絶対秘匿! 俺の日記!

 某月某日


 早朝。いつもより騒がしいなと思い聞き耳を立てると母が男と談笑しているのが分かった。即座に居間まで駆けると案の定である。有村だ。あの馬鹿、何を勘違いしたか俺を見るなり「おはよう元気そうだな」などと抜かしおった。おまけに座しているのは俺の定位置。諸々の意味を込め「ふざけるな」と怒号をぶつけると、奴め、心底面倒臭そうにこちらを見て「妻の作った朝飯を食いにきて何が悪い」と、妄言を垂れよった。到底許せる所業ではない。そこから先は切った張ったの荒事となりあまり覚えてはいないが、「糞食らえ」だとか「餓鬼界に堕ちろ」とか言ってやったのと、母親がくどくどと自責自罰の文句を連ねていたという記憶は残っている。


 そんな事もあってか、その日の数学の授業は俺ばかり当てられた。間違いなく私怨である。公私混同も甚だしいく、実に見事な小物ぶりであるが故、聴衆の耳に自らの公平さを説いても良かったのだが、俺は敢えて有村の策略に乗り(そも奴が義父となるやも知れぬと他人に知られたくない)、そして、提示された問い全ての解を答えてやった。無論すべて正答である。有村の予想外を食らった面は愉快であった。また、授業終了後に佐川が「田中君、本当に勉強していたんだね」などと失礼を口にしおった。けったくそ悪い。


 夕食は俺が嫌いな塩辛と、更に嫌いなきんぴらごぼう。そして、天下三国見渡して見ても此れ程不味いものはないであろう料理。鯖の味噌煮が卓にのぼった。文句を言っても母は「はいそうですね」とけんもほろろ。仕方なく茶碗三杯をかき込みなんとか胃に収めるも、未だに気分が悪い。


 ……朝の事を根に持っているのだろうか。









 某月某日


 朝食に奴の姿はない。が、献立が昨晩の残りであった。母は相変わらず「はいそうですね」としか口を聞かなかった。面倒な事この上ない。


 学校で佐川と原野にその事を話すと、原野は「当然です」の一言とともに軽便の眼差しを向けてきた。これだから女は嫌いなのだ。女は、女が受けている理不尽だとか御涙頂戴の茶番などには判官贔屓の声を上げるくせに、男の立場や心情の話となると途端に冷酷無慈悲な妖怪と化す。この習性は多少の差はあれ全ての女が持っており始末に負えん。有村との関係も含めて、自身の感情だけで生きる斯様な生物に己の悩みなど話すのではなかったわ。信じた俺が阿呆だった。

 それと佐川も佐川だ。もっともらしく「気持ちは分かるけれど」などと前置きをしてから、くどくどと愛だの何だのと歯が浮くような持論を語りおった。このもやし、番となってから浮き足立っているのか最近いつもそんな調子である。要するに友より女を取る不義者に成り下がったのだ。穢れておる。不潔極まりない。誰一人として味方がおらぬ俺は母から持たされた鯖味噌サンドなる残飯を食い厠へ駆け込んで、吐瀉物と共に涙を水洗便器に流した。



 それにしても、いくらなんでも鯖をパンで挟むか? 頭がおかしい。


 ちなみに夕食は回鍋肉だった。母は夕食後、余ったそれを小分けにしたかと思うと、「ちょっと出てきますね」などと言って何処ぞへ消えた。帰ってきたのは三時間後である。生々しい時間だ。反吐が出る。








某月某日


 納豆が挽き割りだった。気に入らんが、鯖よりはましである。

 修学旅行の班決めで、俺は佐川と、中学の同級生供と組む事となった。罵詈雑言の投げ合いは必定であったが、お互い皮肉と嫌味と暴言を吐き尽くしたところで、当日は宿以外別行動という条約を持って落とし所とした。というより、はなからそうなるよう決まっていたのである。ある種の茶番ではあったのだが、お互い音も無く以心伝心となっては憎まれ甲斐もないというもの。俺達にとっては罵りや侮蔑が挨拶の代わりであり、交流の一つなのだ。敵対しているというわけでもなければ、友情の間柄でもない妙な関係であるが、犬猿の仲とはまさしくそういうものであって、それはそれで許せる者同士なのである。気に入らないのは純然たる事実なのであるが。


