エオルの旅路・6

 その日の夕方、シェールとヴィラがエオルのもとを訪ねてきた。小さなシェルもいっしょである。

「ファヴィルが倒れた……って聞いて、何かあったのかと思ったのよ」

 神妙な大人たちの気を感じながらも、退屈なシェルは家の中を走り回っている。

 エオルは憔悴し切っていた。シェールの存在は、彼にとって唯一の救いだった。

「実は……」

 エオルが口を開こうとした時だった。


 ダダダダ! と大きな音がした。


 一斉に音のするほうを見て、シェールの顔色がさっとひいた。

 階段から転げ落ちる我が子の姿を見たのである。

「シェル!」

 シェールは慌てて階段を駆け上がり、途中で子供を受け止めた。子供は、うーんと唸ったまま、気を失っていたが、大きな怪我はなさそうだった。

 しかし、シェールが見上げた階段の上に、立ち尽くしているエリザの姿があった。

 シェールと目が合ったとたん、エリザはジュエルを抱いたまま、驚くほど動揺してみせた。

「わ、私が突き落としたわけじゃないです! その子は、急に後ずさりして……」

 エリザは慌てて叫んでいた。まるで、自分が原因で子供が階段から落ちたと白状しているようにも聞こえた。


 ところが、事件は更に続いた。

 今度は、エオルの横にいたヴィラが、今のシェルの階段落ちにショックを受けたのか、蒼白になってしまった。

「ううう……」

 とうなり声をあげると、突然、しゃがみ込んでしまったのだ。

「ヴィラ? ヴィラ?」

 エオルが慌てて支えた時には、すでに玉のような汗がヴィラの額を伝わっていた。

 子供を抱えたまま、シェールが駆け寄ってきた。遅れてエリザも階段を下りてきた。

「いけない! とにかく安静にさせて!」

 シェールの声に、エオルは長椅子の上にヴィラを横たえた。

 大きな怪我はないとはいえ、階段から落ちた子供がいる。癒しの巫女シェールとはいえ、二人を見るのは大変だった。

「私も……手伝います」

 エリザの声が、シェールの背中に響いた。


 が……。


 エオルも驚いたのだが、シェールは信じられないような恐い顔をエリザに向けていた。

「あなたに力は借りません!」

 初めて会うとはいえ、シェールはサリサからエリザがどのような女性か、散々聞かせられていて、嫌っているはずはなかったのだが。

 あまりの言葉の強さに、エリザは硬直してしまった。

 もともと気が弱いエリザだ。初対面の女性に激しい拒絶にあい、動揺していた。

「エリザ、ここはシェールに任せて……お父さんを見ていて……」

 エオルの言葉に、半分泣きそうな顔をして、エリザはこくこくと何度かうなずき、そのままジュエルを抱いて二階へと駆け上がって行った。

 エリザの姿が消えた後、シェールは恐ろしい一言を告げた。

「このまま、エリザにファヴィルを任せて置いたら……彼の命はすぐ尽きるわ」



 夜が更ける頃、ヴィラは元気を取り戻した。

 危ない状態になりそうだったが、シェールの力が彼女を助けたのだ。

「何とお礼を言っていいものやら……」

 エオルは何度もヴィラの額に口付けしながらも、シェールにお礼を言い続けた。

「お礼よりも何よりも……歩けそうだったら、このまま連れて帰るわ」

 外はひどい雨だ。エオルは目を見開いた。

「この雨の中を? 泊まって行けばいいのに」

「雨よりも、ここのほうが危険」

 シェールは、難しい顔をしたまま、あたりを見渡した。

「ここには、呪詛が舞っているわ」

 その言葉に、エオルはぞっとした。

 この平和な村で、誰かがヴィラを呪うはずがない。とすれば、考えられるのは……。

「それは……あの不思議な子供の?」

「あの子は人間という種族よ。私も初めて見たけれど」

「人間? あのウーレン王が狩っているという? まさか」

「間違いないわ。なんでこんな疫病神を背負って帰ってきたのかしら? エリザは」

 そのエリザのほうは、どうにか興奮が納まって必死に父親についているようだ。二階から姿を現さない。シェールがいる限り、下には降りてこれないだろう。

 だが、近くに子供を置いたままでは、ファヴィルの死に拍車をかけているようなものだ。

「なぜ、霊山はこのような仕打ちを……」

「わからないわ。雷、嵐、ファヴィルの病……。シェルは階段から落ちるし、ヴィラは流産しかけるし。どれをとってもいい事がない。あの子のせいだと思われても、おかしくはないわ」

