この俺が働いてやろう!1

 豆腐の山を見つめる。

 画一的、均一的に並べられる四角形の一つ一つに大豆の面影は一切ない。ただの白い塊だ。その白い塊を、六十八円と書かれた値札の後ろにせっせと並べ山を作る……まったく、資本主義に毒された浅ましい行いだ。大豆の死体を捻り潰し練り固めた残酷無慈悲なる人間の業の産物を同じく人間の業が詰まった金という汚物と交換する俗悪極まりない下賤なる所業。貴賎を問えば間違いなく賎となるだろう。そのような悪行をなぜ俺が俺がせねばならぬのか……それもこれも、あの腐れ教員の木下のせいだ。今にして思えば、完全に嵌められたという他ない。おのれ木下め! たかだな担任だという理由で勝手を言ってくれおって! あぁ! 思い出しただけでもはらわたが煮え繰り返る! 一度追憶の箱を紐解けば! まろび出る恥辱の過去が蘇ってくのだ! あぁ恨めしい恨めしい……あの時のホームルーム……忘れたくとも忘れられぬわ!








 授業終わり。いつもは早々に終わるはずのホームルームであったがその日は様子が違った。教室へ入って来るや否や、木下はわざとらしく、深くため息を吐き、虚栄なる特権を振りかざさんと、その薄汚い手を教壇に叩きつけたのだ。



「実に面倒な話になった。既に知っている者もいると思うが、本年より、職場体験学習が二学年より実施される事となった」


 巻き起こるブーイング。当然だ。そのような悪習、俺達は一年の時既に経験している。あれは辛かった。鉄と油の臭い漂う工事で、ひたすらビスをヤスリで磨くだけの六時間は、錆びと一緒に指の皮と自我が削られていくのである。そのくせせっかく磨いたビスはあまり使われず、再び酸化し焦げ茶色に変色していくのだ。あのような時間を浪費する作業。二度と経験したくない。



「もっとも、貴様らは一年の頃に既に行なっている故に全員参加という事はない。したがって、各クラスで代表者を一名選出する事となった。誰か立候補する者はおらぬか?」


 ……


 間抜けか。誰が好き好んであのような人生なの無駄遣いをするものか。誰も自ら挙手などせん。らちが明かぬ。故に貴様が決めよ木下。それが担任の責務であろう。


「……おらぬか。ならば仕方がない。田中。貴様が行け」


「……なんですと!?」


 突然湧いて出た災難! 何故だ! 何故俺だ! 俺なのだ! ふざけているのか木下! 貴様にいったい何の権利があって俺を贄に指名するのだ! 甚だ不愉快! 断じて許容できぬ所業である! そのような横暴! 絶対に承知せぬからな!


「木下先生! 私は左様な面倒、断固拒否させていただきます!」


 馬鹿め教員風情めが! 単位や出席日数が絡まぬのであれば貴様らなど恐るるに足らん! 地方公務員は地方公務員らしく、呑気な面して怠慢を拗らせ右往左往と慌てふためくがいい!


「そうか。なるほど分かった。では、他の人間にやってもらうしかないな……どうだ貴様ら。学年学力最下位かつ、部活動、課外活動において何一つ実績のない田中が嫌だと我儘を捏ねるわけだが……いくら適任だといっても無理強いはできん。誰ぞ代わりやってくれんか」


 悪意ある物言い……こいつ、扇動せんとしているな!? それでも教師か! 


「田中やれよ」


「そうだぞ落伍者。これを機会に社会を学び心を入れ替えよ」


「貴様がやらねば誰がやる。大人しく人身御供となるがいい」



 何たる言われようか! 奇しくも同じ年、同じ土地に産まれ、同じ教室で学ぶ仲間に対し敬愛の情はないのか!? 薄情! 軽薄! 人でなし! 俺一人が犠牲になれば終わりか!? 自分が嫌な思いをしなければそれでいいのか!? 浅い! 浅いぞ貴様ら! 人類の歴史は相互扶助と思いやりによって育まれてきたのだぞ! 試しに人という字を書いてみろ! お互いが支えあうようにできているだろう! 貴様らのような心無い人間はいつの世も痛い目に遭ってきたと知らんのか!? 考え直せ!


