俺と母と!4
再婚。
たったの二文字が、酷く仰々しく、鉄鐘が鳴るが如く響き、様々な疑問が脳内に浮かんでは弾けていく。いったいいつから、誰と、どこで縁を結び伴侶の契りを交わしたというのか。そして何より、男に恐怖はないのか。貴女は、ずっと傷付けられていたではないか。にも関わらず、男を信用できるというのか。
「ごめんなさいね……」
ごめんなさいだと? 何に対しての謝罪だ。ただ謝れば済むと思っているのか。済むわけがなかろう。それに問題は貴女の事だけではない。俺にだって大事なのだ。再婚するといっても、おれは相手の顔も性格も知らぬのだぞ。籍を入れるのであれば、当然、そのどこの馬とも知れぬ男と寝食を供にしなければならないのだろう。俺は嫌だぞそんなもの。
母の歳ならば相手の男は若くはないだろう。つまるところ、中年である。それが気にくわない。中年男なんて人種は大体が下劣で下品で下世話で、デリカシーの欠片もない未開の土地の蛮族にも劣る下卑た連中だと相場が決まっている。若者に嫉妬し、老人を小馬鹿にする狭量さを是とする生き恥記念館ともいえる俗物と、一つ屋根の下でよろしくなどできるはずがないであろう。反対。断固反対、大反対だ!
「でも、とってもいい人なんですよ? 優しくって、頼り甲斐があって……」
「……」
何が「でも」だ。言い訳がましく聞こえて仕方がないわ。それに男を選ぶ上では、優しさなど
「……」
「……やっぱり、嫌ですか?」
嫌ですかだと? 決まっていよう! そんなもの、承服できるわけがない! 断固拒否! 断固拒絶だ! もし俺の意見を無視して勝手に籍を入れてみろ! 男共々、一生嘲り倒してやるからな! 覚悟して……
……いかん。
いかんな。
そんな顔をしないでくれ。貴方のそんな顔を見てしまうと、俺は、どうにもできなくなってしまうではないか。今にも泣き出しそうに口元は震え、なんとも弱々しく……
落ち着け。
何を熱くなっているのだ俺よ。
先に言ったではないか。「まだ若い」と、「良き人と巡り会える」と。
駄目だな。恥ずかしながらまだ俺は、親離れができていないようだ。
まったく俺は馬鹿だ。母とて一人の人間。一人の女ではないか。己の行動に責任くらい持つだろうし、そこまで軽率に事を決めるような短慮でもないだろう。きっと、昼夜問わずじっくりと考え、ようやくもようやく決断し、今こうして話をしたに違いないではないか。俺は子として、それを尊重してやるべきではないのか。そうだ。それこそこ俺の役目ではないか。俺が重荷になってどうする。考えろ。
そうだ。そうだな。うん。そうだ。
いかんいかん。俺とした事が、くだらぬ感情に流され、母の決断を無駄にするところであった。俺もいつまでも子供ではないのだ。納得いかぬと駄々をこねるのも情けない話。ここは息子として、我が母の偉大なる門出を祝福するとしよう。相手の情報は何一つとして分からぬが、母が選んだ相手だ。きっと、強き心と慈しみを持った聖人のような男に違いない。中年は嫌いだし信用できんが、母は信じよう。いや、信じなければならぬ。なぜなら、信頼こそが家族の証だからである。取り分け最も固く尊い絆は母子間での親愛。臍の緒から切り離されても、不思議な線で繋がっているのが母と子というものだ。その繋がりは断とうと思って断ち切れるものではない。故に、母は俺に話したのだ。故に、俺は母を送らねばならぬのだ。
……よかろう。
認めよう。支持しよう。受け入れよう。
母よ。俺は、貴女の選んだ男を迎えよう。
共に住まう者として、共に生きる者として、未だ名さえ聞いていない人間を家族として懐中に招こうではないか! それが信頼。それが度量だ! 俺よ。おめでとう。一皮向けたぞ。今よりこの田中は、人生のステージが一段上がった。故に、そのステージに相応しい振る舞いと言葉遣いを披露しようではないか。
観よ! 聴け! この田中の一大舞台! 篤とご覧にあそばせい!
「よ、よ、よ……」
「よ?」
「よ、よ、よかったではないか母よ! いやぁ俺も貴女の行く末を案じておったのだ! もうしばらく経てば、下の世話までせねばならぬなと腹を決めていたところだが、そうか、さ、さ、再婚か! め、めでたいではないか! しかしまったく気が付かなかったわ! どうやら俺は鈍感がすぎるようだな! 迂闊も迂闊! 大迂闊だ! しかしもうこれで知ってしまったのだからな! しよう! 是非とも祝福しよう! 心から!」
店内なので高笑いは控えめにしておいたが、客がいないものだからそれでも反響し耳に返ってくる。うむぅ……動揺が隠しきれていない。いちいち声が震え、抑揚もおかしい。無理をしているというのが隠しきれていない。それはそうだろう。いきなり母親が「再婚を考えている」などと吐いて気が動転しない人間などいるはずがない。故に母よ。察してくれよ? 本心でいえばやはり反対だが、俺は貴女の望む第二の人生を否定したくはないのだ。だから頼むぞ。「わぁうれしいありがとう」と、何も知らぬふりして言ってくれ!
