巫女姫マララ

巫女姫マララ・1


 優しくしてあげて……。

 ――でも、そんなサリサ様を見ていたくない。


 サリサは『初見の儀式』を前にして、エリザの言葉を思い出していた。

 何とも矛盾だらけの悲しい思いだけを残して、エリザが山下りしてから二日後のことである。

 巫女姫マララ――

 エリザがいなくても霊山には春が訪れ、新しい巫女が訪れる。

 まったく面白くないことだ。


「できました……。いかがしましたか?」

 着付けを終えた仕え人が声をかけてきた。またぼっとしてしまったらしい。

「言葉を……思い出していただけです。久しぶりの巫女ですからね」

「あの短い口上を、ですか? むしろ、思い出さないほうがいいことを思い出されているのでは?」

 それは、もちろんエリザのことだ。サリサは、苛々しながら髪を払った。

 一年前、エリザを迎えた時に、サリサはその口上をしくじっている。フィニエルの機転がなければ、蜜の村の神官代理を前にして、恥をさらすところだった。

 そもそも、彼はエリザを迎えるにあたって、巫女を迎えたという意識はなかったのだ。

 まさに、引き裂かれていた恋人との再会だった。

「忘れられるはずがないでしょう」

「忘れられなくても、お忘れになったほうがよろしいことかと思います」

 まったく。相変わらず容赦のない言葉である。

 仕え人は、かすかに乱れた最高神官の髪を、ゆっくりと梳く。彼女にとって、最高神官は、一本の髪も乱れぬ存在でなければならないのだろう。絡まった髪を丁寧にほどきながら、小さな声で付け足した。 

「忘れられなくても、マララ様には無関係なことです」

 そんなことはわかっている。サリサはますます苛々した。


 本来ならば、こんな日は来なかった。

 今年の巫女姫は選ばれず、サリサはエリザと山小屋で家族のように過ごすはずだった。


 新しい巫女姫を選ぶにあたって……。

 もちろん力があることは第一条件である。

 だが、サリサの一番の決め手は、もっともエリザに似ていない人ということだった。 

 初見の儀式で、サリサは無表情なまま、マララを迎えた。

 昨年とは違う最高神官らしい態度で、完璧である。むしろ、ぎくっとしたのは仕え人たちのほうかも知れない。マララは、あまりに今までと感じが違う巫女姫だったのだ。

 五の村の神官に手を引かれて輿を降りた少女は、少女というには大柄でがっしりしていた。ムテらしい細い目と面長な顔。だが、ムテには珍しいそばかすがある。鷲のくちばしのように曲がった鼻と顎の細さに似合わない大きな口。美女とはいえないが、どこか意思の強さを感じる顔つきだった。

