椎の村にて・9
カシュが何を考えたのか、リリィにはわかった。
だが、リューマの妻たちはリリィに同情し、エリザには冷たかった。カシュに浮気されたと思ったに違いない。
そのせいもあって、昨日のエリザの暴言は、さらにひどい罵り言葉に置き換えられて広まっていた。
誰もエリザに挨拶する者はいない。それどころか、憎しみの目さえ向けている。
だから。
リリィは、エリザを引き止めることができない。それどころか、身の安全を考えて、早く旅立たせたほうがいい。
そして、エリザは二度とこの宿に泊まることができないだろう。
まだ、夜が明けきらない時間、エリザは薄手の肩掛けをすっぽりと被り、震えながらも馬車に乗った。
御者はカシュだった。一言の声も、エリザには掛けない。
「まずは、蜜の村に直行する。その後、辺境を回って帰ってくるから……しばらく留守にする」
その言葉は、リリィに対してであった。
「あ、ありがとうございます……」
小さな声で、エリザはカシュに声を掛けたが、返事はなかった。
エリザは肩身が狭かった。馬車の荷台の隅っこで小さくなって、ジュエルを抱きしめるばかりだった。
朝の薄闇の中、ジュエルの髪は漆黒に見えた。そして、エリザを見つめる瞳も、夜空のように青かった。
エリザは、なぜかその色を見て、ぶるり……と震えた。
まるで奈落の底のようだ。どこまでも果てなく続く暗闇で、たどり着くところがない。
はじめて、ジュエルが恐ろしいと思った。
ジュエルの額に、紫の石がこつんと当たった。ラウルがエリザに掛けてくれた首飾りである。
柔らかな神秘的な色をたたえて輝いている。
「我が子を怖がるなんて……どうかしているわ」
不安だから。
こんなに不安だから。
だから、ジュエルの目や髪の色が恐ろしく感じるのだ。
「大丈夫。故郷に戻ったら……お兄さんもいるし、お父さんもいる。恐い事なんか、何もあるはずないじゃない」
エリザは必死に言い聞かせた。
カシュの馬車が出た後、リリィは一の村へと向かった。採石師のラウルを探すためだった。
ラウルの家は比較的早く見つけることができたが、本人は留守だった。
「兄は、今朝、霊山へ出かけました。今回は、山頂へいく予定なので、帰りは数日ほど後になるかも……」
若い女性の言葉に、リリィは落胆した。
もう、エリザは運命に従うしかない。
――考え過ぎであればいいけれど……。
不安気に見上げる先で、霊山の主峰が輝いていた。
=椎の村にて/終わり=
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