「……やはり、嫌なんですね」
察しろ!
いや口が悪かった。
俺の気持ちを汲んでくれ!
まったく言いたくもない祝辞を述べたらこれだ! どうしてそう思った事をそのまま口に出すかね! まず頭の中で咀嚼、攪拌し、相手の立場や意図に気付くよう努力をすべきだぞ。
実の親に向かって述べるような事でないが、こういう手合いは実に面倒臭い。回りくどく言っても通じぬし、正直になれば鬱ぎ込むのだ。左様な人間を如何に相手仕ればいいのものか、俺には作法がからっきし分からぬ。分からぬから、こんな時はもう……
「確かに、嫌だ」
本音を口にする他ない。
「そう……」
分かりやすいくらいに肩を落としたな。見ていて胸が痛む。
仕方がない。もう少し、踏み込んで話してやるか。
「だが、反対はしない」
「え……」
「確かに再婚は嫌だ。相手の男はどうしたって他人なわけだからな。そりゃ気持ちが悪いし、拒否もしよう。だが俺は、我が母の決断を否定はしない。母の人生なんだから、母が決めたらいいではないか。好きにしたらいい」
「……」
声も出ぬか。そうだろうそうだろう。感動しただろう。俺の度量の広さに涙を流さずには……
「……ありがとう…………」
「な、泣く事はないだろう! 泣く事は!」
まさか本当に落涙するとは。反応に困るな……だがまぁ、これで首尾よく親子の仲が深まったと……うん? なんだ? 母よ。何をしているのだそれは。窓に向かって……うぅん? 頭の上で丸を作っているのか? なぜ?
「ありがとう……私、嬉しいです……」
いや、嬉しいのはいいんだが……
「お母さん。外に向かって、いったい何を……」
「合図を決めていたんです。実はね。今日、貴方と会ってもらいたくって、あの人と……」
あの人。と、いうのはつまり……
「来るのか……再婚相手が……」
「……はい!」
そうか……来るのか……急だな……だが、俺の様子を見て会うか会わざるかを決めるというのは良い考えだ。中々に慎しみ深い。どうやらただの中年ではないようだな。どんな男か、少し興味が湧いてきた。よし。一旦深呼吸だ。目を閉じ、息を深く吸え。
……OK。準備完了だ。お、丁度店に入ってきたようだな。カランカランと安いベルの音がよく響きよる。いいか田中。ともかく、まずは挨拶だ。落ち着けよ? 母の選んだ相手だ。失礼のないよう、しゃんとするのだぞ。
……
「どうぞ。座って」
「あぁ……」
……来たか……き、緊張が……いかん! 呑まれるな! 俺はそこまで小心者ではないぞ! 自信を持つのだ!
……よし。
……目を開けるぞ! 開眼するぞ! さぁ、我が母を誑かした悪い虫よ! 今こそその面、拝ませよ!
……
…………
………………
え?
おま、え? ちょ、おま、お前なんで? え?
いやいや嘘だろう? なぜ、なんでお前がここにいるのだ!? これは夢だろう? 夢だな!? 誰か夢だと言ってくれ!
「よぉ田中。夏休みは楽しんどるか?」
「ど、どうして……」
「……なんだ。その様子だと、自分の母親が誰と再婚するか、聞いてないみたいだな。言わなかったのか? お前」
「だって、ビックリしちゃうと思ったんですもの」
「いきなり目の前に現れた方が驚くと思うが……しかし、なるほどな。おかしいと思ったんだ。再婚相手が俺だと知って、こいつがわざわざ話をしたいと思うはずがないだろうからな」
何を言っている。何を話している。分からない。分かりたくない。いったいこれはなんだ。悪い冗談か? どうして、どうして俺の目の前に貴様がいるのだ!? おかしいぞ! こんなことは許されない! ここに貴様がいていいはずがないではないか!?
「いいじゃないですか。ともかく、ゆっくり三人で話しましょう。先生」
「だ、そうだ。どうだ田中。一先ず、感想を聞かせてくれないか?」
「あ、あ、あ……」
なぜ、なぜ貴様なのだ! 貴様は最近新築を建てたばかりだろう! 家はどうした家族はどうした! 何を考えているのだ! 貴様は……貴様は!
「あ?」
「あ、あ、あぁ……」
あ、あ、あ……
「有村ぁ!」
呼び捨て! 絶叫! これが叫ばずにいられるか馬鹿ぁ!
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