試験などに俺は屈しない!4
この女は本気だろうか。いや、本気なのだろう。奴の澄み切った瞳には虚偽の影がまるで見えない。故に、目の前の女に対し呆れ返る以外の感情が抱けない。
愚かな……俺にカンニングなどという浅ましい違反行為を勧めるとは……舐められたものだな。原野め。下衆の度が過ぎる。人生に対し、自ら負い目を背負うは下郎の思想。王道を歩む者には似合わぬ完全なる邪道である。誰が歩くか。そのような汚れた道を! しかしまったく、よりにもよって、この俺に邪法を持ちかけるとは。まるで釈迦を拐かそうとした魔羅のようだな。退散せよ悪鬼悪霊。俺は屈せぬぞ。
「あ、冗談ですか原野さん。なかなかユニークな方でいらっしゃる!」
「いえ。私、
……
「え、あ、うん……そっか……
呑まれよったな佐川。肝の小さな奴よ。
だが原野。俺はそうはいかん。そこな傷心の小心と一緒にしてくれるなよ? 如何なる論法を用いるつもりかは知らぬが、聞くまでもない。貴様の甘言など聞く耳もたん。不正など匹夫の嗜み。気高き王の品位を持つ俺には似合わぬ下賤な手段よ!
「悪いな原野。俺はカンニングなどせん。男として、堂々と立ち受けるのみよ」
「なぜ、カンニングが男らしくないのですか?」
おっとそこに疑問を挟むか。どのような教育を受けてきたのか知らんが貴様、正気か? もはやこの女、倫理や道徳が欠如していると認識せざるを得ない。うむ……類は友を呼ぶというが、此奴と、あの川島とやらが深い仲であったのは必然だったのかもしれんな。外道同士、お似合いだったのだろう。
だが、俺を貴様らと一緒にしてくれるなよ! 気高き血は穢れんという事を思い知るがいい!
「そのような事、答えるまでもないだろう。不正を是とする筋があるか! 恥を知れ!」
どうだ! 言ってやったぞ! 聞いたか魔女め! これぞ真の男の心意気! 貴様がこれまで見てきた野郎は出来損だったのだ! 大方、大和魂を持たぬ木偶ばかりで、骨のない軟弱者ばかりを相手にしていたに違いないのだ! だが俺は違う! 俺を一緒にするな! 俺は男の中の男なのだ! いいか! 篤と思い知れ! 貴様が今! 相対するこの田中こそ! 現代に生きる! 最後の武士! ラストサムライであるとな!
「さすが田中様。なるほどご立派なお考えです。その胆力、昨今の殿方には持ち得ぬ至宝でございましょう」
そうであろうそうであろう。分かればよいのだ分かれば。貴様は俺を讃え、その美貌を持ってして俺の傍で微笑んでおればいいのだ!
「なれど」
なれど? 原野。なれど。とはなんだ。貴様、俺に意見する気か? 片腹痛いわ! 聞く耳持たん!
「さぁ、佐川君。勉強を始めよう。まずは、何ページから始めたらいい?」
「田中君。原野さんが……」
一睨みで佐川を黙らせノートに集中。もはや言葉は不要。さっさと始めるぞ。
「田中様。蛮勇は大成ならず。愚直な突貫は真の勇気に有らず。負け戦は即ち、匹夫の勇というものです」
聞き捨てならぬ言葉である。
言うに事欠いてこの女、この俺が匹夫だと? ふざけるなよ! 愚弄するのも大概にしておけよ!? 魔女如きが、誰に口を聞いていると思っているのだ! 田中! 田中だぞ俺は! 俺はこの田中だぞ!
「原野。今の言葉。侮辱とみなす。即刻取り消してもらおう!」
取り消さねば、いかに女であろうが鉄拳制裁だ! いや、女を殴るのはよくないから、何らかの方法で貴様に制裁をしてくれる! よく考えて次の言葉を選ぶがいい!
