この俺が働いてやろう!4

 荷解きし台車載せ運搬陳列。

 繰り返される単純作業。虚無だ。虚無により精神的に死にかけている。死んでいく心をいったい誰が汲んでくれるというのか。この場にはきっと誰もいない。死して屍拾うものなし。これもあのヤンキーのせいである。


「あいつらをバラして台車に乗せて並べていってくれ」


 などと適当な指示を実直真面目に聞いてやっている俺の懐の広さと有能さといったらないだろう。高校生にしておくには惜しい逸材ではないか?

 まぁ、棚の位置を記憶できず、その辺りの木っ端パートタイマーやゴミクズフリーアルバイターに嫌な顔をされながら聞いて回らねばならないのがすこぶる不愉快ではあるがこれも仕事。一に忍耐二に忍耐ともかく忍び耐える事が肝要。既にいっぱしの社会の境地にたどり着いている俺にとっては朝飯前の極意なれば、行うも容易い。それに、わざわざ下賤な人間が持つ魂のステージに合わせて奴らの土俵に立つ必要はないのだ。俺の心は天。人が虫の顔色を気にせぬように、俺が下等人類の視線にあたふたとする事などなく、心持はいつだって唯我独尊。凡人どもの爪弾きなどは、児戯に等しい。天才鬼才は孤にして高! 俺の存在は、極光の如く煌めく孤高なのだ!



 高校なのだ!


 なのだ。


 なのだ……



 ……


 …………


 ………………


 ……………………





「あれまぁ田中君。泣いてるのぉ? ほら、涙拭いてぇ元気出しなさい。男の子でしょう」


 倉木の婆! いつ俺の間合いに入りよった! いや、それより俺は泣いてなどおらぬ! 絶賛花粉症真っ最中なだけよ!


「ほら、キャンディあげるから、内緒で食べてねぇ。これ、おばちゃんのお気に入りだからねぇ。美味しいよぉ?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 誰が飴玉などいるか! 小学生ではないのだぞ! 侮りおって、上から見下して何様のつもりだ! 白髪と皺の数は決して人位と直結せぬぞ! 身の程を知れ婆!


「あ、美味しいです」


「そうでしょうそうでしょうぉ? なんたっておばちゃんのお気に入りだからねぇ?」


「はは……」



 ……不要な機嫌取りをしてしまった。どうも寛大が過ぎるな俺は。慈愛に満ち過ぎているのも考えものだ。


「でも田中君、頑張ってるねぇ。私にも同じくらいの孫がいるんだけどねぇ。いつも部屋に篭って何をやってるのか分からないから、心配なんよぉ」


「そうですか。それは大変ですね」


 俺は知っているぞ。貴様は次に、「あれじゃ嫁の貰い手がいないないのよぉ」と言って、そして、「嫁といえばねぇ」と家婦について語るのだ。


「あれじゃあ嫁の貰い手がないのいないのよぉ。そうそう。嫁といえばねぇ。息子の相手がねぇ。凄くいい子でねぇ。野菜なんかも細かく切ってくれえぇ。魚の小骨もちゃあんと抜いてくれるのよぉ。できた子だわねぇ」


「そうですか。それは良かったですねぇ」



 ほうらやっぱり! 何故知っているかって? 今朝方聞いたからよ!

 まったくどうして年寄りは健忘症でもないのに毎度毎度同じ話を繰り返すのだ。聞けば聞くだけうんざり辟易大顰蹙へきえきだいひんしゅくである。 そのくせ都合のいい事だけは憶えているのだから堪らない。



「その子がねぇ。おばぁちゃん。大変でしょう。って、この前マッサージ機を買ってくれたのよぉ。パートのお金を使ってねぇ。私、とてもじゃないけどいただけないって言ったのだけどねぇ」


「いつもお世話になっているほんのお礼です」と、言ったのだろう。その話は今日だけで三回目だぞ。


「いつもお世話になっているほんのお礼です。なんて言ってくれてねぇ。ついねぇ、泣いちゃいそうになっちゃってぇ。歳をとると涙腺が緩くなるねぇ」


 なるほど。そのせいで身体が干からびているのだな。水分はマメに摂取しておいた方がいいぞ? その木乃伊みいらの様な肢体では、寝ている内に誤って葬儀が執り行なわれかねないからな。


「それでねぇ。私には田中君と同じくらいの孫がいてねぇ……」


 いかん無間地獄だ。爺婆特有固有の特殊能力を発動された。これより先は奈落に堕ちゆくが如く久遠の虚空を我が身を包み、無にも等しい悠久の移ろいを傍観傍聴せねばならん。婆の口から吐き出される腐敗混じりのライフストーリーでエンドレスストレスフルである。これ以上くだらぬ時間の浪費があるか。老い先短い死に損ないが、未来ある若者の貴重な時間を略奪しているのだ。悪しき日本社会の縮図である。


 ……うむ。これは分からせてやらねばなるまい。自分の行動がいかに有害か、誰かがこの婆に言ってやらねば、本人の為にもならぬ。


 ……よし!