 帰宅後、冷蔵庫を見ると大量の挽き割り納豆があったので母に問い詰めると、「安かったものですから」と答えた。我が家の困窮具合は確かに承知しているが、納豆一つ買うのにあれこれが安いだの高いだのと思案せねばならぬのは、実にさもしい気持ちにさせられる。早く働き、稼ぎたいものだ。


 本日の夕食

 ロールキャベツと南瓜のお浸し。それと、シューマイ。

 ……まるで一貫性がない。








 某月某日


 特に何もない一日であった。








 某月某日


 同上










 某月某日


 俺は猛烈に怒っている。あまりの疳に冷静さを失いそうだ。このままでは狂える殺戮マシーンとなりかねない。近くの野良猫の髭をちょいと引っ張って鬱憤を晴らしはしたが、時間とともにヘイトが溜まり続けている。このままでは俺は前代未聞の虐殺カーネイジを引き起こしてしまいそうで、自分が酷く恐ろしい。まだ思考回路がまともな内に、何があったかを記そうと思う。


 事の始まりはこうである。放課後、有村の阿保に職員室に呼び出され渋々と行ってみると、「最近頑張っているな」と誉め殺してきたのであった。

 それだけならまだいいが、ふと、彼奴の机をを見ると納豆が置いてあった。挽き割りである。俺はそれをどうしたのかと聞くと、いけしゃあしゃあと母に貰ったと答えたのだ! 曰く、「俺が挽き割り派だと知ったらすぐに用意してくれた」だと!


 母は! 俺が嫌いだと知っていながら有村の為に挽き割り納豆を買ったのだ! それも大量に! 「どうせ家でも食べるし、あの子には我慢してもらいましょう」と、嬉々として挽き割り納豆を大量購入していたのかと想像すると、これは怒髪天を突くかのような怒りを覚え、俺は何が何やら分からぬ内に職員室を後にしていた! 帰宅してからは母とは口も聞いていない。


 夕食


 ダブルチーズバーガー。フライドポテト。ホットティー 。アップルパイ。






 某月某日


 朝食を抜き、挨拶もせず早朝に家を出る。

 肌寒さなどというレベルではない明確な冷気を感じる。どうやら夏の土産は底をついたようだ。冬の足音が静かに、だが、着々と聞こえてくる。紅葉も地に落ち始め、木々は灰色の地肌を露出し始めていた。そろそろ暖かいアップルティーが美味い季節である。近い内にルノアールで頼んでみてもいい。佐川の阿保に付き合ってもらおう。



 夕食


 三種のチーズ豚丼大盛り。味噌汁。お新香。バニラアイス。







 某月某日


 記載する事なし








 某月某日


 同上






 某月某日



 疲れた。最近はどうも駄目だ。



 夕食

 

 肉まん。豚麺。麩菓子。鈴カステラ。





 某月某日


 空腹に苛まれる。



 夕食


 さらみ味。たこやき味。明太子味。コーンポタージュ味。牛タン味。


 





 某月某日


 冷蔵庫の中に何もなし。あれだけあった挽き割り納豆も既に消えている。そういえば、最近母が家にいない。有村の所に行っているのだろうか。俺を置いて。


 憎しみが増す。


 夕食


 なし。



 


 某月某日


 空が青い。


 夕食


 水。








 某月某日


 母がカツ丼を作ってくれた。美味かった。そして、明日からの修学旅行にと二万円の入った封筒をくれた。

 話を聞くと、知り合いの居酒屋で短期労働をやっていたらしい。涙が出た。自分の身勝手さが恥ずかしく思えた。だが書き置きでもしていってくれてもよかったのではないか。まぁ、いいのだが……


 それとは別に、有村との件は許せぬからそのつもりでいてほしい。



 夕食


 カツ丼。味噌汁。ガンモの煮付け(好物)





 某月某日


 修学旅行である。

 北海道とはまた僻地へ飛ぶものである。雪国にあまり興味はないが、初の飛行機は中々に楽しめた。到着後は明日の昼まで完全自由行動となった。


「学びたい事を学べ」


 とは教師の弁だが、奴らが完全にお遊び気分で参加しているのは明らかである。というか飛行機内で既に酒を飲み始める始末。一人二人ならまだよかったが、「じゃあ私も」「私も」と拡散していき、いつの間にやら教師連中の席は酒宴の様相を呈していた。これは完全に職務規定違反アウト。咎める者は誰もおらず、ほぼ漏れなく全員酒気帯びとなる。同じ阿呆なら踊らにゃ損損といったところか。

