この俺が働いてやろう!2
腹が立つのは佐川の冷血よ。あいつめ。俺が矢面に立たされているのを見ながら、声の一つも上げぬときた。口であれだけ慕っているとか惚れているとか言いながらなんたる薄情か。先のカンニング未遂事件に際して男泣きを見せつけおったが、あれは演技か。とんだ名俳優がいたものだな。
それにしても、ここに来てもう二十分は経つが未だ豆腐の積み上げしかしていないぞ。従業員に覇気はなく、女は暇を見つけては携帯電話を弄ったり、男は煙草を吹かしにいったり、婆は堂々と井戸端会議に勤しんだりとまるで労働に意欲がない。出入り業者がきても雀の囀りのような声で「あーはい」と不明瞭な挨拶をするだけである。店内の空気は頗る悪く、まるで浮浪者が支配する闇市のようだ。このスーパーの経営が成り立たなくなるのもそう遠くないかもしれんな。もっとも、地球が滅びるまで営業していたとしても、将来、俺がここで労働する事はないだろうが……
「おい」
おっと驚き何事だ。突如背後から聞こえた重い声。もしかして俺を呼んだのか? いやいやまさかだろう。斯様な悪魔の如き重低音を発する人間が俺に用などあるはずがない。きっと法律上摂取してはいけない薬を用いた不法侵入者が、豆腐の山を人間と錯覚して話しかけたに違いない。くわばらくわばら。触らぬ神に祟りなし。藪を突いて蛇を出す愚行をする必要はない。ここは無視の一手。パートタイマーの婆に申しつけられた通り、豆腐の積み上げを続けるとしよう。頼むから、その間から失せてくれよ薬物中毒者。
「おい。聞こえないのか高校生」
何だ。ヤク中にはこの豆腐が高校生に見えるのか。随分と洒落た制服を着ているようだな。純白の制服など、漫画やアニメやゲームでしか見たことがないぞ。
「おい。お前だよお前」
「え!?」
掴まれる肩。耳元には件の禍々しい声……恐る恐る振り返ると、金髪ピアノのステレオタイプなヤンキーがお一人……
「す、すみません! 豆腐積みに熱中しておりまして!」
怖い!
やめてくれ金などないぞ!? 蹴っても殴ってもお互い不幸になるだけだ! だから話し合おう! な!? 暴力程悲しい行いはないんだ! 俺と貴様も同じ人間! 話せば分かる! だから! 落ち着こう!
「今日、豆腐は発注不手際で数が過剰なんだ。陳列は午前と午後に分ける。それくらいで終わらせてバックへ来い。ミーティングをやるぞ」
「は、はい! 喜んで!」
なんだこいつ店員か!? まったく脅かしおって! 業務連絡ならそう言え!
「早くしろよ。営業時間は待っちゃくれないからな」
「はい! かしこまりましたぁ!」
……去ったか。よかった!
いやはや助かった……なんだ、見た目に反して存外いい奴ではないか。いや、やはり腐っても同じ人間。獣ではない。如何に見た目が異様でも、話は通じるのだな。続きの一文にはあえて触れぬが、天は人の上に人を作らずとは諭吉もよく言ったものだ。見た目で判断するのはまったくよくない。一つ勉強になったよ。よかったよかった。一件落着。さぁ、それではあのヤンキーの言う通り、バックヤードへ行こではないか。時は金なり。無駄にはできん。歩行開始だ。
それにしても、豆腐陳列を命じたあの婆め。おかげで寿命が縮まってしまったぞ。この落とし前、必ずつけてもらうからな!
そんなわけでバックヤードにきてみたが、皆で立ち並び息苦しい。小さなスーパーが何を大仰に会議するというのか。
……おや。
よく見なくとも、あの金髪がおらんではないか。
人に偉そうな事をほざきおって、自分が間に合わぬでは話にならんな。所詮はヤンキーか……
!
扉が突然爆ぜおった! 何事か!?
