試験などに俺は屈しない!3
ルノアールへ到着。尻のでかい安産型の店員に案内された席は四人掛け。さて。誰が何処に座るかという問題だが……
「佐川君。君は原野の横に座りたまえ」
ノートと問題集を広げる際、隣に人がいたら邪魔でかなわん。貴様ら二人とも大人しく肩身狭く座るがいい。
「じょ、女性の横に座るだなんて、そ、そんな破廉恥な! 第一、は、原野さんが嫌かもしれないし……」
これは存外愉快。佐川め。女慣れしていないにも程があろう。さては日々のシュミレーションを怠っておるな? 哀れな奴め。勉学一辺倒だからこういう不測の事態に対処できんのだ。やはり人間、頭でっかちではいかん。物事に対し高度な柔軟を維持しつつ臨機応変に挑むには想像力と経験がものを言う。身体的だけではなく精神的にも近眼の佐川には、それが圧倒的に不足しているようだな。男としては失格。落第。不適当。いかん。いかんぞ佐川。精進せねば貴様はこの先、益荒男が未使用のまま果ててしまう事になる。今の内に過去の不覚悟を猛省し、遅まきながら最初の一歩を踏む事だな!
「私は構いませんよ。それに、隣に誰かいたら、田中様の学習に障りますでしょうし」
「そ、そ、そうかな……そうかも。そうだね! そうとも! そ、そ、それでは、お隣、失礼仕る! ぇいやー!」
なにが「ぇいやー!」だ。いや、いい。佐川の叫びを無視。迅速に学習準備に取り掛かろう。馬鹿に構っている暇はない。
いや待て。俺はその馬鹿に教えを請わねばならぬのだから、奴の奇行を捨て置くわけにはいかぬではないか? そうだな。そうだそうだ。えぇいまったく忌々しい! 世に数学などなければ、斯様な面倒は背負わずとも済むというのに!
「は、は、原野さん! す、好きな物を頼んでください! ここの会計は、こ、この佐川が……いえ、男佐川が持ちます故!」
「まぁ頼もしい。それでは、お茶と、ケーキをいただいてもよろしいですか?」
「ケーキ! ケーキ! おぉケーキよ! なんと甘美な響きであろうか! 僕はかつて、此れ程までにケーキという単語を美しいと思った事はない! あぁ! それはまるでエリュアールの詩の一節のような繊細さ! 舞台に立つマリアカラスの歌唱のような優雅さ! 貴女の一言により、僕の中のケーキという存在がパラダイムシフトを起こしました! その存在は神聖不可侵かつ絶対的な美の象徴であり! 天が授けた永久不滅の象徴として我が一族の間で語り継がれる事でしょう! ケーキ万歳! 苺万歳! ホイップクリーム万歳! スポンジ万歳! カロリー万歳! 洋菓子職人万歳! 小麦万歳! 砂糖万歳! 牛乳万歳! 農家万歳! 物流業者万歳!」
落ち着け佐川。集まる視線はコキュートス。とんだチンドン屋となっているぞ。見てはおれん。
「佐川君。落ち着きたまえよ。今の君は冷静さを失している。見てみたまえよ店中を。人々の視線が今、一斉に君へと集まっている。まるで大物俳優が如き扱いじゃないか。いつの間に君は銀幕の大スターになったんだい? 自分を客観視すべきではないかい?」
「……! こ、これは失礼いたしました! は、原野さん! 並びに田中君! お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ない!」
せっかく座したというのにどうしてまた立つのだ佐川よ。ほら見ろ。貴様のせいで原野まで立ち上がってしまった。これはでは俺まで起立しなければならないではないか。だいたい、貴様が痴態を晒したことではなく、それにより冷視を浴び恥をかいた俺に対して謝罪すべきだろう。それに俺が原野の名が並べられているのも、あまつさえ、原野の方が先に名が上がるも腹立たしい。
が、許そう! 寛大なる俺は、格別な慈悲の心を持ってして、貴様に破格の恩赦を与えてやろう。そうでないと先に進まぬらかな。
「私は気にしていませんよ。愉快な方だと思いますけど」
「やや! ほ、本当にございますか! なんと広大なる人間の器! その人徳は現代のガンジーといっても過言ではない! 恐れ入りました!」
だからなぜ貴様原野に……
……我慢だ。
もはや佐川の阿保はのぼせ上がっておる。何を言っても無駄だろう。耐え忍び、熱が冷めるまで待つしかあるまい。
「ともかく座ろう。俺たちはまだ、飲み物すら注文していないのだからね」
「そうですね。では、 佐川さん、ご一緒に……」
「はい……佐川……隣に座ります……」
ようやく着席。給仕を呼びオーダー。それぞれコーヒー。紅茶と苺のコンポート。コーラとミルクレープを注文。それにしてもあのウェイトレスの尻がでかい。どうも目を取られてしまうな。どうでもいいが。あ、佐川と原野がまた茶番を始めたぞ。勘弁してくれ。仕方がない。俺は粛々とコーヒーを飲むとしよう。味は分からん。分からんが、冴えるにはコーヒーが一番だ。