 生徒連中も静かなもので誰も藪を突こうとはしない。まぁ、せっかく鬼が乱痴気騒ぎを起こしているのだ。わざわざ「自分を監視してください」などという馬鹿はおるまい。もっとも、帰ってからどうなるかは知らぬがな。誰も密告しなければ良いな馬鹿どもよ。


 札幌到着。程なくして、佐川と札幌を見て回った。

 がっかり観光地として有名である時計台を貶しつつ写生し(何でもいいから学習して提出せよという課題があった為、俺達は道すがら絵を描き、その歴史や文化を絵の端にチマと記す事にした)、ジャガバタとラーメンを食べ、クラークの像を写生し、白い恋人より熱い鯉こくが飲みたいと笑いながら、北海道大学の風景を写生し、白黒でない熊に何の価値があるのかと文句を垂れながら宿に入り、不味い飯を食べた。

 


 夕食

 エビフライ。ハンバーグ。目玉焼き。コーンポタージュ。サラダ。ポテトフライ。プリン。マスカット。


 お子様ランチか。

 大いに不満であるが、風呂はよかった為許す。







 某月某日


 人一倍早く起床し一つ風呂を浴びた。その際後から入ってきたC組とDの若い副担任が、「ススキノのオッパブは次元が違いましたな」とか、「まさか淫毛からラベンダーの香りがするとは」とか不適切極まりない会話をしていた。馬鹿なのかあいつらは。というか、確かに俺は見え難い位置で入浴していたが、そんな話を外でするな。迂闊すぎるぞ。


 風呂を上がると部屋の馬鹿どもがいない事に気が付く。そういえば昨夜、夕食の後ふらりと出ていったが、まさかあれから帰っていないのかと少し心騒めいた瞬間、何食わぬ顔をして部屋に戻って来おった。聞くところによると、別の部屋で朝まで麻雀をやっていたらしかった。呆れて声も出せず、頷くだけ頷いて、佐川を起こして朝食へ向かった。やはり不味かった。


 本日は小樽まで行きオルゴール館と正円寺の五百羅漢像とその辺の景色を描いた。途中、佐川が浮かない顔をしていたものだからどうしたと聞いたら、五千円札を落としたとベソをかいて告白してきおった。哀れに思い三千円ほどくれてやると、完全にせきが外れ、「君には恩しかない!」と抱きついてきたものだから参った。そのくせ原野へのプレゼントを買うときはだらしのない表情をしており、何ともいえぬ暗雲とした感情が芽生えてきた為、奴に三方六なる菓子を奢らせた。


 その後も色々見て回り、余裕はなかったが、無事札幌へリターン完了。バス停留所にて木下に到着を報告すると、不機嫌そうに返事を寄越した。気に障る態度であったが、いったいなぜ左様に青筋を立てているのか気になり聞いてみたところ、無言で顎で指した先に教師数人が酩酊して醜態を晒していたのだった。愚の極みだ。そういえば、木下は行きの飛行機でも酒を飲んでいなかった数少ない一人だ。糞真面目な奴である。


 程なくして全員到着。整列の後、広間でくだらぬ話を聞いて、俺達はそのままドナドナと人波に乗ってバスへ。バスから飛行機へと乗り換え離陸着陸。再びバスへ乗り市役所前へ。そして解散。あっという間に懐かしの我が家である。母に土産を渡し楽しかったというと、「よかったですね」と笑った。俺もふと口元が緩んだ気がする。うむ。家はいいものだな。


 夕食。

 シチュー。サラダ。チーズ。鮭のソテー。白い恋人。






 某月某日


 修学旅行の引率をしていた殆どの教師が処分を受けた。淡々と語る木下の様子はどこかサディスティックで、口にする一言一句が処分を受けた教師達への恨み節に聞こえた。


 佐川に三千円を返すと言われたが断った。その代わり、数学を教えて貰う約束を取り付けた。


 気付けば、紅葉は散っている。瞬きのように秋が終わり、とうとう冬がやってきた。有村と交わした約束の試験まで残り幾日もない。明日より最終疾走ラストスパートだ。


 ゆくぞ俺よ。


 見事継続を力にし、邪智暴虐なる有村めを打倒して! 見事輝ける明日を掴み取るのだ! 


 活力は十分! だが 今日は寝る! 本日の日記はここまでだ! 叶うならば、この先のページが福音で満たされる事を望もう! 主よ! 我に幸あれ! アーメン!

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