俺と母と!2

「補習はどうでした。先生方にご迷惑を掛けているわけだから、良い子にしていなければいけませんよ」


 出たぞ母の日和見主義が。長い物には巻かれろのその精神。全くもって惰弱極まりない。何が「ご迷惑を掛けている」だ。奴らは税金を貰ってやっているのだ。そう。公務なのである。であれば、奴らに何の遠慮が必要だろうか。そもそもだ。真に優れた教師であれば補習を受ける必要の無い教え方をする筈ではないか。つまり、俺が補習を受けねばならぬのは通う学校の教師がこぞって無能だからであり、俺にはまったくなんの落ち度もないのである。にも関わらず、いったいどうしてこの俺が、無能相手に気を揉まなければならぬのか。理に適わぬし、道理がいかぬ。だいたい良い子にしていろとは何だ。小学生ではないのだぞ。


「俺が補習など受けねばならぬ羽目になったのは教師の教え方が悪いからに他ならぬ。いわば奴らの怠慢だ。故に左様に気遣ってやる必要なし。いつも通り、伊達を通してやったわ」


 俺のこの弁はまさしく正論だろうし、言わねばならぬ事であった。だが、それに対し母が納得せぬも、反を呈すのも、目に見えていた。


「まぁそんな事を言って。駄目ですよ。口の悪さは育ちの悪さ。人の悪さは周りの悪さです。貴方がそんな風だと、お母さんまで悪く見られてしまうんですからね。なんにしたって人様に迷惑をかけてはいけません」


 そらみろ。しかし俺は怯まんぞ。追の舌を回してやるわ。


「側の目など知った事か。どうせ他人など勝手を言うものだ。好きにさせておけばよかろう」


 あぁまったく。毎度毎度煩わしい。二言目には人様だ。そんなに他人が気になるものかね。俺には理解し難い感覚だよ。


「……そうですね。一時とはいえ、我が子を手放すような母が、今更世間の目を気にするなんて、間違っていますね……」



 あ、しまった。


「思えば私の一生は恥以外の何物ありませんでした。当たり前のように生まれ、当たり前のように育ったのに、当たり前の事ができないのですから。小さな頃から笑われ、蔑まれ、それでも私が悪いのだから。と、無理に笑ってみても、涙が抑えきれない時がありました。私は、道化にすらなれなかったのです。人として生きている価値もないように思えました。そんな私が子を産み、育てるだなんて、無理な話だったのです。ごめんなさい。産まれてきた貴方に、産んでしまった後でこんな事を言うのは申し訳ないのだけれど、一時の感情に絆され、恋愛だなんて、幸せな家庭だなんてものを夢見てしまって、本当に私は馬鹿だったと思います。この上は首を括り、醜悪たる死に様を晒してこそ償いとなるように思えます。さようなら私の愛しい子。もし我儘が通るのであれば、どうか命日に一輪のエーデルワイスを添えてください。貴方との思い出は、短いながらも、大切な思い出でした……」




 まったく、自分の意思が通らぬとなるとすぐこれだ。思考が偏向し、直ちに死への願望を口にするから面倒臭い。父親の肩を持つわけではないが、夜毎斯様な話を聞いていれば、それは殴りたくもなるかもしれん。だが、それを飲み込みたしなめてやるのが男の度量よな。感情相手に感情をぶつけるのは論外。然りとて理性は感情には届かないのである。ましてや馬鹿丸出しの自虐口述かまってちゃんを前にして暴力を振るうなど、相手の被害欲求を満たすだけで何の意味もない。必要なのは、ふりでもいいから理解をしてやる事である。そうして一度安心させてやらねば、こういう手合いは冷静に自己判断する事ができぬ。つまり、どれだけ阿呆らしく思えても、優しくしてやる他に方法はないのだ。


「……まぁ待て。母よ。ここで死んで何となる。貴女はこれまで沢山の苦労をしてきたではないか。故に、人生はこれからではないかね。病は回復傾向にあり、仕事も見つかり、息子と暮らせるようにもなった。人並みの細やかな幸福は、まさにこれからであろう。それに母よ。貴女はまだ若く、また醜くもない。これから先、良き人が現れないとも限らん。俺も後一年で卒業だ。その時には家を出て行く故、好きなだけ第二の人生を謳歌すればいい。というか、そうか。俺ももう高校二年なのだな。いやまったく、ここまで育ててくれてありがとう! 感謝の言葉しか見つからぬ!」



 どうだ母よ! 見事な肯定っぷりであろう!