 霊山第一歩から、もうここの主人のような堂々とした雰囲気を持っている。大股でづかづかと最高神官の前まで歩み寄ると、完璧な角度でお辞儀をした。

「お初にお目にかかれて光栄です」

 巫女姫の口上も完璧だった。物怖じを知らないかのようである。ただし、品位や優雅さも知らないようだ。少しだけあたりがざわついた。

「以後よろしくお願いします」

 サリサも機械的に挨拶を返した。

 形式張った儀式。

 まったくお互いそつなくこなした。

 無事、終了。


 ――もう巫女姫なんてごめんだ。

 おそらく、彼女は手のかからない巫女姫であろう。

 そつなくこなして、そつなく子を作る。

 それだけだ。



 その後、サリサは新しい巫女姫の存在を丸一日忘れた。しかし、次の日にいきなり最初の夜が来た。

 面倒くさく思う。だが、湯浴みと薬湯で気分を高める。

 予定の時間よりも早く、八角の部屋に向かう。

 さっさと、嫌な事はすませたい。

 部屋に入ると、巫女姫はすでに部屋の中央にいた。

 蝋燭の光で浮き上がる姿は、やや女性にしてはがっちりとした肩幅で、全くエリザとは似ても似つかない。

 エリザを思い浮かべることも重ねることもない。冷静に割り切れる存在の女性だ。

 マララは胸に手を当てて、サリサに挨拶をした。

「よろしくお願いします」

 返事もしなかった。

 マララのほうも、自分の立場をよく知っているのだろう。それ以上何も言わず、そのまま横になった。

 まな板の上の魚か野菜のよう。好きにしてくれ……という態度だが、まったくそそらない女性である。

 もう少し薬を飲むべきだったと思いつつ、心ない愛を交わさなければならない。


 思い出せば……。

 サリサがまだ子供の頃、やはりマサ・メルもこのような夜を送っていた。

 だが、彼は仕え人八人を同席させ、あっという間にするべき事をすませていた。

 だから、まだ幼かったサリサは、彼がいったいどのようなことをしていたのか、全くわからなかった。

 きっと、彼は巫女姫に口づけすることもなかっただろう。甘い言葉も囁かなかっただろう。そして、優しい愛撫もしなかったかも知れない。

 女性をその気にさせることは、すべて薬に頼っていただろう。

 サリサも同じ事をするだけだ。

 


 唇を重ねると、心が痛むことがある。

 だから、サリサは口づけしない。

 唇は、ことのはを紡ぎ出すところ。つまり、心に繋がっているから。


 シェールに初めて口づけした時の苦さを、サリサは忘れていない。エリザとの蜂蜜飴の思い出が吸い取られるようだった。

 だから、ミキアやサラとは唇を重ねたことがない。

 ミキアは楽しい女性だった。

 明るくサバサバしたところがあり、ずいぶんと慰められた。そして、相性がよかった。恋愛感情を持てなかったのに、結ばれて嫌な気分にならない女性だった。

 彼女は無理に口づけを求めることもなかった。今から思えば、駆け引き上手なのかも知れない。その証拠に、執拗に口づけを求めたサラに比べて、ミキアとはずいぶんと仲良しになった。

 その点、サラは下手だった。サリサに、唯一愛されることを求めた。

 たまたま悪い状況が重なったとはいえ、答えられない答えを求められて、余計に心を閉ざしたと思う。

 だが、サラ以上に悪い事をしたのは、マヤに対して……だったかも知れない。

 彼女を選んだのは、何よりも一番ふさわしいからなのだが、エリザに似ているからでもあった。それが、サリサには慰めになり、傷にもなった。

 サリサは、マヤに口づけしてエリザのことを思い出した。話をしている時はもちろん、抱いた時は完全にエリザを思っていた。

「よほど好きなのですね。その方のことを……」

 愛しあった後にマヤにそう言われ、顔から火がでそうなくらい自己嫌悪に陥ったこともある。


 ――エリザの代わり扱いするなんて……。


 なんと申し訳ないことをしているのだろう。

 自分では気がつかない事も、相手には気がつくものだ。

「愛されるためにきたのはありませんわ。でも、少しでも慰めになるのでしたら、これほどうれしいことはありません」

 それからしばらくマヤに会えなくなってしまった。

 でも、サリサには我慢ができなかった。どうしてもエリザの面影を求めて、マヤに会いたくなってしまう。

 それはまるで麻薬のよう――サリサは、マヤを求めたのだ。

 考えれば、それがサラをますます追いつめたのだろうと思う。サラは病的なくらいにマヤに嫉妬した。

 おそらく、エリザに似ている人を選んだとしたら、サリサはマヤの二の舞をやらかすだろう。今回選んだマララという少女は、どこをどう見てもエリザを思い出しそうにないほど似ていない。


 変わりになんか、しない。

 慰めなんか、求めない。

 優しく、しない。

 ただ、抱くだけ。

 愛されなければ、愛を期待されない。


 ただ、黙々と巫女姫の使命を果たしてくれるだろう――サリサはそういう人を選んだ。

 唯一、気になったのは、サラと同じ五の村出身ということだけだ。

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