試験などに俺は屈しない!8
再試験当日。
放課後の空き教室に集められた落第生。数はざっと十。学級関係なく集められた不適合者達が試験ギリギリまで教科書と問題集を開き最後の悪足掻きをする様は惨めという他ない。
女々しい!
実に女々しい!
今更そんな事をして何になるというのか。残り数分しかないのだぞ。無駄な事はせず、堂々としておれというのだ。
……
そら見ろ。有村めが入室してきおった瞬間そそくさと仕舞う始末。あーあー筆箱など落としおって見ちゃおれん。なんだ? 未練がましくテキストの表紙を見ている奴もいるぞ? やめろやめろ。もう何もできぬ。腹をくくれ腹を。
しかし有村め。相変わらず偉そうな不景気面だな。見ているだけで気が滅入る。なるべく関わりたくない人種である。
だが、そうも言っておれん。この日のために立てた計画。実行せねば男が廃る。機は開始直前だが、急がねば再試が始まってしまう。さぁさあ。早く早く……
おっとその前に…
「マイクテス。マイクテス。聞こえるか。こちら田中。over」
マイクを立てて通信検査。どうだ。聞こえるか佐川。
「こちら佐川。聞こえるよ田中君。それにしても、ついにこの日が来てしまったね。僕は、やはり納得はいかないけれど、引き受けた以上は仕方なく……え? あ、は、原野さん! 近い! 近いです! いったい何を……え、あ、あぁ無線! 無線ですね! 田中君と話したいんですね! 了解です! しからば、マイクをどうぞ!」
「あーあー。聞こえますか田中様。私です。
なんだ。ふざけているのかあいつらは。
それにしても、「唯一にして絶対の手段」か……
馬鹿め! そのような事あるものか! 俺を誰だと思っているのだ! 田中だ! 田中だ! 田中だぞ! 不正など、俺には必要がない!
人は窮地に立たされた時、往々にして自らの足を悪しき道へと踏み入れる。それはしかたなき事。人は誰しも弱い心を持っているものだからな。
だが……だがな! その弱き心を払拭し、再び悪道から正道へ立ち戻れるのもまた人間なのだ! そして! 俺は人間の中でも神に選ばれし者! 凡人と違い過ちは即時修正可能! 一時の悪心、恥に思うが良い勉強にはなったぞ原野よ! そして! 今その授業料をここで支払ってくれるわ!
「佐川。原野。これから俺が言う事をよく聞いておけ」
これより語るは一方通行。故にover outのサインは不要。
行くぞ俺! 気合いを入れろ! 悪に勝て! よし! 起立!
「静聴せい! 静聴せい! 皆の者! この田中の声をしかと聞け!」
浴びる視線と騒めき。良きかな! 観衆よ! 田中の
歩行よし! 立ち位置よし! 覚悟よし! 眼前には有村! よし! 完璧だ!
有象無象の声は既に俺の気迫に呑まれ、立ち込める異様な空気は、今から行う俺の告白に相応しい緊張を含んでいる。
時は満ちた! 灼熱の意思により育まれた俺の決意は今! 燃ゆる不死鳥となって現れ羽ばたいている! その決意をいったい誰が破れるというのか! もはや誰にも止められぬ! いざ見よ俺の潔さ! 男の生き様篤と知れ!
「有村先生!」
一声威勢共によし! さすが俺だ! 腹が決まっている!
「申し訳ありません! 私! 田中はこの度の再試! カンニングを行おうとしておりました! ですがこの度思い直すに至り! 清廉潔白な状態で再試に挑まさせていただきます故! どうぞよろしくお願い致します!」
響めき! 俺の耳には今それがファンファーレに聞こえる! 落第者共の呻きが胸を張らせる! 見たか聞いたか思い知ったか! これが! これが! これこそが! 男田中の生き様よ! さぁ教室犇めく馬鹿共よ! 讃えよ俺の心意気! 崇めよ俺の高潔さ! 世界に遍く讃歌を束ね! 俺の耳へと届けるがいい!
