巫女姫マララ・2


 春らしくなってきた。

 木々は新芽を吹き、日に日に緑を増してくる。あちらこちらで花も咲く。

 薬草担当の仕え人たちは、この時期だけにしか採れない薬草集めに毎日いそがしい。採石師が石を採るための許可をとりにくるのもこの頃だし、仕え人たちも山に薬石を集めに出かける。

 エリザがいなくても時間は流れるし、忙しい日々は続く。

 最高神官が一度倒れたときは、さすがに仕え人たちの心配は大きかった。が、どうにか仕事をこなし始めると、かえって淡々と仕事をこなす最高神官のほうがやりやすいらしく、誰もサリサに声もかけてこない。

 食事係に戻ったリュシュなどは無視しているのでは? と思われるほどの態度である。

 最高神官の仕え人だけが「体調はいかがですか?」と聞いている。

 それだけだ。

 顔を洗おうとして、水に映った自分の顔を見る。やや、痩せてますますマサ・メルに似てきたような気がする。手を差し入れたら、歪んで消えた。

 冷たい水が、身体の奥底まで冷やすようだ。

 霊山は、マサ・メル時代がそうであったように、落ち着きを取り戻したのだろう。

「煩わしくなくてほっとする……」

 感情に振り回されないようにするのは、気が楽だ。

 やがて少しずつ。


 ――エリザのこともいい思い出にしてしまわなければ。

 きゅんと痛む胸を押えて、心が死ねばいいと思う。



 朝の祈りを終え、わずかな休憩時間を過ごす。

 もう、エリザのところへお見舞いにいく事もないし、朝食をいっしょに取る事もない。三食、この部屋に運んでもらうのだ。以前、そうであったように。

 リュシュが料理係に戻ったというのに、味気ない食事ばかりだ。お菓子もない。

 聞くところによると、リュシュはお菓子を作ることをやめてしまったのだという。他の仕え人同様に、ただ黙々と栄養と薬功のみを考慮して食事を作っているそうだ。

 エリザの望みは半分叶い、半分は叶わなかった。

 リュシュのお菓子は、新しい巫女姫を励ますこともサリサを慰めることもない。サリサとエリザの蜜月と共に、永久に消え去ったのだ。

 そして、サリサも心を封印する。エリザとの幸せな思い出だけに生きて、あとは最高神官として自を捨て、ムテに奉仕するだけ。

 サリサは、窓から巫女姫の母屋を見た。エリザがいたときは、それを日課としていた。

 だが、そこに見えたのは、薬学を学ぶ新しい巫女姫マララの姿だ。

 サリサは視線を外した。

 おそらく、もうこの窓から母屋を見る事はないだろう。



 春先は、採石許可の季節でもある。

 控え所の門から入ると、立派な白木造りの小屋がある。小さい建物ではあるが、やや高い位置にあり、曲線の階段が何段も連なっている。

 応接の間――そこで最高神官は採石師に許可を与えることになっている。多いときは、階段の下まで採石師たちが許可で並ぶこともある。

 サリサは、採石師の能力と霊山の気の状態を判断して、可否を即断する。採石の期間は、祈りの儀式までである。つまり、力のある者は早くに許可を取る事ができ、それだけ長い期間、山に入れるということだ。

 今日、不可であればまた日を改めて……となるので、許可作業は数週間続くことになる。

 若い採石師がくるたびに、サリサは先日見た夢を思い出し、嫌な気分になった。

 あの夢が予見であるならば、エリザは採石師と結婚するだろう。サリサは、エリザの新居のために、採石許可を与えることになる。

 愚かなことではあるが、仕え人に頼んでインク壷を固定してもらった。夢と同じように倒したくなかった。


 また、春には薬草を求めて霊山に来る癒しの巫女もいる。

 癒しの巫女には、霊山の管轄にある薬草を自由に採取する権利が与えられているが、ここより更に山の上で採取となると許可がいるのだ。

 霊山には竜花香というここでしか手に入らない薬草があり、時にわざわざここまで来る巫女もいる。採石師同様、この小屋で許可を与えるのであるが、女性がくるたびにやはりドキッとしてしまう。

 ミキアが訪ねてきて、サリサの心を読んで笑った。不機嫌な顔を見せると、ミキアは更に笑った。

「失礼しました。尊きお方」

 と挨拶して、ミキアは小屋を後にしたが、後ろ姿を見ても、まだ笑っているのだ。

 ミキアにさえ読まれるくらいに、どこかでエリザを待っている。

 まさか、もう二度と来ないといったエリザが来るはずはない。だが、何か嫌な病でも流行って、必要にかられて……薬草のために来るかも知れない。などと、最高神官にあるまじき期待をしてしまうのだ。

 恋愛感情は利己的だ。

 あれほど流行病を憎み、子供を癒そうとしたエリザにこの気持ちを知られたら、遠くで祈ってもくれなくなるだろう。

 エリザの望む最高神官であり続けるには、もっと冷静にならなければならない。

 そう思えば思うほど、眉間に皺が寄ってくる。

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