「おはようございます!」
うるさい! 左様に声を上げなくとも……何だ。誰かと思えば、貴様は先のヤンキーではないか。馬鹿丸出しのご登場。ご苦労な事だ。店長が来る前で良かったな。早う並ぶがいい。
……ヤンキーよ。なぜ列に並ばず、前に立つ。そこはお前の定位置か? まったく呆れたものだ。馬鹿は目立ちたがり屋だな。
「おはようございます!」
なんだ。左右両隣の端から端までが一斉に頭を下げおったものだから、釣られて俺まで礼してしまったではないか。まったく……なぜ俺がヤンキー風情に畏まらねばならぬのだ。将来有望なる俺とそこいらのドサンピンとは立場が違うぞ立場が。だが、なぜ周りの人間は誰も何も言わぬ。いくらやる気がないといっても、斯様な人間をのさばらせておくなど……
「本日は楠さんがお休みなので精肉の方は頑張ってください。それから鮮魚。昨日ブラックタイガーがかなり余ったので、惣菜チームに回して海老フライにします。陳列とレジはいつもと同じようにお客様優先で。言うまでもありませんが最速の対応と真心のこもった接客を。それから、今年からこの時期にも職場体験学習で高校生の子が来てます。三日間という短い間ですが、皆さん色々教えてあげてください。では、田中君。挨拶」
「は、え、ちょっと、なんでしょうか?」
「挨拶だよ。挨拶。自己紹介も兼ねて。できないのか?」
挨拶くらいできるわ! 俺が戸惑っているのは何故貴様が仕切っているのか皆目見当が付かぬからよ! 歳の頃見れば二十代前半。斯様な未熟者にいったいどうして指図されねばならぬのか!? 下郎め! 弁えよ!
「店長。あまり凄んじゃだめですよ。貴方、見た目怖いんだから」
店長?
婆めが言ったその言葉、意味は分かるが理解ができない。誰が? いったいどこのどいつが店長なんだ?
「男がそれじゃ駄目ですね。田中君。時間がないから早くしてくれ」
ウェイトウェイト。ナウローディングナウローディング。
……状況確認。現状把握。店長=ヤンキーの図式、認識完了。
嘘だろう? こんな若造が店長だと? 店一つを任せられている人間が、社会人にもなって髪を金色に染め上げてピアスを開けているような、常識の欠片もない、いつまでたっても学生気分が抜けきらぬようなうつけ者だというのか。俄かには信じ難い。よし。ここは一つ、俺自らが問いただしてやろう。ヤンキーよ。その薄汚い金髪が、単なるメッキでない事を証明してみせよ!
「あの……申し訳ないのですが、貴方が店長様であらせられるのですか?」
「そうだ。見えないか?」
見えぬは馬鹿たれ。
だが、それを敢えて口にするのも無作法極まる恥知らず。致し方なし。この裸の王様のような金髪に、言葉だけでも添えてやろう。
「いえ! 滅相もない! 店長の醸し出す威厳、重圧、リーダー性! 一目見た時から只者ではないと睨んでおりました! どうやら俺の目に狂いはなかったようです! いやぁそれにしても立派であらせられる! 俺もあやかりたい!」
我ながら見事な社交術。厚い上っ面である。見たかヤンキー。貴様には上等すぎる辞令であろう。これが社会人。これが処世術だ。その足りない脳にしかと刻むがいい。
「おい」
「は、はい!」
獣が唸るような声を出すんじゃない! 漏らしてしまいそうだぞ!
「見え透いた世辞を吐くな。耳が腐る。それと、俺はおべっかが嫌いだ。余計な事を喋るな。今お前の口から発していい言葉は、朝の挨拶と自己紹介だけだ。分かったか」
「ひぇい! わ、分かりました!」
恐ろしい! 何という人相だ! 気を抜いたら腰が抜けてしまう!
いかん。こいつは逆らったらいけないタイプの人間だ。下手を打てば無事では済まん。素直に従わなければ、こ、殺されてしまう!
「ほ、本日からお世話になります田中でございまする! 蝋燭に灯る微火が如き極々短い時間ではございますが! どうぞよろしくご教授の程よろしくお願い申し上げます!」
「はいよろしくお願いします。では解散。各自仕事をお願いします」
死ぬかと思った。ヤンキーめ。睨みを効かせすぎだ。
というかおのれ。自己紹介途中、何人かの婆が笑っておったな。顔は覚えたからな。貴様らがくたばった暁には、純白のタキシードを着て葬式に出てやるからありがたく思え!
「田中! ボサッとするな! 早く動け!」
は、はいただいまー!
「おのれヤンキー今に見ていろよ!」
しまった! つい本音が!
「何か言ったか!」
よかった聞こえていなった!
「よ、よしやるぞと言いました!」
「そうか! せいぜい頑張ってくれ!」
ふざけるな。誰がこんな賊な仕事を真面目にやるか! 万事適当に済ませておさらばしてくれるわ! どうせ、俺は将来斯様な労働はせぬだろうからな! 馬鹿のように威張り腐りおってヤンキーめ、いつか貴様を顎で使ってやる。それまでにせいぜい肩幅を効かせておくんだな!
「まだか田中!」
「た、ただいま!」
糞めが! そう急かさなくとも今行くわ!
……まぁいい。ここは奴の天下。いちいち腹を立てても仕方がない。今はともかく、これからの三日間を無事に乗り越える事を考えよう……
あぁまったく、面倒な事になった……
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