「おいあいつ馬鹿だぜ」
「流石田中だ。馬鹿さ加減に隙がない」
「あいつ芋ひきやがった」
「いっちょ噛みだ」
……
貴様ら。
誰だか知らんが声は覚えたぞ。次その悪声を俺の前で発したが最後。産まれてきた事を後悔するような報いを受けてもらうからな!
……おや? 有村の手が俺の肩に……ははぁなるほど。青春ドラマよろしく青臭い茶番を演じたいのだな? よかろう付き合ってやる。さぁ、台詞を述べよ有村!
「……田中。貴様の合格点を五点引き上げる。死ぬ気で挑む事だ」
血も涙もないのか公務員! 普通こういった告白を受ければ「よくぞ言った!」と手心を加えるものだろう!? おのれほざくのではなかったわ! 自らの首を絞める事になってしまうとはな!
「……全霊をかけて再試を受けさせていただきます……」
「そうか。さっさと席へ戻れ」
ままよ! こうなれば自棄だ!
佐川! 貴様に教わった算術! 無駄となったら承知せぬからな! あぁ! 忌々しいプリントが到着しおった! か、身体が震える……喉が渇く……寒気とも暑気ともとれぬ不気味な気配が背筋を走る! うぅ……ナンマンダブナンマンダブ……いかん。駄目なきがする。こうなれば神頼みだ! 釈迦よイエスよブラフマーよ! 田中は心を入れ替えました! もう二度とカンニングなど企てませぬ故! どうか我に救いの光を与え給え!
「用紙は行き渡ったか? よし。では始め」
開始! 刮目! 解答! いざ! 勝負!
どうだ! いけるか! いけないか!? あぁ田中よ! 俺よ! 困難は乗り越えられるものしか来ぬのだ! だから頑張れ! 諦めるな! 今日のお前の働きが明日への希望に繋がるのだ! 頼むぞ俺! 頼むぞ田中! 普段見せぬ底の力を見せてみよ!
……
………
……………
…………
……
「終了だ。後ろからプリントを回せ。結果は追って伝える。それでは解散。帰ってよし」
無情なる終了の報せ。項垂れ一人、廊下を歩く。
正答数は感覚的にギリのギリ。あと少し考える時間があれば安堵のため息を吐けただろうが……やはり未遂のカンニングなど告白するのではなかった。一時の感情に絆され自縛してしまうとは……笑えぬ話だ。そういえば、「感情を制御できない人間はゴミ」というような台詞がガンダムにあったな……俺はゴミか……産業廃棄物ならぬ、出産廃棄物であったか……哀れすぎて涙すら出ん。もう駄目だ。生きていく希望がない……死のう……
……?
なんだ。前方よりこちらに駆けてくる人影発見。廊下を走るな。校則を守れ。誰だいったい
……おや、よく見ると知っている顔だな。
「田中君! 田中君! 田中君!」
佐川である。はしゃぐな。何用だ。
「無線越しから聞こえた台詞! 僕は打ち震えた! あれぞ男の心意気! 意気地を見せたね田中君! いや! 感動! 感動した! 感動したよ田中君! 僕は君のような男と同じ星に生まれてよかった!」
うるさい喋るな馬鹿。元はといえば貴様が原因で犯してもない罪の告白をせねばならなかったのだぞ。自重せよ。
「佐川君。ちと待ちた……」
「田中君! 今日は是非一杯奢らせてくれよ! 僕は君に感謝の気持ちを伝えなくっちゃあ気が済まないんだから! さぁ行こう! ルノアールでいいかい!?」
腕を掴むな離せ! 俺はまだ挨拶も返事もしていないだろう! まずこちらに話しをさせろ!
「では行こう! すぐ行こう! 二人で青春を語らいあおう!」
駄目だ。まるで聞く耳がない。こうなったら実力行使で……
いや、その必要はないようだ。鎮静剤だか興奮剤だか知らんが、この阿保を黙らせる奴が現れた。
「おや。お二人共、随分楽しそうですね」
「は、原野さん!」
来おったな魔女め。よくぞ俺の前に出てこれた。その面に唾を吐きかけてやろうか。
「原野さん! 申し訳ありません! 一人先走ってしまって! 貴女とて、田中君の勇姿を讃えたかったはずなのに……」
「いいえ。おかまいなさいませよぬう……それより田中様。本日は大変お疲れ様でした。再試の方はいかがでしたか?」
よくもいけしゃあしゃあと抜かすものだ! やってみて分かったが、此度の再試、最初から正直に佐川に教わっていれば楽に突破できるレベルであったのだ! それを貴様か悪魔の囁きのせいで途端に留年の危機だ! どうしてくれる!
