俺と母と!5

 数学の有村が再婚相手だと? 馬鹿な! そんなわけあるか! 何かの仕込みか!? ははぁんわかったぞ!? どこぞで佐川の阿保垂れや原野の性悪がドッキリカメラよろしくビデオモニタで見ているのだろう!? 何のために!? 知るかそんな事!





「先生を付けんか、先生を」


 うらるさい! 敬称などどうでもよいわ! 貴様、ルノワールで働く安産型の嫁はどうした!? 新築したマイホームは!? 


「嫁とは別れた。実家に帰るそうだから、こいつとは一緒に暮らす。本来であれば二人で第二の人生を送りたいところだが、残念ながら貴様は学生だ。放っておくわけにはいかんし、なによりこいつが頼み込むのだから、情けで俺の家に置いてやる。ありがたく思え」


 こいつ!? 読心を……

 いや、それより貴様、人の母親をこいつ呼ばわりするか! 無礼だぞ!


「ふ、ふざけるなよ! 勝手を抜かすな!」


「勝手を言える立場にあるんだよ俺は。いいか。こいつと結婚したら、貴様は戸籍上、俺の息子という事になる。つまりは俺の庇護下に置かれるわけだ。この意味が分かるか? 親として、貴様の面倒を見る責務が発生するのだ。その責を全うするには、少々の理不尽と独裁は止むを得ぬ事。この度、不本意ながら俺が貴様の親父となってやる故、大人しくしていろよ」


「納得できるかそんなもの! だいたい貴様を親だなどと俺は認めん! 断固拒否だ! 早々に去ねよ公僕! 帰って血税で買った酒でも飲むがいい!」


 冗談ではないぞ! 斯様な馬鹿者が親になどなってたまるか! 太陽が西から昇ったとしてもあり得る話ではなく絶対に許される事ではない! くたばれ有村! 貴様が死んだあかつきには、純白の燕尾服で着飾って葬儀に参加し、棺桶に唾吐いて大爆笑してやるから安心して逝くがいい!




「威勢がいいな。学校とはえらい違いだ。早くも内弁慶とは、気の早い事だ」


「だから! 誰が! 貴様と! 家族になど! なるものか!」


 我慢ならん! 堪忍袋が破裂したぞ有村! この上は、貴様を殺し辺り一面に火を放って俺も苛烈な最期を遂げてやる! えぇい! 火は!? 火は何処か!? そうだ! ナラハラの親父よ! 貴様確か喫煙者であったな! 燐寸マッチを寄越せ! 俺とこの店ごと心中する名誉をくれてやろう! リフォームのローンと共に、兵馬俑代わりとなるがいい! この地を現代の石舞台古墳にしてくれる! 着火だ着火! 着火着火! ちゃっちゃかちゃっちゃか……


「貴方。先と言っていることが違うではありませんか。母の再婚を認めてくれるのではないのですか?」





 凍て付かせる冷気を帯びた母の眼光。いや、それはそうなのだが……


 しかし母よ。そんな顔をしても俺は怯まんぞ。俺は斯様な男が父となるなど聞いていないのだからな! そうだ……そうだぞ! もし最初から再婚相手が此奴だと分かっていたら、俺は確実に首を横に振っていた! それを黙っていたのは間違いなく貴女の過失だ! 母よ! いかに母子の絆があろうとて、今回ばかりは到底許容できるものではないからな! 左様な顔をしたところで俺は折れたりせぬ! 相対する他道がないのであればそれもまた宿命! 血で血を洗う徹底抗戦、いざ開戦……


「ごめんなさい……ごめんなさい貴方……! 私は、私は貴方の心を理解しようともせず、自身の喜びだけを望んでしまっていました! 私の弱さのせいで貴方が過去にどれだけ辛い思いをしたかも忘れて、ただ私の喜びだけを求めてしまいました……母である事を忘れ、女としての生き方を考えてしまったんです……すみません……すみません! 私は、貴方の為に生きますから……許してください……許してください! どうか、どうかお願いだから!」


 正気マジか母よ! ここで発作か!


「い、いや、ま、待て母よ。ちょっと待て。こ、こんな所で号泣せずともよいではないか。人の目もある(ナラハラの親父が新聞越しにこちらを伺っているのだ。とんだ出歯亀野郎もいたものだ!)。変な噂が立ったら生きにくいぞ? 我が家にもご近所の付き合いがあろう! だから、な、お、落ち着け。落ち着いてくれ。頼むから!」


「おいおい。とんだ親不孝もいたものだな」


 黙れ有村! 貴様は関係ないだろう!

 あぁまったく忌々しい! そも、貴様は何処で母を誑かしたのだ! 諸々は置いておいて、そこのところを聞かねば話にならぬ!


「母よ。貴女は、何処でこの馬の骨と蜜月の関係となったのですか!?」



 ……


「……聞きたいですか?」


「ま、まぁ……」


 ピタリと泣き止んだな母よ。上げた顔の、その満面の笑みはなんだ。本当にさっきまで涙を流していたのか? 情緒の安定を欠きすぎだろう。




「いいでしょう。そこまでお聞きになりたいのであれは、お話ししましょう。そう……それは、貴方が高等学校に入学した時の事でした……」



 そ、そんな時からなのか……







 母の独白が始まった。






 桜舞散る校庭……愛しの我が子が義務教育を終えてとうとう結婚のできる歳になったんだなと感慨く、一人空を見て佇んでいますと、「おい」と、声をかけられました。はて、どなたかと思いましたら、白髪混じりのナイスミドル……初めて見るはずのお顔なのに、何処か懐かしさを感じると惚けておりましたらば、再び「おい」と、お声をかけていただいたのでございます。


