貴様が測るのではない。俺が測るのだ!1

 本日は健康診断。及び、体力測定である。

 昨日、佐川と訳の分からぬ茶会を開いたせいか調子は不良なのだが、サボタージュを決め込んでも結局は日を改めてやらねばならぬ。そんな間抜けをするのもまた馬鹿馬鹿しく、であれば、さっさと済ますのが吉だろう。よし。是非もなし。登校だ!


 朝食を摂り、身支度をして学校へ。やはり身体が重い。だが、やらねばならぬ。周りが通常授業をする中で追診断、追測定など、生き恥以外の何物でもない。おまけに、馬鹿丸出しの体育教師に「立ち会いのほどお願い致します」と、頭を下げねばならぬのだ。そんな屈辱許せるものか。それだけは絶対に避けねばならない。そう。絶対にだ!





 不退転の意思を貫き無事到着。教室で騒めく馬鹿どもの声が頭に響く。朝くらい黙れぬのか。不愉快極まりない。


「おはよう田中君。大丈夫かい? 顔色が優れないようだけれど」


 佐川のじぶたれ。気安く側によって来るんじゃない。だいたいなんだお前。開口一番に「顔色が優れないようだけれど」とは失礼千万。貴様の顔よりは余程血色豊かだと鉄拳混じりに説明してやりたいくらいだが、パブリックスペースにて狂乱しようものなら漏れなく異常者のレッテルを貼られてしまうだろう。遺憾ながら、それは避けなければならぬ。拳はステイ。口で追い払おう。



「佐川君。お察しの通り俺は体調が芳しくない。そのお喋りな口を噤んでくれると、大いに助かるのだがね」


「それは申し訳ない。配慮が足りなかったようだね。本日は健康診断と体力測定。受けれぬようなら、後日に追で測るという屈辱を受けなければならぬからね。どうぞ、お大事に」


 佐川め。あざとく両手で口を塞ぎおって。まぁ良い。時間はまだある。睡眠だ。睡眠を取ろう。回復に専念せねば。斯様な状態でも健康診断ならば容易にパスできるだろうが、体力測定はそうはいかん。無理を押して卒倒しようものなら末代までの大恥じ。欲はかかぬ。この際結果はどうでもいい。ともかく。やりきる事が第一。故に体力の保持は必須。さぁ……寝よう……





「田中! 田中はいるか!」


 何だ騒々しい! 病人を叩き起こす馬鹿は一体誰だ! ……数学の有村ではないか。何だ、急に。また小テストの事で小言を言いにきたのか。顔に似合って執念深い奴。まるで蛇だな。まぁここで騒ぎを起こすのは得策ではない。黙って話を聞き、さっさとご退治願おう。



「有村先生。なんでしょうか」


「貴様に今日の健康診断と体力測定の補助を命ずる! 今すぐ保健室へ行って説明を聞くように! 以上だ!」


「え? あの……」


「拒否権はない」


 何という恐怖政治か! いきなり面倒事を押し付けられて反論の余地も与えられぬとは! 話など聞かず寝たふりをしていればよかった! まったく教師というやつは自分が権利者だと感違いしている節があるが、有村はそれが特に顕著である。税金で生きている分際で許し難き傲慢。人間的に愚かである。

 そのような者に対しこのまま黙って引き下がっては大和男の名折れ。よかろう。驕りきった地方勤務の犬風情に一言物申してくれる!


「あの!」


「拒否権はないと言ったはずだ」


 有村め。凄みよる。目が座っているではないか。顔に浮かんでいる景気の悪さが更に増しているぞ。大恐慌だ。しかしそんな事で怯むわけにはいかん。俺は奴に言わねばならぬ事があるのだ!


「もちろん異論は御座いません! 先日の小テストにて粗相を働きし我が身なれば、如何様な罰をも受ける所存にございます! が、有村先生が何故私めをご指名なさるのか、それが分からねば、与えられた任に身が入りませぬ! それ故、恐れながら申しますが、私を御推挙していただいた理由をお聞きしたいのです!」


 平身低頭なれど、理不尽に異を通す交渉術の高等テクニックである。最初に非を認め、散々話を聞いた後にこちらの要求を飲ませるのだ。相手は教師。いかに恥知らずとはいえ、立場的に弱者である生徒を虐げるような真似をすれば良心の呵責も生まれよう。そこに漬け込む。


「……担当しているテニス部の一年が風邪を引いて休んだのだ。雑務を二年にやらせるわけにもいかん。だから貴様がやれ。そうすれば、先日の小テストの件。水に流してやる」


 なるほど。何とも旧態じみた体育会系の概念よな。この時代に上下関係の徹底とは度し難い。だいたい俺も二年ではないか。自分の部活の人間が舐められるのはよくて俺はいいというのか。身内贔屓も甚だしい! 頭に蛆でも湧いているのはないか? 手前勝手にも程がある。