「問題ない! 万事良好よ!」
だが取り乱すのも情けない。ここは余裕を見せつけよう。
ちなみに万事良好なわけがない。もちろん虚勢である。だが、これ以上魔女に弱みを握られるわけにはいかん。ここは食わねど高楊枝。男の意地をみさらせい!
「まぁ! 流石でございます! 田中様!」
「そうだろうとも! 俺は流石だ! 馬鹿にするなよ一年め! 我が人生には一抹の汚点もなし! 正道こそ我が行く道よ! 世に吹く風は俺と共にあるのだ!」
興が乗ってきた! 気分が良いぞ! 絶好調だ!
「よ! 田中君! 日本一!」
佐川の下手な太鼓も今日は許そう! 無礼講だ!
「田中様! 祝杯を上げましょう!」
「よし! ついて参れ!」
連れ立って、いつもの如くルノアールで宴会を開く。少しばかり騒ぎすぎた為に、いつもいるケツのでかい女に注意されたがそれもまた思い出。忘れ難き青春の一ページである。
そして再試結果発表の日。有村に名を呼ばれ、奴の目の前で立ち尽くす。
「田中。貴様、自分の合否、どちらだと思う?」
「さ、さぁ……分かりかねます……」
まな板の鯛を嬲りものにするとは何たる性格の悪さか。生かすも殺すも貴様次第であろう。早うせい。立っているのも気怠いわ。
「一点……」
「い、一点……」
「うむ。一点だ田中。実に僅差であったな」
「そ、そうなんですか……」
「そうだとも。いやしかし、たかが一点。されど一点だな。人生というのは、こういった僅差の出来不出来で、大きく道が変わっていくもののように思える。それを胸に留めておくんだな」
「は、はい……しかと……」
焦らしすぎた! やるなら一思いにやらんか!
「……合格だ。首の皮一枚で繋がったな」
「……! あ、ありがとうございます! この田中! 努力した甲斐がありました!」
勝った……勝ったぞ! 買ったのだ! 俺の勝ちだ! カンニングなどせずともよかったのだ! よくやったぞ俺! 最高だぞ俺! 俺はもはや敵なしだぞ俺! おれは正義を通し勝利を我が手にしたのだ! まったくこれ以上の成果があるだろうか!? いやない! 降りかかる邪気を払い、幾重もの試練を乗り越えて! かつてない頂に立ったのだ! 俺は今! 熱烈に感激している!
「それと、茶屋であまり騒ぐなよ。遊ぶなとは言わんが、最低限の節度を持つよう心掛けよ」
「え?」
「貴様、よく公園横のルノアールに行くだろう」
「は、はぁ……よくご存知で」
「あそこの女給は、俺の女房だ。言っていたぞ。貴様らが入ってくると、いつも騒がしく、おまけに尻ばかり見てくるとな」
「……」
「当然カンニングの事は露見していた。黙っていたのならすぐさま不合格としていたところだ。良かったな。貴様のあの判断は正しかったぞ」
「お、恐れ入ります……」
再試はパスした。だが、俺の憩いの鹿鳴館が、少しずつ現実に侵食され、どんどんと色褪せていくように思えた。そうか……ケツを見ていたの、バレていたのか……
まぁいい。ともかく危機は脱した。これでしばらくは平和でいられるだろう。いや大変だった。今日は早く帰って寝てしまおう。しばらくは何もしたくない。お疲れだ俺。よく頑張った。感動した。フカフカの布団が待っているぞ。今夜は熟睡だ。いい夢を見れるように祈っておこう。これにて、一件落着。よかったよかった。
……あのでかいケツを想像し、俄かに昂ぶっていたのは、墓の中まで持っていく事にする。
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