この俺が働いてやろう!6
それはそれとして、さして
「いい川だろ」
……ヤンキーか……つくづく、人の背後を取るのが好きなようだな。
「はい。チラと見ることはあっても、こうしてまじまじと眺める事はありませんでしたので、新鮮な気持ちがします」
社交辞令社交辞令。貴様とまともに取り合う舌は持たぬ。
「そうだろう。この川は水質も良くてな。昔よく釣りをしたもんだ」
「そうなんですか。鱚は釣れますか鱚は」
「……鱚は海水魚だ」
不勉強だなヤンキー。稀だが淡水に住む鱚も存在するのだ。帰ってWikipediaを読むがいい。
「それはそうと、タレはちゃんと棚入れできたか?」
「はい。もう
任されたからには万事万端よ。いかなる仕事もこなしてくれよう。
「ならいい。給料は出せんが、せいぜい頑張ってくれ」
けち臭い話だ。俺は産業革命時代の児童労働者か。学習という名目で人間を馬車馬の如く働かせるとは倫理観が欠如していると言わざるを得ない。ブルジョワが支配する世のシステムというのは古来と変わらず搾取によって築かれているようだ。だが、それをこのヤンキーに言っても仕方がない。どうせ理解できぬだろうし、此奴もまた、社会の歯車の一部に過ぎないのだから……
「……」
「……」
「……」
「……」
……気まずい。会話が続かん。
何だこいつ! 世間話は済んだであろう! 何故ここに残るか! おまけに、馬鹿面下げて煙草に火までつけおって! 二つの意味で空気が不味いわ! まったく仕方がない……何か話題を見つけなくては……話題……話題…………あぁそうだ。ベタなのがあった。まったく興味はないがこれも間を持たせるためだ。ひとつ、雑談力というのを発揮してやろう。
「店長は、何故この仕事をしているんですか?」
「何だ。急に学校行事らしい事を聞くじゃないか。教師に言われたのか? 終わったら感想でも書かされるのか?」
「いえ、何となくです」
どちらもハズレだクソ間抜け。この糊のようにまとわりつく嫌な空気を変えたいだけよ。どうやら面の皮の厚いヤンキーは場の流れが分からぬと見える。その恥知らずっぷりからするに、貴様はきっと人間関係で煩わしい思いをした事がないのだろうな。羨ましい限りだ。
「……俺がこの店をやってるのは親父が持ってたからだよ。別に好きで始めたわけじゃない。単にそうなるよう決まっていたからだ」
なんだ七光りか。道理で
いや、ちっとも羨ましくないな。たかだかスーパーの店員など、チクリとも琴線に触れん。ミドルクラスを相手にした薄利多売の商売など小さい小さい。なにせ俺の器はミリオンゴッド。到底陳腐なスーパーに収まる物ではない。貴様はせいぜい店長だったという細やかな優越感に浸り、くだらぬ余生を過ごすといい。俺は然るべきステップを踏み、さらなる高みへ、貴様とは違うステージへと移らせてもらう!
「社会に出るのも大変ですね」
が、ここは当たり障りない会話をしておこう。触らぬ神に祟りなし。下手に内心を晒せば激怒したヤンキーが殴ってこぬとも限らぬ。不要な怪我をしたくはない。
「そうだな。だが、お前はまだ時間があるから、せいぜい遊んでおくといい」
「そうですね。そうします」
「それがいい。じゃあ俺は仕事に戻るから、お前も適当に休憩を上がれ」
偉そうに。落伍者風情が何様のつもりだろうか。俺にものを申すほど貴様は徳を積んでいまい。どうしても意見したいというのであれば、即身仏となって出直してくるのだな。さすれば東風抜ける耳を傾けてやってもよいぞ。まぁ、気が向いたらだがな!
さて、高笑いも済んだ。それでは仕事に戻るとするか。随分と長く感じたがそれも後半日。ともかく今日は、今日を頑張ろう。さぁ、仕事だ……
「ふざけるなよ糞婆!」
「申し訳ございませぇん」
なんだいきなり。店に入った途端に怒号とはご挨拶だな。
ふむ。察するに、どうやら、また倉木の婆がいびられておるようだな。困ったものだ。と、なんだ、今度は客に責められておるのかいったいどうしたというのだ。
「このジャケットどうしてくれるんだ! ヴァレンティノだぞ!? お前の日給で賄える額ではないぞ!? 香典で支払うか!?」
ナイスなジョークだな
「おい! 払えよ五十万! それとも、今ここで死んで葬式を上げるか!?」
……なるほど、五十万か。そ、それなりの品のようだな……
しかし無知よな。死んで即日はい葬式ですなどといくわけがないだろう。普通、告別式やら通夜やらを跨いでだいたい三日はかかるのだ。そう簡単に香典が手に入ると思うなよ? だいたい貴様、葬式でいくらの金が掛かると思っているのだ。坊主は金ばかり要求するし式場の手配もタダではない。上げる家は赤字もいいとこ。火葬ついでに家計が火の車なのだぞ? おいそれとお悔みを頂こうなど貴様は言うが、その行為がどれほどのものか……
「それとも今すぐこの焼肉のタレのシミと臭いを取ってくれるのか婆!」
……焼肉のタレ?
なんだ。焼肉のタレがどうした? シミ? 臭い? なぜ焼肉のタレのシミと臭いの話になっている。もしかして、それは俺が積み上げた……
いやいや待て待て。落ち着け俺よ。俺が陳列した焼肉のタレの置き方が不安定で、ひょんな事からバランスを崩し自由落下した際に棚の角に直撃して破損。内容物がたまたま通り掛かりのヴァレンティノを纏ったチンピラに浴びせられたなど、ある筈がないではないか!
……
ある筈がないのだが、一応確認だ。声のする方へ、抜き足差し足。されど我が進む先は王の道っと……
……
いかんな。
辺りに立ち込める焼肉のタレ臭で何が起こっているのか察せてしまう。
……考えたくない。考えたくはないが、現実は非情であり、時に俺の心を銃弾の如く撃ち抜き、時に剃刀の如く切り裂く……
あぁ神よ。俺に傷付けというのか……黄昏迫る精神の憂鬱を、俺に味わえというのか! それは一幕の悲劇! 連なる戯曲の幕間! 俺の定めが、幾万の人間に固唾を飲ませ終いには万雷の拍手を……
「申し訳ございません!」
……!
この声、覚えがある。
重く、低く、怖い。誰の声かはいうまでもない。それは、俺がさんざん見下し、馬鹿にしてきた人間の声……
ヤンキー……
金髪の頭でそこまで頭を下げるか……
この光景、俺はきっと忘れる事ができないだろう。あの偉そうなヤンキーが責を負い、ひたすらに謝罪を繰り返している光景を……
「誠に申し訳ございません。全てはこちらの責任です。お召し物のクリーニング代は、こちらで用意させていただきます」
「そんな事は当然だ! 問題はそこじゃないだろう! これから俺はどう過ごせばいいんだ! 服全部にかかってるんだぞ!」
「申し訳ございません。こちらで用意させていただきますので、どうかご勘弁を……」
「この服の代わりを用意できるのか!? 俺は貧乏人の服を着る気はないぞ!」
「申し訳ありません……しかし……」
傍観。ただ傍観。
自らの責任だと名乗り出て、誠意を尽くす事ができない。
脳が撹拌されるような感覚と眩暈。耳鳴り。その場に立ち尽くし、震え、訳の分からぬ言葉の応酬と回転する世界を、じっと眺める。
俺はいったい、どうすれば……
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