試験などに俺は屈しない!5

 コーヒーを一口。うむ、ぬるい。だが目は覚めた。これから始まる原野のカンニング指南を耳に入れるにはちょうどいい覚醒具合。どれ、どのような策を用いて教師を欺くのか聞かせてもらおう。




「カンニングといっても今は多種多様な手段がございます。古来よりペーパーを作ったり他人の答案を盗み見るなどといった方法がございますが、それらはもはや時代遅れ。現代日本はハイテクにより隆盛を極めし国なれば、必然、アナログな手法は淘汰されています」


「ハイテク。というと、どのような?」


「そうですね。よく使われるのは、消しゴムにミニフィルムを仕込み、両内が拡大鏡になる特徴眼鏡を用いて答案を見る方法です。これは私が愛読しております筒井康隆の小説に出てくる手法なのですが、中々どうして実用性が高く、眼鏡とフィルムさえ用意できれば容易に行うことが可能です」



 なんだ。ハイテク。と、いっても、やり方自体は原始的なものではないか。それにその方法は暗記が役に立たず数学では使えん。せいぜい方程式の確認程度だ。俺が必要としているのは完璧な解である。半端な不正ならばやらない方がいい。



「しかし、もうお察しかとは思いますが、これでは応用力が必要な理数系の科目に対し十分な効果を発揮できません。したがって、ここからが本題となります」



 なるほど。ここまでは枕代わりという事か。焦らしよる。



「それで、どのような方法をとるのだ」


「はい。無線を使います」


「無線? そんなものを使おうものなら、即座に露見してしまうのではないか?」


「そうですね。通常の無線なら、そうなってしまうでしょう」


「……つまりは、通常ではない無線を使うと、そういう事だな?」


「ご明察です。さすが田中様。実に聡明でいらっしゃる」


 

 なんだか見下されているようで腹の立つ言い草だ。後輩のくせに生意気千万ではないか。だが、毒食らわば皿まで。乗りかかった船である。罪の内情を聞いた以上、俺に選択肢は残されておらん。もはや、この魔女の言葉に耳を傾けるしかない。



「どのような無線機を使うのだ?」


「それはですね……」


 鞄を漁っているところを見ると、どうやら現物があるらしいな。用意周到な奴よ。面白い! 魔女が持つ、呪われしアーティファクトを見せてみよ!


「これを使います」



 ……ペンと眼鏡。

 なんの変哲も無い、ペンと眼鏡である。


 悪い冗談か? それとも、馬鹿にしているのか? はたまた、近視になるまで勉学に励めという事か?

 ふざけるなよ! 俺が腹を決め! 泥をすする思いで決断し! 恥を忍んで不正の手解きを受けているというのに何だ貴様は! 


「こちらのペンの先端はマイクになっており、ほぼ無声でも声を拾う事ができる最新機です。眼鏡の方は肢が骨伝導スピーカーになっていて、音漏れする事なく音を聞く事が可能です。この二つを用いて……」



 なるほどそういう事か。完全に理解した。早とちりを許せ原野。



「問題文を読み上げ、外部の人間に解かせる。と、いう事だな?」



「はい! その通りです!」



 まるでスパイのようだな。少し心が踊ってしまう。

 だが、俺が行わんとしているのは不正である。悪道を歩むという事を心に留め、平常の心意気を持っておかなくてはならない。


 それにしても、屈託のない笑みを浮かべよって原野め。随分と慣れた様子ではないか。上っ面は優等を気取っているが、とんだ素行不良っぷりを見せおる。どうやら、不真面目なのは異性間交際だけではないようだな。悪逆の限りを尽くす魔女め。此度は火急の自体故従ってやるが、次はこうはいかんぞ。必ずや貴様の極悪を正し、掌の上で右往左往する猿のように扱ってやろう! その時まで、せいぜい首を洗って待っているが……




 まて。




 一つ大事な問題があるぞ。と、いうより、この問題が解決せねばカンニングなど夢のまた夢……発案者の原野が気づいていないわけもないだろうが、一応聞いておこう。



「して、誰が問題を解く? この仕組み、共犯者がおらねば成立せぬぞ」



 原野は学年が違う。頭脳秀でたものであれば予習として後に学ぶはずの単元を習得していようが、此奴はカンニングをするような人間である。期待はできん。



「それでしたら、私の隣に」


「え?」



 なるほど……そうか。そうだな。佐川がいたな。この秘密会議に参加している以上、共犯は免れない。貴様のその無駄に高い学力。俺の為に使ってもらうぞ。「え?」などと間抜けな息を漏らしている場合ではないからな。一人だけ罪の呪縛から免れられると思うなよ?