 シェールはため息をついた。

 その意見に、エオルは怪訝な顔をした。

「あの子のせいでは……ないのですか?」

「エオル、あなたまでそんなふうに思っているの?」

 そう言われて、エオルは頬を染めた。

 優秀なムテ人と言われている彼も、実に人間のことに関しては無知であり、迷信に惑わされている。

「たしかにあの子の容姿や心が、見ている人を不安にするわ。気を乱すわ。でもね、あの子には雷を落とす力も、人を殺める力もないの。偶然が重なったのと……」

 シェールは少し言いよどんだ。

「言いたくはないけれど、子供ではなく、エリザのせい」


 ――子供をうらやむ呪が満ちている……。


「……そんな! エリザはそんなこと」

 エオルは信じられなかった。昔から子供が大好きなエリザだ。子供を死に追いやろうなんてするはずがない。

 しかし、シェールは情報通である。何せ、霊山の最高神官と手紙をやり取りしている仲なのだから。

「無意識の呪ね。霊山で過去にもやっているって聞いたことがあるわ」

「! まさか!」

 子供を手放したくないばかりに、無意識に呪いを掛けてしまった――そんな過去がエリザにはあった。マリの事件である。

 シェールは、置かれたままになったエリザの荷物をそっと手に取った。中から、かわいい産着が出てきた。

「……心を込めて作ったもの。丁寧な作りね。エリザには、悪意はまったくないのよ」

「ではなぜ!」

「シェルが、最高神官の子供で、サリサ様と同じ銀色の瞳と銀色の髪を引き継いだから。血を引き継いだから……。そして、何よりも私が産んだサリサ様のお子だから」

 エリザが、自分の子供だと思っているジュエルは黒髪だ。本当の神官の子供を見て、動揺したのだろう。そして、その真実を遠ざけたいと思った。

 シェールは、産着を手に取りながら話し続けた。

「そして……ヴィラの場合は……順調に子供が育っているから」

 子供を癒し続けた日々、苦しみの夜の記憶が、エリザの傷となっている。あまりに自分と違う妊婦の姿に、エリザはやはり動揺したのだ。

 エリザの荷物のほとんどは産着だった。

 シェールは、虚しく広げた産着の山を再びひとつにした。

「……つまり。それが、封印されたエリザの傷。エリザは、どうやら子供を流産してしまったようね」

 他の巫女姫が産んだサリサの子は、エリザを深く傷つける。

 そして、無事に子供を産もうとしている母親の姿も……だ。



 エリザが帰ってきてから、数日が過ぎた。

 どうにかしたいがどうにもならなかった。事態は悪くなる一方だった。

 エリザに、子供を自分の子供ではないと認めさせたかったが、彼女は『神官の子供』だと言い張って、聞く耳を持たない。

 いつまでもエリザと子供を隠しておけない。限界だった。

 不幸の種を押しつける霊山の真意がわからず、エオルはぐったりしていた。

 万にひとつでも父が持ち直せば、と思ったが無理だった。

 父は、エリザの看病のせいかますます老いてゆく。エリザはまるで憑かれたように父の側から離れない。

 このままだと、父は死んでしまう。

 エリザを父から引き離したら? エオルはそれも考えた。

 だが、父の看病のおかげで、エリザは部屋から出ることがなく、村人たちの目からも避けられているのも事実。

 今度は、エリザとあの子供を、どこかに幽閉するしかなくなってしまう。

 それも……いつまで続くのかわからない。

 天候もずっと悪いまま。

 村人たちは、既に動揺している。悪いことの予感に不安になっている。

 父の寿命が尽きてしまったら、すべては終りだ。


「このままだと……悪い事はすべてあの子とエリザのせいになってしまう。そして……我ら家族は破滅だ」

「エリザのせいだけじゃない。霊山の祈りが弱いせいよ」

 シェールが付け足した。

「祈り? 確かにここしばらく、祈りによる結界が緩んでいる気がしていました」

 シェールは、苛々ととんでもないことを言い出した。

「あのガキ、エリザがいなくなって惚けているんじゃないの?」

 ……まさか、ガキというのは、最高神官のことをさしているわけではないだろう。だが、エオルにはその人しか思い浮かばなかった。

「エオル、私、サリサ様に会いに行く。とっちめてやらないと、気が済まないわ!」

 最高神官をとっちめるとは、思いもよらない言葉だった。でも。

「待ってください。私に行かせてください!」

「あなたが? あなたがサリサ様をとっちめるの?」

 怪訝そうな顔で、シェールはエオルを見た。

 どう考えたって、癒しの巫女であるシェールのほうが霊山に上がる許可が不要になるし、サリサの前でも臆することがないので適任だと思われる。

 だが、エオルは真剣だった。

「兄として……あの方の真意を直接聞きたい。お願いです」


 ――なぜ、エリザを苦しめるのか?

 ――なぜ、あのような子供を押しつけたのか?


「最高神官に会って問いたい。それが、兄としてエリザにできること」

 一般人が最高神官にお目通りを願うのは、とても恐れ多いことである。だが、エオルは真剣だった。

「それに……残念ながら、ヴィラに何かあっても、父に何かあっても、私には癒す力がない。あなたにいてもらわないと」

 シェールは、うーんと唸ってから、うんと首を縦に振った。

「そうね。あなたとあなたの家族のことですもの。わかったわ。トランと私で手紙を書くから。それに……エリザと家のことは私とトランに任せて」

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