採石師ラウル・8
食事のあと、エリザはマリとリリィの馬車に乗り、椎の村へと向かうことになった。
ラウルとは、これでお別れ。もう二度と会えないかも知れない。
彼は、エリザの荷物を馬車に運び入れた。そして、エリザの背からジュエルをおろすと、やはり馬車に運んだ。
あれだけ人にジュエルを任せたくなかったエリザだが、その時は不思議と何も思わなかった。
馬車の上から身を乗り出して、エリザはお礼を言った。
「ラウル、本当にありがとう。また……いつかどこかで会えるといいわね」
それは無さそうだった。
エリザは、もう二度と霊山にも霊山の麓にも戻らないつもりなのだ。霊山の採石師であるラウルとは、再会できるはずがない。
ラウルもそれを感じていたらしい。彼は押し黙り、じっと何かを考えているようだった。
そして。
首に掛けていた紫の石を外した。
「エリザ。これは、真実を見極め、困難に打ち勝つ魔力を秘めた石だ。山で迷った時、災難にあった時、この石を握りしめて祈ると、必ずいい結果が得られた。だから、あなたに持っていて欲しい」
エリザは目を見開いた。
その石は、とても美しかった。だが、そんな大切な物をもらう筋合いはない。
それに、採石師の仕事は、常に死と向かい合わせの危険な作業の連続だと聞いている。
「そんな! もらえな……」
エリザの言葉が終わらないうちに、ラウルはエリザの首に石を掛けていた。あれだけ照れていた彼と同一人物とは思えない強引さで。
馬車の端に足を掛け、手を伸ばし、馬車に身を預けるように。そのせいで、彼の手はエリザの髪に触れ、エリザの額は彼の胸に触れた。
それは一瞬だった。
「僕よりも、あなたに必要なものだ」
馬車から飛び降りながら、ラウルは言った。そして、手を振った。
馬車は動き出した。
ラウルの言葉に、感謝よりもなぜか不安を感じた。エリザは石を握りしめたまま、見えなくなるまでラウルを見つめた。
――採石師の危険よりも、危険なこと?
見上げれば霊山が遠くなる。
最高神官の力の範疇から、どんどん遠ざかってゆく。
エリザは心細さと不安でたまらない気持ちになってきた。
だが、隣にいるマリはそんなエリザの気持ちを知らない。
「ねぇ、ねぇ、今の人ってさ、エリザのこと、好きなんだね」
「え?」
いきなりとんちんかんな、ませたことを言い出すマリに、エリザは真っ赤になった。
「ち、違うわよ! ラウルとは、たまたま偶然会って途中まで一緒にいただけのことですもの」
「ふーん……。じゃあ、お嫁さんになるとか、そんなんじゃないんだ」
マリが死にかけた時、そんなことを話したような気もするが、エリザは忘れていた。
「ま、まさか!」
まったくどうしてそこまで話が飛躍するのだろう? 確かに、こんな高価そうな宝玉を受け取ってしまったのだから、誤解されてもおかしくはないけれど。
マリはどうやらラウルにいい印象を持たなかったらしい。
「そんならいいんだけどさ。だって、エリザにはやっぱ、サリサがいいと思うもん」
急にサリサの名が出て、エリザは胸がきゅんとした。
「何を言うの! マリ。そんな、大それたことを……」
エリザは、思わず耳を塞いだ。
「へ? なんで? だって、サリサ、あんなにエリザのこと、愛しているんだもん。別にいいじゃない?」
信じられない大暴言だ。
子供とはいえ、言ってはいけない言葉だ。
エリザは、急に意識が朦朧とするような衝撃を感じていた。
マリをやめさせようと思うのだけと、心臓が激しく打ち、吐き気がしてきて、声が出ない。
「故郷に帰るなんて、エリザは酷だよ。サリサがかわいそうだよ」
エリザは口元を押さえた。
馬車酔いなのだろうか? 吐きそうだった。だが、この吐き気は……。
その時、御者台にいるリリィがマリを呼んだ。
「ねぇ、マリ。ちょっと手綱を代わってくれる?」
「はーい!」
マリは立ち上がると、ひょいと荷台から御者台に飛び移った。
その瞬間、すっとエリザの吐き気が引いて行った。
エリザを困らせるマリの言葉。
それをやめさせるための、リリィの助け舟だったに違いない。
――最高神官とは、もう二度とお目にかかることはない……。
自分で心に決めたこととはいえ、あまりにも寂しい。
やっと、霊山の巫女制度の外に出て自由の身になったというのに。
自由とは、実はとても不安で恐ろしいことで、しかも頼るべきものがないことなのだ。
一人でできなくてもいいのです。二人でできれば……。
――どうぞ、頼ってください。
今となっては、サリサの言葉はエリザを闇に縛り付けるようだ。
馬車が霊山から離れれば離れるほど、エリザの不安は大きくなっていく。
「ジュエル、私、怖いの。私、たった一人であなたを守れるのかしら? 怖いの。助けて……」
エリザは、荷台の上で気持ち良さそうに寝ている赤子にすがった。
小さな命の存在が、唯一、これからの希望だった。
=採石師・ラウル/終わり=
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