試験などに俺は屈しない!2

 再試に際し(洒落ではない)一つ問題があった。それは、あの佐川の陰気もやし眼鏡に裏切られた為に、体力測定の時と同じく、俺一人で再試を受けねばならぬはめになったという事である。


 佐川よ! 忘れぬぞ! テスト返却の日を! 忘れぬぞ! 貴様の卑劣非道を! 





「田中君! なんとか赤点は免れたよ! 君の言う通り、若さを発揮してよかった!」




 おのれおのれおのれ! 佐川め! 腑抜けた顔で球蹴りやら球投げやらをやっていたと思ったら、余裕綽々だったのは試験をパスしていたと確信していたからだったというわけか!? 小癪なやつめ! 奴の顔が脳裏に浮かぶ度に沸々とした怒りが腹の底から蘇り、晴らせぬ恨みが居場所を求めて身体中を駆け巡る! 憤怒! 確かに、奴が勉学に秀でているのは知っていたがしかし! あの口振りからして普通は落第したと思うだろう! それがどうだ! まんまと出し抜かれたわ! あぁ憎い憎い! 佐川の馬鹿たれが憎くてしょうがない! 憎過ぎて広げた問題集を解くのにも身が入らん!  机に向かって早二時間! 未だに一問も手が付かぬのはあやつのせいだ! おのれ佐川め……恨めしや……恨めしや……この償いは、必ずしてもらうぞ……必ず……必ずな!






 翌日。







「というわけで、佐川君。君には俺に試験対策を伝授する義務がある。どうか、度し易く教え給え」



 登校一番。そして開口一番である。佐川め。断ればどうなるか、分かっていような!



「何が、というわけで。なのかは今一つ分からないけれど、田中君の頼みならば勿論協力するよ」



 当然であるが、佐川め。そういう素直なところは認めてやろう。貴様の数少ない美点だ。その精神、努々忘れるでないぞ?



「それでは、本日放課後喫茶ルノアールにてご教授願いたいが、どうか?」


「委細承知。田中君。頑張ろうじゃないか」



 なんだ。妙に声を張り上げおる。やけにやる気ではないか佐川よ。そういえば、ルノアールはいつも一人で利用していると言っていたな。珍しく人と触れ合うことができ、感情がおかしくなっているのだろう。だがな。俺は貴様と馴れ合うつもりはない! さっさと必勝法を聞き出しおさらばよ! 斯様な陰気者と一緒にいてはこちらまで辛気臭くなってしまう故な! せいぜい、一人でコーラとミルクレープを楽しむがいい!



「佐川君。端的に、明瞭に、是非に頼むよ」



 一応頭を下げはしたが、心までは貴様に平伏してはおらぬからな! 図に乗るなよ佐川! 放課後に覚えておけ!







 そんなわけであっという間に放課後。廊下。


 不愉快な空腹が俺の胃袋を刺す。育ち盛りの俺は大層空腹。しかし食うものもなく高楊枝。まったく、購買の在庫不足は何とかならぬものか。夕方以降、腹が減って仕方がない。



「田中君。それでは早々にルノアールへと行こうじゃないか!」



 佐川め。はしゃぎおる。お遊び感覚では困るな。



「佐川君。僕は君に勉学の手解きを頼んだのだ。それを、そのように軽薄に振る舞われたら堪らない」



 本来であれば肉体に礼儀を叩き込むところであるが、今こやつとの関係を崩すわけにはいかぬ故、苦言を呈すだけに留めておく。



「それもそうだね。すまない田中君。許してくれるかい?」


「いいとも。許そう。君と俺の仲だ」



 口ではこう言っておくが、決して許しはせぬからな! 死ぬまで覚えておくから覚悟せよ!



「さすが田中君! 三国一の大豪傑!」



 そうだろうとも。俺は曹操信長ラーマに並ぶ偉大なる男! 現代においては三国どころかあまねく世界に比類する者なき規格外の大器である! そんな俺と、形だけでも交友を結べるのだからありがたく思えよ佐川! 



