俺と母と!1
時間が過ぎても夏は夏であった。
補習の帰り道を歩くだけで大変な労力。いつの間にやら八月も半ばとなり暦の上ではとうに秋が立っているのだがそのような気配は一切見せず、ただ暑く、ただ汗をかくといった過酷な日が続いている。残暑というにはあまりに熱が残り過ぎではないか。温暖化など眉唾と鼻で笑っていたが、あながち間違いではないのかもしれん。
それにしても、もう幾つも経つと夏期休暇が終わってしまうのだな。取り立て何かをしたわけではないが、何となく名残惜しく、 蝉の鳴き声がセンチメンタルな気分を引き起こす。あぁ、そういえば、婆さんの家に預けられたのも、これくらいの時期だったなぁ……
母親が殴られているのを初めて見たのは幼稚園児の時だった。
ある日。夜に目が覚めると父が母を打ちのめしている光景を目にする。
下着姿で殴打蹴打を浴びている母の身体は痣だらけで凄惨たる光景ではあったが、殴る方も殴られる方も慣れているらしく、双方とも声を上げず、粛々として一つの儀式のように執り行われており、それが暴力行為だと認識するのに時間を要した。程なくして、「ひぃ」という小さな呻きを聞いてようやく俺は母が傷付けられていると確信したのだったが、その瞬間に儀式はもう終わってしまって、残ったのは荒い息遣いと、微かな啜り泣きの声ばかりであった。
その日から俺は度々母親が殴られる姿を見るようになったというか、あえて見るようにしていった。普段温厚な父親が無表情で拳を振るうさまは異様で恐怖でしかなかったのだが、何故だか目を惹き、夜寝静まったフリをしては二人の密なる行いを傍観していたのだ。
その内に、何故、俺はその様子を、家庭内の加虐被虐を眼にせんと毎夜通しているのかが分かった。それは、恐怖により隠されていた、怒りと悲しみの感情が、俺に目を背ける事を許さなかったからだ。
気付いた時、俺の行動は早かった。
布団から飛び起き一直線に父親へと向かって殴り掛かっていった。が、足を挫き身体の均衡を失って、机にダイブ。そのまま雪崩式に食器やら何やらが崩れ落ち、凄まじい騒音が安普請に響いたのだった。夜も更け、だいたいの人は寝ているか寝ようとしているかの時間。突然の怪音により目が覚めるのは必然であり、その怪音の発生源を確かめる。
場所を突き止めれば隣人が首を突っ込むのも必然だった。部屋の扉が叩かれ、焦った母親がネグリジェのまま応対。「馬鹿!」と、必死に止める父親の声も虚しく、顕となった、明らかに人為的に生じたであろう痣と出血がアパートの住人に見られた。それにより事が露見し両親は離別。父親は何処ぞへ消え、母親は心神喪失により療養。俺は一時、田舎の婆さんの元へ送られたのであった。
婆さんの家は割と快適であった。住んでいた安普請とは違い広く、リフォームまでされていて設備も新しい。出てくる菓子が煎餅やらあられやら、ラムネやら金平糖やらなの以外には住居への不満はなかった(よく分からないゼリーを固めたようなカラフルな奴だけは好みだった)。
しかし婆さんは厳しかった。やれ箸の持ち方が悪いだの姿勢がだらしないだのと必要以上に俺を叱りつけ、堪り兼ねて泣き出すと「男が泣くもんやない!」と、年季の入った竹刀で横っ面を叩くのである。あまりに酷い虐待である為、「痛いじゃないか婆さん」と苦言を呈す事も度々あったが、その度に「なら泣くは止めぇ。男が泣いていいんは親の死に目だけなんじゃ」などと勝手をほざくのであるから困り果てる以外にないのであった。有体にいって地獄。齢十もいかぬ人間の顔面に普通竹刀を当てるだろうか。赤く腫れ上がった頰に涙が沁みてまたジクと痛む不愉快さといったらもう! 痛いから泣くのに、泣いたら更に痛くなるという理不尽に対してはやはり落涙で答える他なく、それが見つかればまた竹刀の餌食となる。これが無間地獄である。