「失礼致しました。敢えての無礼。お許しください。しかしながら田中様。困難に対し、正攻法のみを用いて挑む事が、果たして勇気と言えるでしょうか」
「……何が言いたい」
「目的は手段を正当化致します。逆に言えば、目的を達成できなければ、あらゆる手段が否定されるのです。それは勿論、正々堂々と戦って勝てればそれに越した事はありません。しかし田中様。貴方様は既に、一度敗しております。二度の失敗は許されません。で、あれば、どのような手段を用いてでも確実に勝利を手にせねば、それこそ、殿方の名に恥じるのではないでしょうか」
なんだ。何を言い出すかと思えば、ただのマキャベリズムか。原野よ。確かに、貴様の弁も一理ある。だが、男の世界には勝ち負け以外にも咲く花があるのだ。それを知らぬは、女の哀れさよな。仕方がない。理解できるかは知らぬが、語ってくれよう。戦の花を!
「負け戦は男の誉。西郷隆盛しかり土方歳三しかり。歴史に名を残した男達も、己が生き様、死に様にてそれを証明しておる。故に、全霊を持ってして挑み敗れるとあらば本望! それこそが男児の本懐! 俺は、惨めに生き延びるより、花のように美しく散りたいのだ! 女には分からんだろうがな!」
見たか聞いたか思い知ったか魔女原野! これぞ俺の、男の意気地! 貴様の粗末な哲学などに、微塵も付け入る隙はなし! 見逸れろ! 見惚れろ! そして感じよ! 滾り滴る俺の心意気を!
「素晴らしい……素晴らしいです田中様! 京は見誤っておりました! 留年すら恐れぬその胆力! 恐れながら感嘆の至りにございます!」
そうだろうそうだろう褒めよ褒めよ! 我が威光の前に平伏し生涯の寵姫と……うん? 留年?
「留年? 留年とはなんの事だ原野」
「はい。進級できず、再び同じ学年で学び直す事でございます」
そんな事は知っておるわ! 馬鹿にしているのか!
いや待て。落ち着け俺。なんだか嫌な予感がする。一旦冷静になろう。深呼吸だ深呼吸……よし。心と頭、冷却完了。聞く耳よし! 理解準備よし! さぁ、話しを続けよう!
「そうではない。なぜ、留年などという言葉が出てくるのかと聞いているのだ」
「田中君。有村先生が授業に言っていたじゃないか」
横からなんだ佐川。有村の馬鹿が何を言っていたというのだ。
「な、何を……いっていたのかぁ佐川君。有村先生が……」
「君、本当に聞いていなかったのかい? 期末、実力。両試験で落第し、再試さえも及第点に至らなかった者は、単位を与えるに値しない。って、最初の授業で……」
……初耳である。
「有村先生の厳しさは、私達一年生の間でも有名なんですけれど……田中様は、それを存じていなかったのですか?」
知るかそんな話。一年の時も二年の時も数学の時間は睡眠だ。いや待てよ。そういえば、一年の頃、補修に際し数Iの野本が「有村先生はこんなに甘くないぞ」とかなんとかほざいていたような……
「佐川君。君、此度の数学、どれだけ取った?」
「え、七十二点だけど……」
さ、佐川で七割弱か……
「……クラス最高は?」
「確か、羽山君の七十九点だったはずだよ。彼もかなり悔しがっていたね。ずいぶん勉強したのに。って」
羽山……佐川以上に勉学しか取り柄のない、あの血色の悪い失調気味の小坊主ですら八割取れんのか……
「田中様。そうお気を落とさず。私、来年田中様とご一緒に学校生活を送れると思うと、嬉しくて仕方ないんですから!」
……
「田中君! 先に僕が卒業してしまっても、ずっと友達でいようね!」
……
「田中君!」
「田中様!」
……人類史というやつは、いつだって翻意と離反と二枚舌と掌返しと裏切りによって成り立ってきた。それは、国家や社会ばかりではなく、個人間でも行われる、いわば呼吸のようなものであり、一閃に煌めき終わるような儚き個人の一生であったとしても、常に人は、それまで身や心を置いていた場所とは真逆の方へ向かうものである。そう、それは、世の常であり、人の性であり、つまりは、俺も……
俺も、その流れに乗らねばならぬ時が、きたのかもしれん……
「……腹を決めるか」
「田中君?」
「田中様?」
「致し方なし。この田中、カンニング仕る!」
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