、おまえを破滅させる。
にこやかに過ごす家族だが、ジュエルだけは別の空間にいる。
そして、エリザも徐々に納得し始めていた。
一連の事件に、ジュエルが深くかかわっている。ジュエルの何かが、この家族に、いや、ムテ全体に何かよからぬものを運んでくる。
霊山を離れて薄々感じていたこと。それを、エリザは認めたくなかった。しかし、もう認めるしかない。
ジュエルは、どこかがおかしいのだ。
だが、エリザは心を決めていた。
――ジュエルは、私の大事な子供。
そして、サリサ様と私を繋げる唯一の絆でもあるわ。
蜜の村を出ようと思う。
ジュエルを置けない村に、やはりエリザもいられない。
二度と行かないつもりだった霊山に赴き、最高神官の意見を聞こうと思う。
ジュエルと二人、どこかで穏やかに過ごせるならば、霊山の山奥でも、リューマの都会でも、ウーレンの向こうでも行こうと思う。
ジュエルを守るためならば、唯一の夢も希望も捨て去って、陰者として過ごしたっていい。
破滅だって受け入れる――そう思った。
ところが、いきなりエオルが言い出した。
「エリザ、実は霊山からお願いが届いているのだけれど?」
「お願い?」
「一の村で、癒しの巫女が不足していて、できたら戻ってきて欲しいと……」
帰ってきたばかりなのに、奇妙な話である。
エリザは、目をぱちくりした。
霊山にいる時、ウーレンに出す人材に意見したのはエリザだった。
最高神官は、その意見を取り入れ、一の村から医師と薬師と癒しの巫女をウーレンに送った。
だから、エリザにも責任がある。
でも、一の村は大きな村で、その名の通り、ムテで一番の村だ。人の数も多い。
そのような場所で、癒しの巫女としてきちんと仕事ができるだろうか?
それに、ジュエルを守れるのだろうか?
祈り所に籠るという、辛く苦しい思い出がある一の村で……。
不安がないと言えば嘘になる。
だが、エリザは夢の中のサリサの言葉を思い出していた。
――私には、あなたが必要です。
最高神官は、少しでも役に立つと思ってくれるから、エリザを指名してくれたのだ。エリザならできると頼ってくれたのだ。
エリザにも、最高神官が必要……。いや、サリサの気を感じて、少しでも側にいたい。
霊山を見上げ、最高神官の日々を思い、彼の健やかな日々を祈りたい。
そうできることが、今のエリザには一番幸せなことに思われるのだ。
恐ろしい体験を通して、エリザはほんの少しだけ、自分の気持ちに素直になれた。
「私……一の村に行きます」
エリザは心を決めた。
=帰郷/終わり=
*銀のムテ人=第四幕・中 に続く
銀のムテ人 =第四幕・上= わたなべ りえ @riehime
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