「……ぼ、僕は……」


「頼むぞ佐川君。君だけが頼りなのだからね」


「佐川様。美しき友情を京に見せてください!」


「……ぼ、僕は、普通に勉強した方が……」



 日和る気か佐川! そうはさせんぞ!



「……佐川君。この喫茶店に入って、どれだけの時間が経過したと思う? そう、後五分で丁度一時間だ。その間、君は何をやっていた? 隣に女を座らせ、ネオン街に足繁く通い詰める中年のようにだらしなくくっちゃべっていただけではないか。佐川君。俺はね。本日は君から数学を学ぶ為にここにきたのだよ?。恥を偲び、同級生である君に頭を下げたのだ。その結果がこれだ。ほら、もう一時間経過してしまったよ? この失われた一時間でできた事、学べた事は山のようにあるはずだ。その貴重な時間が、君のせいで全て水泡に帰してしまったわけだが、さて。君はこの一時間、僕に、どのような形で返してくれるつもりだい?」


 追い込めるだけ追い込んでくれる。佐川。貴様は差し詰め、蜘蛛の糸に絡め取られた蛾よ! 逃がしはせん! 一時的に魔の眷属となった俺の外法の前にひれ伏すがいい!


「……」


「何だい黙りこくってからに。何かい? 君は俺に脅迫されていると思っているのかい? 違うだろう? 俺は、君によって失われた俺の権利を、君がどう保障してくれるのかを聞いているだけに過ぎない。そうだろう? 君が時間を止められるというのであれば、喜んで勉学に励もうじゃないか。だが、そうじゃない。そんな事は不可能だ。時間は不可逆。例え誰であっても、その流れを遡ったり堰き止めたりする事は出来ない。ではどうするか。と、いう話なんだけれど、君は、自力で俺の一時間に相当するものを差し出す事ができるのかい? できないね。無理だろう? ならば、もう答えは決まっていると思うのだけれど、どうだろう。それとも、まだウジウジと口から糞を垂れるつもりかい? こうしている間に、もう十分も時間を回ってしまっているよ? 負債はどんどんと溜まっていっているというのを、自覚してほしいね。さぁ、今決めてくれ。僕に手を貸すか、それとも、別の手段で僕に数学の単位を習得できるようにするか……」


「……」



 だんまりか。意気地のないやつ。即時即断即決は男の基本だぞ。



「佐川様。そう深く考える事はないですよ。今日日、カンニングなど誰しもがやっている事。それが自身の為であるなら咎められもしましょうが、得難き友人の助けであるとすれば、どうしてそれを攻める事ができましょうか。熱い友情をもってして罪と断じるのであれば、それはこの社会のルールの方が間違っております。佐川様が胸を痛める必要はございません。どうぞ、田中様にご協力なさってください」


「え、あの……いや、僕は……」


「それとも、京の案はお聞き入れできませんか?」


「そ、そんな事は……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……分かりました……佐川、カンニングに加担します……」


 よし堕ちた! 最高のフォローだ原野。貴様の微笑はスキュラの誘惑。一度魅入られれば獰猛なる六犬むついぬの顎から逃れる術はない。これで単位は貰った! 何が試験か!? 何が再試か!? 見ておれよ有村! 生徒を脅す卑劣漢め! 貴様の悪徳は、同じく悪徳をもって制してくれる! 今から再試が楽しみだぞ! 愉快愉快! どれ、愉快ついでに佐川の奴に社交辞令でも吐いてやるか。



「佐川君! 君ってやつは最高の大親友マブだな!」


「……」



 佐川め。しけた顔をしおる。だが、知った事ではない! 如何に貴様が罪の意識に捕らわれようが、俺が再試をパスできればよいのだからな! 貴様は俺と共に悪道への一歩を踏み出すのだ! 真面目しか取り柄のない貴様が悪に染まるとは、これもまた愉快極まる!



「田中様。高笑いの最中申し訳ありませんが、京はそろそろお暇させていただきます」



 なんだ帰るのか。せっかく興が乗ってきたところなのだが、まぁ良いだろう。さっさと往ね魔女。貴様は既に用済みだ。どこへなりと消えるがいい。



「あいわかった。本日は実に楽しませてもらった。また、後日茶を共にしようではないか」


「はい。是非」





 原野は去った。残されたのは俺と佐川。なんとも言えぬ空気が流れるが、それは罪悪感からか、はたまた、仲違いの前兆であろうか。だが、いずれにせよ俺は既に再試を突破したに等しく、高揚感を抑えられん。気の早い開放感が心身に満ちるぞ! あぁまったく! 面白いなぁ!

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