俺が返り討ちにしてくれる!5
早朝に起床。いつもと違う今日。目覚ましの音に畜生と呟きよっこいしょ。
いつもならまだ寝ている時間であるわけだから欠伸が止まらぬも無理からぬ事。あまりの眠さにそりゃ韻の一つや二つ踏んで
ともかく起きよう。いざ起立! 着替えは完了! さぁ飯だ!
部屋を出て今。向かうは居間。湧き上がる朝食のイマジネーション! 腹が減ったぞさぁ食べよう!
と、テンションを張ってみたものの、心に刺さった小さな棘が、どうしたって俺を苛ませるのであった。
「あらおはようございます。早いのですね」
「……ちくと用事がある」
「そうですか」
むぅ……やはり気まずい。母は何も思っていないようだが、あの私的三者面談以来、どうも接し方を忘れてしまった。別段悪事を働いたわけでもないのに、顔を合わせると、兎角、苦しい。
「朝ごはんはもうできていますから、ご自分でよそってくださいね」
「あぁ……そうする」
弁当を作る母を見る。
痩せた背中が、ヒラヒラと左右に揺れる。普段は抜けているのに台所では主婦の姿が堂に入っている。未だに不味い飯を作るときはあるが、仕草だけは一丁前に厨の人ではないか。俺と再び暮らすようになってからほぼ毎日を炊事をしているわけだから、当たり前といえば当たり前なのだが……そうだな。改めて思えば、苦手な料理を、もう何年も続けているのか……
……いかん。急に涙腺が仕事をしだした。悟られぬよう、すぐにティッシュペーパーで拭わねば……
「あら、どうかしましたか?」
「あ、いや! 何でもない!
気取られた! いや、じっと見つめるばかりで、飯を食うそぶりも見せなかったのだ。気になって振り向くのも当然だな。落ち着け俺よ。咄嗟の事だったが、しっかりと顔は隠せたはずだ。母にとって今日は、少し息子が早く起きてきただけの、僅かな変化すらない朝のままであろう。どうかこのまま変哲のない一日を過ごしてくれ。
「……貴方、大きくなりましたね」
!
「な、なんだ突然……」
「いえ。何でもないです」
訳が分からん。毎日見ているのだから、体躯の成長など分かっているだろうに。あぁまったく、どうして母親というのは、時折理解不能な面を見せるのか考えが及ばぬ。親の心子知らずといは本来こういう時に使うのではないだろうか。
……どうでもいいな。食事だ。さっさと食べてしまおう。白米。よそい、納豆を混ぜ……ふむ。準備は完了では……
「いただきます」
……
「美味しいですか?」
「まぁまぁだ」
「そう。なら、次はもっと上手く作りますね」
「うむ。期待している」
今日は時折不味い日だ。だが、それでも俺は、出された料理を残すなど考えもつかない。つまりは好きなのだ。味云々ではなくこの人の料理が。
「ご馳走様だ!」
完食し、身支度を済ませ家を出る。いつもより早い世界の色は、いつもより薄く、静かで、涼やかで、そして何より、綺麗に思える。本日も良い陽射し。満点である!
「おはよう世界」
日毎に呟いているツイッターの文句を現実世界で言葉に出してみる。
お? 思議な事に、柔らかな風が俺の合間を通っていき、「おはよう」と耳打ちをしていったように思えるな。にくい演出だね。どうも。気分がいい。少し走ってみよう。うむ。身体も心も軽い。煩わしいものが、悩みが全てが世界に溶け込み、綺麗に洗い流されたような気がする。よし、このまま目的地まで走ってみよう。風の吹くまま、空の続くまま……
……
「……なぜ、そう発汗していらっしゃるのですか? 息も荒いようですが……」
早いな原野。約束の十五分前だぞ。
「は、な、な、なに……す、少し……き、き、気分がよくて、な……は、走ってきたのだ……」
「そ、そうですか……」
辿り着いたのは学校とは反対にある公園。
昨日、ルノワールから追い出された後、佐川の色呆けが、「心配だから!」と、登下校する原野の護送を提案したのだったが、うぅむやはりいかんなこれは。しかし反対したくとももはや乗りかかった船どころではなく、沖合の漁船くらいに深入りしてしまった為、「あいわかった委細承知」と了承せぬわけにはいかなかった。義理を通すというのは難儀な事だな。
しかし、疲れた。まさか止まらず走りきれるとは思わなかった。「まだいけるんじゃないか?」「もう少し苦しみを味わってみよう」と、言い聞かせ続けていたらいつの間にやらだ。ひょっとしたら俺は陸上競技の才能があるのかもしれん。ちょいと練習すれば、フルでサブスリーも目じゃな……うん?