しかしせっかくだ。こうなったら二人の茶番を、酒の肴ではなく、コーヒーの豆菓子代わりにしばし見物してやるか。
「佐川様は、ご趣味などはないのですか?」
「はい! アニメーション作品を観ることです! しかし昨今は失笑もののシナリオに判で押したような画。そして、ろくに演技のできない声優のおかげで視聴するに値しない作品が……」
ゆっくり見ていようと思ったがその辺りにしておけ佐川。そのように早口でまくし立てては聞かされる人間にとって受難であるぞ。だいたい貴様、趣味を聞かれてアニメーション作品の鑑賞はないだろう、原野の奴は間違いなくそんなものに興味はない。
「そうなんですか。凄いですね」
ほら見ろ。先ほどから「そうなんですか」と「凄いですね」の二言が出た。この言葉は「興味がない」の代替語だという。お前は完全に眼中から外れたぞ佐川。だいたい話すにしても、天地無用やセイバーマリオネットは駄目であろう。九十年代のオタク向けアニメや漫画など瘴気そのもの。間違っても惚れた女に語るべき作品ではないぞ。どうしてそれが分からん。
「佐川様は、大変博学でいらっしゃるのですね」
「いえいえいえいえ! 僕の知識などは浅瀬も浅瀬! 真に作品を愛する者として、まだまだ精進せねばと日々思っておりまする!」
痛々しい奴。そんなところで謙虚になってどうする。これだからマニアは嫌なのだ。自信がないくせに自身の知識をひけらかしたがる。もっとも、何故か尊大に「そんなことも知らないのか」と、したり顔で聞いてもいない話をしてくる輩もいるのだから、そういった人種よりはまだ佐川のような卑屈の方がましではあるが、いずれにせよ、付き合い難い連中ではある。
と、いうよりだ。佐川も原野も、話す聞くばかりでちっとも茶が進んでおらぬではないか! 佐川! 貴様のコーラは既に炭酸が抜けてしまっているぞ! そんなではちっとも清涼感が得られぬではないか!
「佐川君! そろそろ、学習の方を始めたいのだがね!」
いい加減我慢の限界だ。いかに仏の田中と噂されている俺にも限度がある。苦言を呈し、それでも態度を改めぬのであれば是非もなし。貴様の血をもってして落着としてくれようぞ!
「そうだった! 田中君! 本日は重なる非礼、誠に申し訳ない! では、今すぐに!」
うむ。分かってくれたか佐川。やはり素直さだけの佐川である。そう。分かればいい。分かればいいのだ。さぁ、さっさとノートを開け! 貴様の知識の根源を白日の元に晒け出すのだ! 地味にコツコツと築き上げできた努力の結晶を、俺の為に吐き出すといい!
「田中様」
なんだ原野。貴様と話している暇はないのだ。おとなしく茶を啜っておれ。
「それでは佐川君。頼むよ」
「え? あぁ、うん……」
さ、勉強勉強……
「あの、田中様」
ええいうるさい奴め! 貴様など無視だ無視! さっさとコンポートを平らげてしまえ!
「田中くん。原野さんが、呼んでいるようだけど……」
佐川! 貴様もか! まだ分からぬか愚か者め! もう我慢ならん! そこになおれ!
「佐川君! 何度も言うが、本日は学習の為にここにきたのだ! それをなんだね先ほどから! くっちゃべってばかりで、まるで気が利いていない! 見たまえよ! 君の目の前にあるコーラを! 哀れな事に、もう気泡が立っていないじゃないか! そんなになるまで、いったい何をしていた! いいや言わなくていい! 俺が代わりに教えよう! 喋っていたのだ! そこの原野と共に仲良くくっちゃべっていたのだよ! 試験必勝法を伝授するという約束にも関わらずね! いいかい佐川君! これ以上、俺の時間を無駄に浪費してくれるな!」
つい声を荒げてしまった。佐川がしょげ返ってしまったな。だがまぁ仕方がないだろう。俺は正論を吐いている。何一つ間違ってはいない。佐川も原野も、今日は俺の試験対策の為の集まりであると元より承知のはずで。それをなんだ! お遊び気分か! 原野がなんだと言うのだ! ふざけるなよ!?
「田中様。その試験に関するお話しなのですが、騙されたと思って一つ聞いていただけないでしょうか」
なんだ原野。退かぬか。初対面とは打って変わって、随分と堂々としているではないか。
……よかろう。気に入った。聞くだけ聞いてやる。ただし、内容如何では即刻退場してもらうからな! 心して口を開けよ!
「いいだろう。言ってみよ」
さぁ原野
「無駄な努力などせず、カンニングを行えば容易に試験をパスできるのではないかと」
時が止まる。
佐川の方を見る。案の定、「何を言っているんだ」という表情をしている。一方、発言した原野は一口紅茶を啜り、「すっかり温くなってしまいました」などと、柔らかな笑顔を浮かべる。なんだ子の時間は。俺はどうしたらいいんだ。
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