 不思議なもので、自虐癖のある人間は往々にして自身から不幸を求めるようになるものだが、これだけの労いと感謝の言葉を述べてやれば否が応でも自らの生を認めざるを得まい。というかそろそろその馬鹿みたいな被害者意識から抜け出してほしいものだ。でなければ俺が出て行った後不安しか残らない。まだ若いとはいえ、母もいい歳だ。そろそろ自立した自我を持ってくれんと心配でかなわん。

 もっとも、褒めてさえやっていれば、それほどまでに面倒はないのだがな。




「あら。あらまぁ。そう。そうかも。そうかもしれませんね。いやですね。貴方ったら、まったく母を喜ばせるのが上手なんですから。その調子で学校の女の子も浮かれさせているのではないですか? プレイボーイもほどほどにしておかなくてはいけませんよ?」


 ほらな。


 やれやれ。毎度のことながら、単純な女で助かる。ネガティヴな人間ほど御し易いのは自尊心の低さが手綱となっているからだろうな。剥き出しの心は繰りやすい。まぁ、だから父親わるいおとこに引っかかるわけだが。


「それと、やはり先生方にはご迷惑をかけてはいけませんよ。いくらお給料をもらっているとはいえ、貴方の出来の悪さは業務の外の話でしょうからね」


 ……嫌味は人並みに吐けるのだから大したものだ。まぁいい。ともかく、冷静となれば話は通じる。これ以上反論を重ねて本当に死なれたら目覚めも悪い。承服できぬが、藪蛇は望むところではないから、ここは「はいはい」と黙って話を流しておいてやろう。


「時に母よ。俺は腹が減ったのだが、なんぞ食べるものはないかね。この前、安売りしていてつい買いすぎてしまいました。などと言って両手いっぱいに下げてきたカップ麺の残りがあったような気もするが」


 したくない話題は変えるに限るし、実際空腹である。くだらぬ事に時間を弄する暇があったら一秒でも早く腹に何かを入れたい。カップ麺ならばシーフードがいいな。丁度今そんな気分だ。まぁ、カップ麺の味なんてものは別になんでもいいのだがな。母が買ってきたのはどこが製造しているのか分かったものではないプライベートブランド。つまるところ大手が販売している商品の紛い物であるが、カップ麺など所詮カップ麺であり、味の違いなど大同小異である。世は広いものでカップ麺如きに拘りをもつ人間もいるらしいが、俺には到底理解できぬ趣味の一つだ。あんなもの、食えればいいではないか食えれば。


「あぁ、べらうめぇ麺(商品名)の事ですか? そりゃ、まだまだいっぱいありますけれど、貴方、毎日毎日お夜食で食べているのに飽きないんですか? 買ってきた当人が言うのもなんですけれど、あぁいったものを毎日食べるのは毒ですよ」


 ふむ。夜更けの慰みに勝手に拝借していたのがバレていたか。侮れんな。

 だがまぁ確かに母の言う事にも一理ある。健康被害もさる事ながら、中性脂肪も馬鹿にできんからな。

 致し方なし。本日は、俺特製油飯でも作ろうか。まぁ、有り体にいえば炒飯なわけだが、単なる炒飯ではない。普通のサラダオイルの代わりに牛脂とごま油を使い、青ネギを死ぬほど混ぜた超絶料理である。毎度毎度、無計画な母が「無料タダだから」とスーパーで掠めてきては使い所に困っていた牛脂を処理する為に考案したものだが、中々どうして中毒性がある。うむ。思い出したら俄然舌が求めてきたぞ。握るか。久方振りに鍋を!


「よろしい。では、たまには俺が厨に……」


「私もまだお昼を食べておりませんので、外食でもしましょうか」


 なんだと!? 待て母よ! 本日俺は、俺特製油飯を食うと決めたのだ! それを外食などと贅沢を! それにそもそもそんな金がどこにあるのだ! パートの安月給では、とてもじゃないが左様な浪費はできぬ筈。いや、できないわけでもないだろうが、間違いなく避けるべきだろう。ここは俺が、大蔵大臣として異議申し立てをせねばならんようだ。国庫の憂いは国民の憂い。そうそう無駄遣いはさせられん。


「母よ。言いにくい事だが、我が家には金が……」


「お金の事なら心配しなくて大丈夫ですよ。実は、臨時ボーナスがあったんですよ。これはもう、愛する我が子とご飯を食べに行きなさいという天の啓示に違いありません。さぁさ。いざ行きましょう。いつぞやぶりの外食へ! 母はナラハラのオムライスが食べとうございますが、貴方が望むのであれば、何処へも、如何なるものでも食しましょう! 既に準備は整っています故、貴方も、早いところ学生服をお脱ぎなさい。せっかくの事ですから、ちゃんとおめかしをするのですよ?」


 駄目だ。まるで聞く耳を持っておらん。だいたいこの人、自分がナラハラのオムライスを食べたいだけではないのか? まったく、色気より食い気だな。だが……


「あぁ、楽しみですね貴方。母子揃って出かけるなど、いつ以来でしょうか」


 ……小躍りする程上機嫌な母を見るのは、其れ程嫌ではない。

 よかろう。油飯は諦めてやる。臨時ボーナスとやらの出どころは気になるところだが、金の問題がないのであれば、付き合ってやるか。






 制服を脱ぎ、滅多に着用する事のない私服に袖を通す。いつ買って、いつからしまいこんでいたか覚えていないが、服からは、長い間箪笥に眠っていた香り……たまには外に出してやらんとな。それにしても、着替えた形を姿見に写すと違和感しかないな……が、どうにも今日は、特別な日なように思える。こんな日もまた良しか……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る