エオルの旅路・9


 結局、エオルは翌朝まで待つことはなかった。


 まだ、朝日も上がらない頃。

 祈り所の湿ったベッドでやっと眠りについたエオルを、揺する手があった。

 目を開くと、ぼんやりと銀の光。それと蝋燭の黄色の光が交錯した。

「エオル、エオル……」

 灰色のマントを身につけた人影――サリサだった。

「起きてください。今日中に蜜の村に行かなければ……」

 エオルはあわてて飛び起きた。

「サリサ・メル様? いったいこれは?」

 しぃ、とばかりに指を唇にあてる最高神官は、どう見ても旅装束だった。

「馬車を待たせていますから。すぐに仕度をしてください。今から出れば、飛ばしてもらうと夜中には着けるはず……」

 確かにエオルは急いでいた。だが、サリサの性急さには、少し気後れしていた。

「でも、いったい……」

 慌てて着替えるエオルの横で、サリサは蒼白な顔をしていた。

「夢見です。あなたの情報が、私に不安な夢を運んできたのです」


 夢見とは――。

 予知夢の一種だ。

 眠っている間に、今おころうとしていること、これから先におこることが、見えることがある。

 もちろん、ただの夢ということもあるし、必ずしも予知通りのことがおきるとは限らない。予知夢を見ることで危険回避もできるからだ。

 だが、ムテの最高神官ほどの力を持っている者ならば、それがただの夢なのか、予知夢なのか、はっきりわかるのであろう。


「お恥ずかしいことですが……。エリザがいなくなってから、気ばかり高ぶって祈りの力が半減していました。しかも、新しい巫女姫が宝玉を砕いてしまい、ますます祈りが弱まっていたのです」 

 最近あまり霊山からの祈りが届かない……と思っていたのは、気のせいではなかったのだ。サリサの告白に、エオルは驚いた。

 まさか……とは思ったが、シェールの読みは当たっていたらしい。

 まだ、この辺りならば問題はないが、遠ければ遠いほど、影響は深刻になる。蜜の村よりも遠い辺境の村では、流行病などが起きてもおかしくない事態である。

 だが、ならばなぜ、最高神官はこのようないでたちなのだろう? これではまるで、エオルと共に蜜の村まで行きそうである。

 案の定。

「私もいっしょに、エリザを迎えに行きます」

「え? ええええ?」

 まさかと思っていた言葉に、エオルは驚いて叫んでいた。

 その瞬間、エオルは、うっかり袖とポケットを間違えて手を入れた。そこに入っているものがあった。

「あぁ、忘れていました。リリィさんという方から、直々あなたに渡す機会があれば、と頼まれていたのです」

「リリィが?」

 サリサはすんなりと手紙を受け取り、その場で封を開けて目を通した。

 その間に、エオルは荷物をまとめつつ、恐れながら……と話を続けていた。

「このような手紙が頻繁ならば、あなたも忙しい方。ご足労いただく必要はありません。あなたの命令は……私には……」

 理解しがたいが、お受けするしかない……と言いかけた時。

 ぐしゃ! と手紙を握りつぶす音がした。

 エオルは思わず話をやめた。

 サリサの顔が、ますます蒼白に見えるのは、けして暗がりのせいだけではないだろう。

「……何をしているんだ? 僕は!」

 独り言にしては大きな声。

「サリサ様?」

「もう、本当に馬鹿だ! バカバカバカ! 何でこんなにおめでたいんだろう?」

 親しみやすいとはいえ、今まで神々しいほどの男――としか印象にない最高神官が、まるで子供のように自分の頭をポカポカ叩いている。

 エオルは唖然として見ていた。

 銀糸の髪がぐしゃぐしゃになったころ、サリサはやっと気が晴れたのか、ふうっと小さなため息をついた。手櫛で軽く髪を整えると、銀の髪留めで前髪を止めた。

 エオルのほうに振り向いた顔は、すでに再び最高神官だった。

「恥ずかしい。ただ自分の悲しみだけに囚われていて、先を読めなかった馬鹿者です。もうこんな馬鹿をやりたくない。エリザを迎えに行きます!」

 そう言うと、サリサはいきなり懐から棒のようなものを取り出し、さっと振り上げた。

 驚いたことに、棒の先から白い革紐が飛び出し、階段の手すりに絡まったかと思うと、再びすっとほどけた。そして、一瞬の後、再びサリサの手の中の棒に納まっていた。

 武器を持たないと言われるムテであるが、神官の中には護身のために白竜の鞭を使いこなす者がいる……ということを、エオルは聞いた事がある。だが、見るのは初めてであり、まさか、最高神官がその使い手だとは知らなかった。

 思ったように扱えたのだろう。サリサは、満足したらしく、するっと懐に鞭をしまった。

「エオル! 急いで行きましょう」

「え? あ? はい?」

 階段を駆け上がってゆくサリサの後ろを、何が何だかかわからぬままに、エオルは追いかけていた。


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