 高笑い。腹が減っているせいかよく響く。うむ。美声だ。



「あら。どこかで聞いた高笑いだと思ったら、田中様ではございませんか」



 背後からの声! 何奴! 振り向きざま確認! 眼前に立つは……



「は、原野……」


「どこか、行かれるのですか?」



 貴様か原野。この前はよくも俺の純情を踏みにじってくれた。あの時の借りはいずれ返す。しかし。



「なに。ちょっと男二人で喫茶店へな! たまには学校帰りに茶をしばきながら青春の二文字について議論するのもやぶさかではないという話になったのだ!」



 今はそれどころではないのでな。今日のところは見逃してやる。



「それは何とも楽し気な催しでございますね。しかし、殿方ばかりでは、些か彩に欠けるのではありませんか?」


 何だ原野。その品定めするような目つきは。言っておくが(言っていないが)貴様を誘う気などさらさらないからな? 拐かす汚らわしき魔性を招き入れる事への危機感もあるが、なにより俺が試験に落第したのを知られるわけにはいかぬ。男には、体裁というものがあるのだ。



「原野よ。本日は生憎と定員が決まっていてな。申し訳ないが日を改めて……」


「是非に!」


「……佐川君?」



 おい佐川。



「是非に共に行きませう! いや、僕も、男二人では春に散る桜のような語り合いはできないと思っていたのです! 貴女との出会いは正に僥倖! 天が授けたる奇跡に等しい! さぁさあ! この佐川めがエスコートします故、どうぞよしなに!」



「まぁ。どなたかは存じませんが、ありがとうございます。嬉しいです」


「み、身に余る光栄! 大変恐縮であります!」



 佐川よ。貴様、原野に惚れたな? いやそれはいい。他人の色恋沙汰に首を突っ込む無粋を俺は知らぬ。しかし、しかしだ。本日貴様は、俺に試験の必勝法を伝授する役割があるのだぞ? 何を色呆けているのかという話である。そのような淫奔なる女に現を抜かしている暇はないのだぞ。分かっているのか? 佐川よ。



「佐川君。君、そんな調子のいい事を言ってはいけないよ? 本日は二人で茶を啜り、明るい学校生活について語らう約束だったじゃないか」



「大丈夫だよ田中君! 勉強なんて三人でもできるのだから!」


「あら、お話しではなく、お勉強をなさるのですか?」



 佐川! 馬鹿か貴様! 何を口走っているのだ! そのような発言をしたら、俺が再試を受けると露見しかねないではないか!



「そうなんですよ! 実は、この田中君が数学の試験に落第しまして、この佐川めが、彼に手解きをする予定なのですよ!」



 おい佐川。



「それはそれは、難儀なお話で……しかし田中様。試験に落第してしまうとは、少々普段のお戯れが過ぎるのではありませんか?」


「まさしく! この田中君は男前ではあるのだけれど、度を越してしまう事が度々……」


「佐川君! お喋りが多いのではないかな!?」


「おっと。そうだね田中君。確かに、君の醜態をベラベラと喋るのは礼を欠いていたよ。本当に申し訳ない……」



 佐川。貴様は今、俺の抹殺帳簿に名が載ったからな。覚えておけよ色白マッチ棒。いつかその球体のような頭部を摩り下ろしてやるからな!



「……ともかく、さっさとルノアールへと参ろうじゃないか」


「私もご一緒してよろいですか?」


「致し方ない。ただし、邪魔はしてくれるなよ」


「モチ(勿論の意らしい)です! さぁ行きましょう!」


 騒がしい事だ。鬱陶しい事この上ないが、まぁいい。許してやろう。考えてもみれば、男二人で喫茶店に居座るというのも気色の悪い話である。周りから奇異の視線も集めるやも知れぬし、女の一人や二人いた方が、何かと都合がいい。なにより原野の美貌。これがいい。平均以上の顔面をもつこの女と共に歩けば、傍から見た俺の株も相対的に上昇する事請け合いである。平素から愉悦のこもった目で見下してくる色魔共を見返す良い機会だ。これを逃すは愚策であろう。行くぞ! 我ら三人! 生まれは違えど茶飲み処は一つ! 





 こうして俺達は三人連れ立って、件の喫茶店。ルノアールへと向かったわけである。

 途中、「用事がある」とか、「気紛れよ!」とか言ってわざと人通りの多い道を選んび原野といるところを見せつけてやると、好奇の目が集まりすこぶる気分が良かった。が、問題はやたらめったら喚く佐川の純朴ぶりである。まったく煩くて仕方なく、ややもすれば物笑いの種になっているのではないかという危惧もあった。しかし、遠巻きに見える男共の浮ついた表情によりそれが杞憂であると確信。なぜなら、奴らの視線の先には、柔らかな悪魔的な微笑を浮かべる、原野の姿があったのだから……

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