俺が返り討ちにしてくれる!8

 奴が何故ここにいるのか分からんが、ともかくとして異常事態だ。この爬虫類面、聞くところによると放校処分となったというが……


 考えても始まらんな。よし。


「貴様、こんなところで何をしているのだ。その先は今は使われておらぬ視聴覚室。左様な場所に、まさか用があるとは言うまいな?」


 牽制しつつ探りを入れてみるか。いきなり蹴りを入れてくるような暴走機関車的単細胞であるが、人間の言葉くらいは理解できるかもしれん。



「……あんたに答える義務はないな」



 小癪な。義務などと賢しい言葉を使うか。しかし、耳は音を捉え口は声を発する事が分かった。対話する余地はあるようだ。だが、あまり軟化姿勢を取るのも交渉術としては下策。ここはあえて、強気に出てみるか。



「なるほどな。だが、今の貴様は不審者である。なれば、答えようが答えまえがこの旨、教師連中に報告させてもらうとしよう」


 さぁ、どう出るトカゲ。貴様の言、聞かせてみよ。



「……失せ物を探しにきただけで不審者扱いか先輩。俺だって腐っても元生徒だぜ?」



 この言いよう。退学は事実であったか。となれば、やはり警戒すべきはなりふり構わぬ捨て身の逸脱行為だが……



「失せ物ね……斯様な場所に何があるというのか。もう少しましな嘘をつけ」


「……まぁ、そうだろうな。いいよ。正直に話す。恥ずかしかったんだよ。俺は未だに学校に未練があるんだ。だからついこうして校舎に侵入してしまったというわけだ。分からない心境でもないだろう?」





 ……思ったよりも話しが通じる。こいつ、冷静のようだ。

 が、なれば尚の事怪しい。まともな人間が、退学となった学校に戻り昔を懐かしんだりするだろうか。いやしない。この事態。この状況で冷静でいられるという事は、返って異常者である証明しているようなものではないか。そうとも。此奴は突如激昂し、暴力をもってして自らに湧き上がった負の感情を鎮めんとする破壊者である。口車に乗ってはならぬし、決してこれ以上近寄ってはならぬ。目的はなんであれ、ここは一旦退くが上策。ならば、早々に「そうかじゃあな」と手をかざし別れを告げるのが一番に決まっている。決まっているのだが……




 ……そうよな。ここでこのまま黙って退いたとあっては男の名折れ。退くは退くが、ただというわけにはいくまい。





「そうか。では、原野は関係ないのだな?」



 核心を突かせてもらう。貴様の目的、貴様自身の挙動と言動をもって、しかと判断してくれる!




「……京」


「そう。原野 京だ。貴様、未だに遺恨が残っているのではないか?」



「……京……京……」



 ……様子が変だぞ? 大丈夫か?



「お、おい。貴様、どうした……」




「京……京……! 京! 京! 京! 京!」





 川島の顔。

 どのように表現したらいいのか……恐ろしいといっていいのか、悍ましいといっていいのか、見苦しいといっていいのか、危機迫るといっていいのか……面のように固まったり、あるいは、作りかけの福笑いのように漂う様が兎にも角にも奇妙であり、不気味であり、また、深遠であって全貌が掴めない。果たして目を離していいのかいけないのかさえ判断できず難解。ただ、眼や鼻が、硬直と変化を繰り返し、ひたすらに歪。どうすればいいのだろうかという思想さえ一時麻痺して思考が硬直。率直にいえば、怖い。









「が、が、が、が、が、が……」






 挙動が不審だ……いや、不審者故、そらそうだろうが……こいつ、どうしたのだいったい……





「我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だ我慢だまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ……」








 背筋が凍る。

 大きくも小さくもない声で、ひたすら、念仏のように唱えられる意味不明な言葉の羅列。何を我慢するのか何がまだなのか何が駄目なのか何一つ理解できんが、この爬虫類面が乱心して瞭然である。俺が御せる相手ではないな。


 そうだ名案をおもいついたぞ。こういう時こそ普段口から糞を放り出すだけしか能のない教師連中に働いてもらおう。悲鳴でも上げれば、誰ぞ来るだろう。


 ……よし。


 息を吸い、胸膨らませ発声OK。やや抵抗はあるが左様な事は言っておれん。さぁ俺はこれから叫ぶぞ。天が裂け、地が割れるような、まるで怪物の呻き声のような叫びを轟かせてやるのだ。終焉を知らせるラッパのさえ心地よく聞こえるであろう俺の怪音! 届け! 世界へ! いざ!



 む! 人の気配!?




「そこにいるのは田中か? 何をしている? ……おや。もう一人は……」



 この声! この発音はまさしく!



「あぁあ! 木下先生きぃのぉしぃたぁせぇんせぇい!」



 なんという事だろうか! SOSの為にチャージしていたパワーが木下へと向かってしまった!


 おや。どうした。酷いしかめっ面だな木下よ。ストレスで胃をやられているのか? いやそれも無理からぬ事か。胃腸の不調は現代病。養生せいよ木下。いかに気楽な地方公務員とはいえ、胃痛を抱えながらでは業務に差し支えよう。





「……相変わらずいちいちいちいちうるさいな貴様は。だいたい、今は佐々先生の手伝いをしているのではなかったのか?」


 あぁそういえばそうだったな。それはもう終了したのだが、ここで馬鹿正直に「それは終わりました」と答えるほど俺は間抜けではない。


「それがですね先生! 厠に向かう途中、不審者を発見! 誰かと思えば、自らの不徳により我が校を追われた不届き者でして! そいつを拿捕する算段でありました!」



 パーフェクトだ。これ程見事な言い訳もそうはあるまい。



「そうか。で、まんまとその不審者に逃げられたと」



 逃げただと? 何を馬鹿な……



「……これは迂闊でありました」



 誠に迂闊だ。まさかちょいと目を離したすきに遁走するとは、逃げ足の速いやつよ。



「馬鹿めが。抜かりおって……」



 抜かりおって? その発言はおかしいだろう。こういう時、普通は生徒の身を案じるものであろうに。その、さも使えぬといった言葉はなんだ。そもそもこれは問題発言である。時代が時代だ。俺が訴えれば貴様は負けるぞ木下。分かっておるのか?


「まぁいい。その不審者に関しては、話を聞かせてもらう。貴様の好きな指導室だ。さぁ来い。今から直行だ」



 そうなるだろうな……


 あぁ、結局勉強はできずじまいか……今日は朝も時間が取れんかった。帰宅次第、至急取りかからなくては……いや、その前に原野の護衛をせねばな。川島と出会ってしまった上、原野の名を聞いた途端に逸した常軌。捨て置くわけにはいかん。いやはや多忙多忙。悠々自適を愛する俺らしからぬ圧倒的な繁忙ぶりではあるまいか。いやいやまったく、これはこれは……らしくない。



 ……そう……らしくない。らしくないのだ。一から十まで、まったく俺のらしさがない。


 何をやっているのだろうな。勉学にお節介。おまけに佐川との友情ごっこだ。本来俺が持つ孤高無骨からは想像もつかぬ乖離具合ではないかね。


 ……しかし、不思議と悪い気はしない。なんともいえぬ心境の変化にいつの間にやら絆されてしまったようだ。日和ったのか、生和したのか定かではないが、こんな生活も……



「田中! 何を立ち止まっている! 早く来い!





 ……学校の教師以外は悪くはないかもしれん。

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