「久しぶりだな」


 確かにその方はそう仰いました。しかし、私の方はこのお人の顔に覚えがないものですから、はてな? と、首を捻りました。すると彼は破顔し、豪快にこう言ったのです。


「覚えていないか。無理もない。俺だよ。昔、同じクラスメイトだった有村だよ」


 その時の私はドキリとしました。だって、あの有村君と、再び出会う事ができたんですから。


 学生の頃。有村君は私の憧れでした。テニス部に所属していた彼は、毎日毎日。来る日も来る日もコートを走り回っていました。その姿を、朝と放課後の誰もいない教室でずっと見ていたんです。「あぁ、今日も彼。走っているわ」なんて眺めているうちに、ある日、自分の頰が染まっているのに気が付いたんです。その日から、私は有村君の事が気になって気になって仕方がなかったのですけれど、終ぞ、話す事もできず、卒業を迎えてしまったのでした。

 

 彼に声を掛けられなかった事を、私は結婚して、子が産まれてからも後悔していました。決して生活に不満があったわけではありません。慎ましくも幸せな日々に、私は満足をしていました。ただあの時、初めて抱いた恋の蜜の味を知りたいと思う気持ちは消える事がなかったのです。幸福のはずなのに、決して満たされぬ心の渇きはまるで仙人掌のように……



「もういい! 長い! 鬱陶しい!」


 親の恋語りなど聞きたくないわ! 第一ここは劇場ではないぞ! これだから文学崩れは嫌なのだ! 何でもかんでも物語へと変換するのはやめていただきたい! 言っては悪いが貴女の人生なんぞ少々不幸なだけで、本に起こした所で凡作駄作の有象無象だぞ!? 決して読者が付くような代物ではないからな!?


「まぁ……母に向かって、鬱陶しいだなんて……悲しいです……とても……」


 いちいち泣くな! 本当にいい加減にしておけよ!?


「おいおい。とんだ親不孝もいたものだな」


 

 貴様もわざわざ先と同じ台詞を吐くな有村! 


 まったくどいつもこいつもふざけ倒しおって! 少しなりとも俺の立場と気持ちを考えたらどうだ! 母ばかりではなく、俺とて幼き頃から理不尽に苛まれていたのだぞ! ちっとは同情せい同情を! 



 ……いや。そうだ。そうなのだ。あぁそうだろうよ! どうせ俺の事など二の次三の次なのだ! ならばこちらもそれなりの態度を取らせてもらうぞクソめらが! 絶対に貴様ら二人だけが幸福になるような未来は与えん! 死なば諸共! しからば攻勢、いや、大攻勢と打って出てくれるわ!


「なんとでも言え! もはや貴様ら二人には一抹の情もない! 話は終いだ! 俺は帰らせてもらう!」


「そんな……あ、貴方……ちょ、ちょっと待って……」


「知らん! 帰るといったら帰る!」


 こんな所にいつまでもいられるか! さっさと帰宅だ! 今日は飯もいらんからな! 後で食費を請求してやるから覚悟しておけ!


「待て田中」


 待てと言われて待つ馬鹿かいるか!


「はい田中待ちま……だ、誰が待つか!」




 おのれ染み付いた猫被りが出てしまったわ! 斯様な奴に胡麻など擂るのではなかったと後悔が湧いて出てくる!


「まぁ聞け田中よ。貴様がそこまで吠えるのであれば、一つ勝負をしてみぬか?」


「……勝負だと?」


「そう。勝負だ。もし貴様が勝てば、俺は郁恵は諦める」


「……有村君、そんな……」


「落ち着け郁恵。まだ話の途中だ」


「……分かりました」


 母を下の名で呼ぶな! 母も母だ! 何が有村君だ! さっきまで先生呼びだったくせにいつの間に青春へ退行したのだ!


「勝負といっても事は簡単。今年の数学の期末テストで、貴様が満点を取れば、俺はきっぱり郁恵から身を引こう」


「な……!」


「悪い条件ではないと思うが?」


 ふざけるなよ! 左様な条件飲めるものか! 貴様、俺の数学の不得手を知っているではないか! 勝利不能な勝負事など賭けになるか! 示す答えはお断りの一択! 貴様の土俵などで戦うもの……





 ……いや、待てよ。

  



 待て待て。待ってくれ! そうだ。そうだそうだそうだ! あるではないか! 勝機が!







「……よかろう。その勝負、受けて立つ!」


「いい返事だ。吐いた唾呑むなよ?」


「貴様こそ反故にするなよ有村ぁ! これは男の勝負だからな!」




 ゆっくり頷く有村の顔には余裕の微笑。

 だが……馬鹿め! その口元の緩みが渋く変わる姿が目に浮かぶな! 情けなく吠え面晒せ愚か者! 貴様の計略、見事に破り勝利を我が手に収めてくれる! その為のとっておきが、俺にはあるのだ! そう! 秘蔵の虎の子! 職場体験学習で得た十五点の切り札がな!





 ナラハラに満ちる高笑いと母の溜息。そして、やや音量を上げて再度流された親父の演歌。有村は変わらずにやりと不敵な笑み。






 ……見ていろよ有村。次の期末試験。絶対に満点を取ってやるからな!



 ナポリタンを平らげさっさと店を出た。おっと、口周りにケチャップがついている気配がする。拭おう……なんだ、手の甲に、まるで血のような朱が引かれてしまったな。



 これはあれだな。




 戦う為の化粧だな!

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