貴様が測るのではない。俺が測るのだ!2

「俺と組を作りたい……か。なるほどなるほど。それは分かった。しかし、なぜ俺なのだ」


「それは……その……」

 

 原野。そのもじとしてこちらを見てくる態度はお前、よろしいじゃないか。上目遣いが実に愛らしいぞ原野。この、胸を鷲掴みにするような視線……堪らん。ふぅん。此奴できおるな。庇護欲という、男子が持つ共通の隙にいとも容易く付け入ってくるとは、恐ろしい女よ。いや、いやいや。もしかするとこれは、やはり、ひょっとして原野は俺に気があるのではないか? だからこんかにもこんな風なのではないか? で、なければ、一年の女子がわざわざ上級生に声をかけるなどあろうはずがないではないか! そうだ。間違いがない。こいつは俺に惚れているのだ! いはやはこれはまいった! まさかこんな形の出会いがあるとは思いもしなかった! 運命とはままならぬものよな! が、それもまた良し! 男田中、本日にて真の意味で男となり申す!


「あの、私、お付き合いしている殿方がいるのですけれど、同じ学年の男性と一緒にいると、要らぬ誤解を招いてしまいそうで……それで、田中様にお願い申し上げた次第なのです……歳上の方なら、咎められる事もないかと……女性の方がいらっしゃればよかったのですけれど……」



 轟沈! 

 ワレ、ゲキツイサレリ……



 おのれ魔女め! よくも騙した! 騙してくれた! まったく何たる恥辱か! 



「……駄目、でしょうか……」



 馬鹿の一つ覚えの上目遣いか! 愚か者め! そのような小細工二度も効くものかこの女狐め! もう貴様を信用せん! 貴様は俺の禁忌に触れたのだ! 容易な事では許せぬぞ!



「……」



 やめろ! そんな目で見るな! どのような事があろうと、俺は貴様となど組まぬからな! 



「……」



 だいたいなんだ! 何が「お付き合いしている殿方がいる」だ! この阿婆擦れめが! 実に淫靡な事よな! まったく嘆かわしい! ここは学び舎ぞ!? それが男女交際などと……風紀が乱れ切っておる! 風紀が!



「……」



 ま、まだ見てくるか……待て、まぁ待て俺よ。落ち着け。深呼吸だ。ここは一旦深呼吸。心頭滅却明鏡止水。穏やかにして不動の心を持つのだ。おのれ淫魔。決して貴様の魔の手には屈し……おや、なんだ甘い香りが……なんだこの匂いは。花のような、果実のような……! この女! さては香水を振っておるな! そうか分かったぞ! この淫蕩なる芳香で男をたぶらかしているのだな! やはりこいつは魔女だ! 魔女め魔女め! その手には乗らぬぞ! タネさえ割れれば理性で勝てる! 抗え……抗え俺よ! この浅ましき性欲の化身に、男の意地を見せてやるのだ!



「……だ…………」


「……だ?」



 言うぞ! 言うぞ! 俺は言うぞ! 見事に! 偉大に! 高らかに! この女に断固拒否する意志を示すのだ! 「駄目だ御免被る」と!





「だ、駄目な訳なかろう! しかしなんだそんな理由か! 笑わせてくれる! まったく、いくら女子とはいえ小心が過ぎるのではないか!? ま、良いがな! さて! では早速担当する項目を選ぼうではないか! どれどれ! お! 立ち幅跳びなぞ良いのではないかな!? なかなか趣がある! 立ち幅跳びで良いな!? 立ち幅跳びで決定だ! 時間は午前中にしよう! 面倒事は早めに解決した方がいいからな! よし! 我々は午前中の立ち幅跳び担当だ! それで異存ないな!?」



「は、はい……立ち幅跳びで良いです……」



 高笑い。用意された用紙に二人分の名を記載。

 いいか? これは決して原野の策略にはまった訳ではない。色々と考慮した結果、ここは敢えて、罠に飛び込む決断をしただけである。考えてもみれば俺もまた一人。この女以外に相手が見つかりそうもない。ならばさっさと組を決めるに限る。それにだ。下手な言葉を吐いて断ったとあらば、それこそ妙に意識をしているようで体面が悪い。絶対に悪い。確実に悪いのだ。悪い事というのは即ち善くない事。つまりは避けねばならないという事である。

 このように、様々な要素を多角的に鑑みた結果、此度の補助係、原野と組む事が最善であると判断したのだ。それ以外に理由はない。ないぞ。本当にないんだからな!



「それでは、一時解散しよう。立ち幅跳びは第ニグラウンドで行うようだ。午前中は確か一年からだったから、貴様も萎縮する事はあるまい。さっさと済まし、このくだらぬ一日を終わらせるとしよう」


「はい。分かりました。ありがとうございます。それでは、また後ほど……」





 原野め。去り際に淑やかな笑みを見せおって。つい心奪われてしまいそうになったではないか。気に入らん。しかし、奴の良人とはいかなる男か気になるところではある。あの天性の魔性を射止めた益荒だ。きっと豪放豪傑にして豪快な伊達男なのだろう。うむ。御誂え向きに俺は一年の立ち幅跳び担当だ。暇潰しに、どれが原野の男であるか、見繕ってみるか……おっと、こんな時間ではないか。俺も一旦教室へ戻らねばな。しかしまったく、あぁまったく、面倒な事になった。考えたくはないが、原野に瘤が付いていなければ、まだ楽しめただろうになぁ…………