「……おかしくないか?」
「……何か変でございましょうか?」
「俺は走ってきたのだ」
「えぇ。それが何か?」
「その甲斐あって、十五分も前にこの場に到着した」
「そうですね」
「にも関わらず、なぜ、貴様は俺より先に待っているのだ。十五分も前なんだぞ? 早すぎるんじゃないか?」
「……気分転換です」
なるほどな。そうか。なるほどなるほど。気分転換か……
……
うむ。おちょくってみるか。
「嘘だな! 貴様、さては、一緒に登校するのが楽しみで、居ても立っても居られなくなったな!?」
「……!」
「……?」
なんだ? 頬を絡めたぞ? 風邪でも引いたか? それとも林檎病……
そんなわけあるか! という事はなにか? 図星かこいつ!?
「た、たまには今日みたいな日があってもいいなと思っただけです!」
おうおう更に顔を赤らめよる。冗談で言ったつもりがまさかの的中とはな。俺も内心驚いておるぞ? しかし、よもや魔女に左様な人間性が残っておったとは……存外、可愛いやつではないか。
「た、田中様こそ! 早すぎではないですか!? それに年甲斐もなく駆けたりして!」
ほほぉ。恥ずかしさのあまり俺を非難するか。なんともはや救い難い。
少々腹は立つが、この程度の事に憤慨するのも大人気ないな。どれ、ここいらで、できる男の余裕というやつを見せつけてやるとするか。
「そうだな。いやぁ、つい浮かれてしまっていたよ。失態失態」
早朝の公園にこだまする高笑い。なんと崇高な事だろうか! これは確実に、間違いなく、絶対的に素晴らしい画になるに違いない! そう! なぜなら俺は! まさに世を支配するに足る風格を持っているのだから!
「……」
「なんだどうした浮かぬ顔だぞ原野よ。腹でも痛くなったか?」
気遣いも忘れない。これぞまさに大人の男ではないか? なぁ原野よ。
「いえ。田中様の馬鹿笑いを聞いて、少し冷静になれました。ありがとうございます」
なんだと失礼な奴め。
「そんな事より、私とした事がお礼を言うのを忘れておりました。わざわざ朝早くに、ありがとうございます」
「……」
先の非礼は詫びぬか。まぁいい。此度は見逃してやる。俺とて朝から怒りたくはないし、何より慣れぬ長距離疾走で身体が悲鳴をあげている。無駄に使えるエネルギーは微塵もない。
「礼なら佐川君にするのが良いだろう。それより、先ほどから俺の膝が爆笑し続けていてな。どうにも起立姿勢が億劫故、座して待たぬか」
膝関節が外れそうだ。よもやコンクリート上の走破がこれほどまでにダメージを与えるとは思いもよらなんだ。佐川が来る前に、回復せねば。
「……なんだか、おじいさんみたいですね」
「……おじさん? 貴様、おじいさんと言ったのか? この俺に向かって?」
「はい。おじいさんです」
「……」
……薄々勘付いてはいたが、やはりこいつ、俺を舐めている。
……いいだろう。そちらがその気なら、その喧嘩買ってやる。怒りたくはなかったが是非もなし! よろしい! 戦争だ!
「……貴様、もう少し歳上を敬ったらどうだ? 俺は寛大だが、あまりに過ぎれば看過できぬぞ?」
冷静なうちに言葉だけは選んでやろう。だが、爆発へのカウントダウンは始まっているぞ! さぁ、図に乗って反を唱えるがよい。その言葉が、貴様の遺言となる!
「……そうですね。申し訳ございません」
え? 謝罪?
「せっかく、
「あ、いや、お、俺は何も、そんなつもりで……」
おいおい。止めぬか左様な態度は。どうしたらいいか分からぬではないか。梯子を外された気分だぞ。
「……こちらも言いすぎた。貴様は腹は黒いが、笑顔は良い。先までの悪態は水に流してやるから、どうか笑ってはくれまいか」
えぇいどうして俺が此奴を励まさねばならんのだ!
「……すみません。らしくないですね、私ったら……」
「いや……」
おのれ! かける言葉が見つからん!
「……少し、お話しして、いいですか?」
「な、何を……」
「私の心情というか、気持ちを、です」
「あ、あぁ……と、突然だな……だ、だが、き、聞いてやる……」
原野の何とも言えぬ表情と纏う空気。拒否する選択肢を封じられてしまった。いったい、何を聞かされるのだ俺は……
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