「田中。皆の声を聞いたか? 素直に貴様が犠牲になれば事は済む。今一度言うぞ。職場体験学習をして来い」


 ふざけるな! もはやただの吊るし上げではないか! より拒絶感が増したわ! ここで、はいそうですか。と役を担っても絶対に感謝などされず「当然だ」と、白い目を向けられるだけではないか! そのような事我慢ならん!俺は絶対に認めんぞ!


「お、お断り申し上げます……」




「何だと!?」


「ふざけるな落伍者!」


「地獄へ堕ちろ! 貴様には八大地獄すら生温いだろうがな!」


「死ね! 糞尿生産機!」


 馬鹿どもが喚きおるわ。発した瞬間降りかかる罵詈雑言である。だが、俺を憎むはまったく心外不快お門違い。本来であれば木下。いや、斯様な決断を下した校務に携わる人間の責であろう。それをなんだ貴様ら飼いならされおって。お上には逆らえんというのか。情け無し。うだうだと文句を言う前に、その劣悪なる根性を今一度鑑みたらどうだ。ま、いずれにしても俺が首を縦に降る事はないがな! せいぜい悪態を吐くがいい。その喉が潰えるまでな!


「誰に何と言われようと承服できかねます。他を当たってください」


「……田中。ご覧のように、クラスの人間は皆貴様が一番妥当だという事で意見が一致している。いわば、民意なのだ。これ以上、民主主義の原則に則った採決方法があるか? ないだろう。どうだ田中よ。ここは一つ、折れてみないか。貴様の、分かりました。の一言が皆を幸せにするのだ。それに、普段肥溜め以下の価値もないと思われている貴様の評価を上げるチャンスではないかな?」


 何が民主主義か。単なる数の暴力であろう。マイノリティの意見が握り潰される社会などソ連やナチスと同じではないか。少数派を切り捨てる民意など言語道断。民主主義とはまったく乖離した思想である。そのような、時代に逆行した論を持ってして人を説かんとするとは倫理感がまるで不足しているな。救いがたい。日本の学校教育はお先真っ暗だ。


「お言葉ですが木下先生。私は……」


「点数をやろう」


「……は?」


「来たる期末試験に際し、各教科に五点ずつ加算してやる。他の先生方にも許可は取っておく。特別だ。劣等生である貴様にとっては、喉から手が出るほど欲しいのではないか?」


 飴を出してきおったな。ますます持って末期めいてきた。だがお生憎だ。甘言は罠だとつい最近学んだばかりなのでな。どうせ何か裏があるのだろう。俺は騙されんぞこの悪党。


「残念ですが僕は……」


「一教科のみに絞り、十五点の加算でも可だぞ田中」


「十五点っ!?」


「そうだ。十五点だ。田中。話によると貴様、先日の実力試験。数学がギリギリだったそうじゃないか。今回はよかった。だが、次はどうかな? 数学の担当はあの有村先生……果たして残りの試験。無事突破できるかな?」


「……」


「使えるものは、使っといた方がいいんじゃないか?」


 ま、惑わされるな。奴の言葉だ。きっと裏に何かあるに違いない。振れるな……振れるなよ俺!


「そうだぞ田中」


「早くしろ田中」


「そういうところで決断できぬのが貴様の悪いところだぞ田中」


 うるさい黙れ! 愚民どもが知ったような口を聞きおって! しかし、しかし十五点……俺は……俺はどうしたら……!


「田中」


「田中」


「田中」


 うぅ……じゅ、十五点……十五点……じゅうごてん……じゅうご……


「さぁ田中。そろそろ時間もなくなってきた。決めよ。貴様の答えを今すぐに」



 う、うぅ……



「……ます」


「……何だ? よく聞こえなかった。もう一度、はっきり、大きな声で言ってみろ」


「職場体験体験学力……やらせていただきます……」


「よく言った! よろしい! 貴様を我がクラスの代表とする!」


「田中!」


「田中!」


「田中!」




 こうして俺は膝を屈した。巻き起こる拍手喝采。クラスの馬鹿供は皆笑顔で万歳をしている。苦渋の表情を浮かべているのは俺と、あれ程信奉していたにも関わらず一度も庇い立てしなかった佐川の二人だけであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る