 第二グラウンドは一度正門を出なければならない。そこまでの上り坂がまた急な事急な事……一歩踏み出す毎に息が切れる。いったい何を考えてこんなところにグラウンドを設置したのか。設計した人間は頭がおかしい。


 へいこらと身体を揺らしながら到着。これでは体力測定どころの騒ぎではない。というより、俺の体力が落ちている気がする。そういえば最近、運動はおろか外出もあまりしていなかったな……寝てばかりの休日とは、退職後のサラリーマンか俺は。いかんな。次の休みは、少し身体を動かそう。巷ではボルダリングだのヨガだのが流行しているらしいからな。そうした活動で、街の奥様方と共に爽快な汗を流すのも悪くはない。我ながらいいアイディアだ。後で近場のスタジオやクラブを探して……と、あれは原野ではないか。早いな。毒牙にかかりそうであまり近付きたくはないのだが、まるきり無視というのもおかしな話である。仕方がない。行くか。


「早いな。原野」


「田中様」


 おのれ。やはり此奴、美人だ。だが惑わされんぞ! 貴様のテンプテーションなど、気合いで跳ね除けてくれるわ! さぁ、くっちゃべっている暇はない! 仕事だ! 仕事をするのだ! 


「やる気は十分のようだな。結構結構。よし。それでは、ちと早いが準備をしてしまおう。俺は机とトンボを持つから、貴様はメジャーを頼む。場所は分かるか?」


「はい……ですが、その内訳ですと、田中様の負担が……」


 原野め。目など潤ませよって何のつもりだ。どうせ他の男にも色目をつかっているのだろう? その目で幾人もを騙し、遠回しに貢物を要求したり、下僕の様に扱ってきたのだろう? 甘いな。その様な手が通じるものか。俺はあくまで、自主的に力仕事を引き受けるのである。魔性に障り、貴様の手には余る労働だと考えたわけでは断じてない! 俺が運びたいから運ぶのだ! さぁ行くぞ! 我が魂よ! 使命に燃えよ! 戦慄け男気!



「では、先に机を持ちに倉庫まで行っておるぞ! 貴様は精々、ゆるりとメジャーを持って参れ! ではな!」







 さぁ倉庫から机を持ち出し運んでみたが、いかん。重い。

 高笑いを響かせたのはいいが、思ったより重量がある。また、体調不良のせいもあり足がおぼつかない。さして陽射しが強いわけでもないのに汗がナイアガラだ。喉も渇く。

 不覚であった。よもや此れ程まで消耗していたとは……一応えいこらと進んではいるが、目標距離までようやく半分といったところか。行きはよいよい帰りは怖い。か。とんだ童歌もあったものだ。それにしても今日は暑いな……意識がなくなりそうだ……あぁ……暑い……













「田中様!」



 何だいったい何事だ! と、目の前にいるのは原野ではないか。なぜ貴様がここにいる。


「どうした原野。メジャーは持ってきたのか?」


「はい。持ってきました……いえ、それよりも田中様です。大丈夫ですか? 待てども待てどもお見えになりませんので心配になって来てみたら、机に突っ伏しておられるではありませんか。おまけに酷い汗です。見た所、具合が芳しくないようですが……あの、少し、失礼致します……」


 手が! 手が触れた! 俺の額に原野の手が触れてしまった! 原野! あぁ原野よ! 心配しているフリか原野! 原野! 原野! いい加減にしておけよ原野!? 俺は誘惑されぬといっているだろう! だから、頼むからその硝子玉のような瞳を! 濡羽色の姫カットを! 湿った唇を! 可憐な鼻を近付けないでくれ! まったく! ふざけるなよ!


「田中様! 熱い! 熱いですよ!? 大丈夫ですか!?」



 煩い喚くな! 今は熱より情欲が問題だ!



「なに! 心配いらん! 春の陽気に誘われて! つい転寝してしまっただけの事! うむ! 良い寝心地であった! さて! では行くかな! さらば原野! 遅れるでないぞ!」


 

 机を持っていざ出陣。先よりも更に重く感じるのはどういうわけか。まぁ、良い。ともかく脱出だ。原野の近くいるとリビドーが抑えきれん。まったく今日は厄日だ! あぁ! 神よ! 願わくば、俺に安らぎを与え給え!



 と、何だ、急に机が軽く……



「半分持ちます。田中様、どうか無理をなさらないでください」


「いや、しかし……」


「二人なら、苦労は半分。です」



 ま、眩しい……原野の笑顔が……おのれ魔女め!


 ……まぁ、良い。此度は折れてやる。確かに、意地を張って倒れでもしたら、お笑い種だからな。



「そうか……ならば、頼もうか。すまぬな。まったく、自身の不甲斐なさが恥ずかしいよ」


「そんな事ありませんよ田中様。さぁ、供に行きましょう」



 二人なら、苦労は半分か……確かに、あれだけ重かった机が、随分楽なものだ……しかし……しかしあぁまったく、二人だなんて言葉は、俺には縁のない話で泣けてくるな!



「田中様、大丈夫ですか?」


「仔細なし! 汗が目に入っただけよ!」



 机は軽かった。だが、心はいつになく重かった。この枷を、俺はいったいいつまで背負わねばならぬのか……考えただけでも、哀れになってくる。いやはや、まったく、人生とは、かくも、かくも……

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