椎の村にて・3


 その後、エリザは馬車の中で眠ることはなかった。

 毛布にくるまりながらゆられても、眠気は襲ってこなかった。それに、眠ったら悪夢に襲われる予感がする。

 先ほどの女性の反応。何かがエリザの心に引っかかっている。

 不安。不安。不安。不安だけが募ってゆく。

 外は黄金の光に染まっている。

 先ほどまでの開放感は、寂寥感に変わった。

 どこか心を掻き乱す朱。その光の中に、最高神官の祈りの気は……なぜか全く感じることができなかった。

 まだ、そんなに霊山から離れていないというのに。エリザは震えた。

 これからますます最高神官の祈りを感じなくなってゆくだろう。その中で、本当に強くなれるのだろうか?

 リリィもマリも、エリザとは口をきかない。

 馬車を走らせるのに夢中なのだが、エリザを避けているようにも思える。

 その原因は……ジュエル。

 エリザは、腕の中の我が子を抱きしめた。目を覚ましている。

 ふと見開いた瞳の色が、少し深い色に見えて、エリザは戸惑った。

 

 ――この子の瞳って、青っぽい。いや、青いわ。

 まるで……ムテ人ではないみたい。


 このような目の色は、エリザは見た事がない。

 サリサにそっくりだと思っていた顔も、何となく似ているとは思えなくなってきた。

 いや、似ていない。目も。口元も。

 エリザの知っている誰にも似ていない。似ている気も感じない。

 それに……髪が。


 ――いいえ、光のせい。目の錯覚だわ。


 赤子は日に日に成長し、見るたびに面変わりするものだ。

 だが、エリザが思うジュエルの変化は、日に日に……なんてものではない。一瞬一瞬なのだ。

 霊山から遠ざかるだけ、ジュエルもムテの容姿からかけ離れてゆく。


『黒髪で青い目。今まで見たことのない不思議な子供だ。一の村は、比較的変わり者には融通の利く人たちが多いけれど、他ではそうでもないはずだから、気をつけたほうがいいです』


 ラウルの忠告が、ここに来てずんと重みを増してゆく。

 エリザは故郷に帰ることに、初めて不安を感じた。

 蜜の村は、平和なムテ人の村だ。ムテ人だけが唯一住んでいる。リューマ族は、時々乗り合い馬車で通るか、蜂蜜商人が訪ねてくるだけだ。

 しかも……。

 純血種で平和を保っている村は、同族には寛容であるが、よそ者を非常に嫌う。

 嘆願書まで出してエリザの帰りを待ち望んでくれている人々であるが、ジュエルを見たらどう思うだろう?


 ――何を思っているの! 私ったら。

 この子は、ムテの子供。神官の子供なのよ。

 その事実を誰も否定できないわ。


 エリザがそう自分に言い聞かせた時。

「着いたよー!」

 マリの明るい声が響いた。

 エリザは一瞬、馬車を降りることを躊躇した。

 また、誰かにジュエルを見て嫌な顔をされたら……と思うと、気が引けてしまったのだ。

 誰にも会いたくない。このまま、馬車の荷台で寝泊りしたい。とすら思った。

 だが、マリはニコニコしながらエリザの手を引いた。

「大丈夫! ここはリューマの野郎ばかりだから、ジュエルみたいな黒髪、めずらしくないもん!」

 反射的に、エリザはマリの手を払っていた。

「え? エリザ」

 マリは、痛いというよりも驚いた顔をしている。

「あ? ご、ごめんなさい。だ、大丈夫。一人で降りれるから……」

 エリザは自分でも自分の行為に驚いて、そそくさとジュエルを抱いて馬車を降りた。


 ――リューマみたいな……黒髪。


 やっとエリザにもわかった。

 ジュエルは黒髪なのだ。そして、青い目をしている。

 最高神官の子供でありながら……。

 だから、誰もがこの子を隠したがったのだ。

 霊山に幽閉して、誰の目にも触れぬよう……。


 ……サリサ・メル様も。

 だから、私とジュエルを霊山に引き止めたかったのね――

 

 こぼれ落ちそうになった涙をふいたら、心が急に凍りついた。

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