そも俺だって泣きたくて泣いているわけではない。何かあると不意に感情が揺らぎ、それが涙となって現れてしまう体質なのだ。いわば生理現象といっても過言ではない。排泄をしない人間がいるであろうか。眠らない人間がいるであろうか。呼吸を必要としない人間がいるであろうか。俺の涙はそれらと同じで抑えられぬ激流であり、収まらぬ激震なのである。こればかりは持って生まれた性質故にどうする事もできない。なのにあの婆はそんな事御構い無く俺を叱責し体罰を与え続けた。怒り切った時は普段の口やかましさが更に激しくなり、もはや何を言っているのか分からなくなるものだから「堪忍してくれ」と懇願するも折檻は婆さんの気がすむまで行われるのである。俺の訴えは蝶の羽音よりも無音であり、婆さんの耳には微かにも届かなかった。
そんな婆さんだが、家以外では実に頼り甲斐があった。例えば小学校の頃の話である。生来の虚弱と慎しみ深い性格が災いし、俺は転校した学校で大層な可愛がりを受けていた。
「おい余所者。貴様、褌を巻いとらんらしいなぁ。いかん。いかんぞぉ。この村の男は黙って
「止めてくれないか剛田くん! 今日日、
「何だとこいつ! ぶっ殺してやる! 皆の衆! 出あえ、出あぇい!」
こうして俺は寄ってたかってなぶりものにされ、ボクサーを剥かれて
「
「婆! 貴様、浮世の義理がないのか! 愛想よくせい! それに褌巻かずして何が男か!」
「
「
「やれるもんならやってみんせ! 貴様らより長生きしたるけぇな!」
凄まじい光景であった。未だに会話を覚えているくらいに、強烈な記憶である。
婆さんは作法にうるさいくせに言葉遣いが下品であった。生まれた時から今まで村で過ごし、すっかり村の言葉が染み付いてしまっているとは本人の弁だが婆さん以外に斯様な言葉遣いを聞いた事はなかったため恐らく生来のものであろう。そんな婆さんのわけの分からぬ怒声を浴びながら追いかけられたのだからガキ大将も大分懲りたらしく、それ以来俺に
だが婆さんも人である。死ぬ時は呆気なく死んでしまった。俺が丁度中学へ上がる頃に、ころっと逝ったのだった。
悲しみはあったが涙は出なかった。あんまりにあんまりな傑物だった故死さえ冗談に思えたし、何より死に顔が強烈だった。口はへの字で硬そうな歯を見せ、死んでいるのにも関わらず目を見開き睨みつけているのだ。それは能の
なんといえばいいのか分からぬが、ともかく常軌を逸した人物であったのは確かで、棺桶を見た時に死すら凌駕したかのような錯覚を覚えた。しかし、死んだものは死んだのだ。そう、死んだ。死んだ死んだ。死んだから婆さんはもういない。それが事実である。
婆さんが死んだ後、俺は再び母親の元へと戻った。母親は多少の意志薄弱と情緒不安定はあったがすっかりと精神を回復させ、今ではパートタイマーで働きながら俺の面倒を見てくれている。健気な事だ。早いところ働いて楽をさせてやらねばなと思う今日この頃であるが、いかんせん世の中は俺の才覚に気付いていない。これは金を稼ぐのも一苦労だな。嘆かわしい事だ……っと、懐古していたらもう家の前だ。過去の記憶は時の流れを忘れさせるな。老人が昔話をしたがる理由が分かる気がする。
「ただいま帰った」
家中に入る。うむ、気持ちのいい冷気が肌を撫ぜよる。最近エアコンを買った我が家は実に涼しい。毎日の仕事お疲れ様です母よ。おかげで俺は快適に暮らせる。
「お帰りなさい」
母の顔を見る。じっと、見る。
痩せていた頬が日に日に丸くなっていくのが嬉しい。未だにやつれているが、それでも以前と比べると、血色も良くなってきている。
母よ。すまぬが、もうしばし待ってくれ。俺はいずれ巨万の富を得るから、そうしたら、いいものをいっぱい食わせてやるからな。
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