「以上だ。先にも言ったように貴様に拒否権はない。だが、もしそれでも嫌だとほざくようであれば、来年も二年をやる事になると心得よ」


 脅迫か。ありきたりかつ、ハッタリとも取れる言動ではあるが、もし本気であったならば……癪だが、ここはおとなしく有村に従う他ないか。水に流すも何も、先日の件は既に落着しているはずなのだが、まぁ後でまた蒸し返してくるやもしれんしな。仕方がない。折れてやるか。


「なんと深き慈悲の御心でしょうか! 有村先生の菩薩が如き寛大な御処置、恐れながら感服の至りでございます! この田中、本日頂きました先生のご恩、生涯を通し忘れる事ないでしょう! 誠、ありがとうございます!」



「うるさい。早く行け」


 長々と感謝の念を述べてやったのになんという言い草だ。有村め、完全に自分を特権階級の人間だと思っているな? これだから教師というのは嫌なんだ。ろくに社会を経験した事もないくせに、先生先生と持て囃されているから客観視ができなくなる。裸の王様だな。だが、そんな事を面と向かって言おうものならここまで忍んだ恥が無に帰してしまう。さっさと話を切り上げよう。


「仕りました! これより田中、保健室へと参りまする!」


 木っ端教師の有村に左手敬礼! さ、さっさと教室を出よう。


 廊下を駆ける。あ、いかん。忘れていた身体の重さが蘇ってきた。体調不良は未だ継続中という事か。隙間時間を回復に当てられなかったのはかなりの痛手だ。今日一日が無事に終われば、もはやそれだけで大金星であろう。変わらぬ日常は尊い。その尊い日常を得る為に、俺は走っているのだ。悪鬼羅刹が如き有村に屈し敗走している訳では断じてない。これは、精神的な自由を得る為の前進なのである!

 加速! 減速! 到着! いつの間にやら保健室! 扉を開けていざ入室!


「二年の田中です! 有村先生の命により、本日健康診断。並びに体力測定の補助係を務めさせて頂きます! 若輩者の身なれど意気は十二分! どうぞ存分にお使いください!」


 高々と名乗りをあげたぞ恐れいったか!? うん? 視線を感じるな。利根(保健体育)と佐々(保険医)と顔の知らぬ学徒(おそらく一年)が、こぞって俺を見ているぞ? しまった。言葉過剰であったか。



「田中。元気なのは大変よろしい。だがここは保健室。幸いにして現在床に伏せる病人は居らぬが、場所を弁え、自重せよ」


 利根め。知ったような口を利きよる。しかしその美貌故、許そう。女の保健体育教師で美人ときたら、抗う術がない。


「さて、人員が揃ったようなので、説明を始める。といってもやる事は至極簡単。貴様らは二人一組となり、体力測定は記録の記入。健康診断は並んでいる生徒の統率と管理を行う。後は頃合いを見て、貴様ら自身の項目を測る……それだけだ。何か質問はあるか?」


「……」


「なければ、勝手にグループを作り、やりたい項目に名前を書き込んで解散。その後は各自仕事に当たる事。以上だ」


 説明は終わった。しかし俺には一つ問題がある。一年しかいないこの中で、どうやって二人一組を作るかという問題だ。仲のいいもの同士、同じクラスの者同士でグループができていく。俺の隣に立つのは、孤独しかいない。あぁ、なんと悲しき宿命であろうか。案山子のように立ち尽くすばかり。間抜けな面をしているのが、自分でも分かる。なんと哀れで情けない話だろう。俺は恥ずかしい! 生きてはおれん! 腹を切る!



「あの……」


「おわ!? なんだ!?」


 突然肩を叩かれた。なんだ。こんな俺に声をかけてくるのはどこのどいつだ。笑いにきたのか? なんなら貴様が介錯人を務めるか? 



「誰だ貴様は! 名を名乗れ!」



 怒鳴り散らしながら後ろを向くと、女が一人。「ひっ」と、小さく悲鳴を上げる姿がまるで小動物のようである。まさか、此奴が俺の肩を……


「あの……突然お声掛けしてしまいまして、申し訳ありません……私、一年の原野と申します……」


 控え目な声での自己紹介。ふむ。中々唆るものがある。ここは紳士な対応をしよう。


「いや、こちらも済まなかったな。して、原野とやら。何用か」


「はい……あの、田中さん。宜しければ、私と組を作っていただけないでしょうか……」


 身体をもじとくねらす原野を見て俺は思わざるを得ない。我が世の春がきた! と。

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