 

 倉木の婆。これまで老人の戯言と黙認していたが、もう我慢の限界だ! 静聴せい! 静聴せい! その遠い耳でしかと聞け! 俺の声を冥土の土産に、迷わず彼岸へ渡るがいい!



「婆! 何を無駄口叩いているんだ!」



 何だ!? 俺ではないぞ!? 斯様に野卑な台詞、俺は吐かん! いったいどこのストリート生まれギャングスタ育ちだ!? 面を見せい!


「ガキをダシに使ってサボるな! 働け婆!」


 誰だ貴様! いや店の店員なのは分かるが……

 思い出した。こいつは、朝に暇そうにしていた冴えないフリーアルバイターだ。明らかに小人故、興味が湧かず忘れておったわ。


「ごめんなさい村松さん。ちょっと、疲れちゃって……」


「疲れる程働いてないだろ役だ立たずが! 過労死しろ給料泥棒! お前が使えない分俺達が割食ってると自覚しろ!」


 こいつ、正気か? その言い草は、いくらなんでも……


「ごめんなさい……」


「どうせまたお前の屑みたいな息子と不細工面の嫁の話でもしていたんだろ! まとめて死んでくれれば、みんな助かるんだがな!」


 ……おい。

 おいフリーアルバイター。口が過ぎるぞ。さすがにそれはないだろう。言い方を考えんか馬鹿者め。そもそも貴様、明らかにタイムカードを切った後だったにも関わらず一向に仕事をする素振りを見せなかった不埒者だろうがこのうつけめ。婆も腹が立つが、貴様の態度も我慢ならぬ。そこに直れ! 修正してやる!


 ……いや、その必要はなさそうだ。村松とやら。貴様のスーパーライフも今日で終わりだ。今までぬるま湯に浸かり、言いたいことを言い、聞きたくないことは聞かぬというぬくぬくとした環境で働いて来たのだろうが、それも今日までよ。俺は今、しかと見ているのだ、今貴様の後ろに、ゆっくりとあの金髪ヤンキー店長が歩いて来ているのを! 暴言と怠慢! 首になっても文句は言えぬぞ小皇帝! 貴様の矮小さ! 力の無さを知るがいい!


「村松君」


「あ、店長……」


 さぁ唱えよヤンキー! 絶対効果を誇る呪禁、懲戒解雇の四文字を!


「豚肩来たから、カットしに行ってくれる?」


 ……


 ……


 ……


 ……はぁ?



「……分かりました。すぐに行きます」


 分かりましたじゃない! 待て! ちょっと待て! あ、行ってしまった! まったく! なんだこれは!? おいヤンキー! 貴様は何を言っているんだ! 見ていただろうあの状況を!? にも関わらずだんまりを決め込むつもりか!? なんたる腑抜けかこの恥知らず! 


「倉木さんも、陳列の続きお願いします。


「はい分かりましたぁ」


「田中君は、そのまま倉木さんの手伝い。よろしく」


「……」


 ……返事すをる気にもなれん。

 失望だ。失望したよヤンキー。よもや貴様が張子の虎だとは思わなんだ。婆を恫喝していた場面をハッキリと観ていただろうに、あのうつけを見逃すとはな。腐っても店長。肩書きに見合った働きをしてくれると信じていたが、やれやれだ。


「田中君。分かったか?」


 黙れヤンキー。もはや貴様など恐ろしくも何ともないわ。有象無象相手に日和る手合いなどに臆するものか。


「……適当にやっておくので、ご自分のお仕事をしてください」


「なんだ。陳列作業は気に入らんか?」


「まさか。人材の管理がしっかりとできている店長に仕事を命じられ、俄然やる気に満ち溢れております」


 皮肉を受け取れチキンボーイ。もっとも、貴様の低キャパシティな脳味噌では労りの言葉に聞こえたかもしれんがな。


「……」


「……田中。ちょっと来い」


「え、えぇ!? な、なんすでか!?」


「来いといったんだ」


「は、はい! 行きます!」


 しくじった。不意な低音と呼び出しについ挙動不振となってしまった。だが俺は屈しぬぞ! 従業員の管理もできぬような無能にいくら凄まれようと蚊程も脅威を感じぬわ! 何処へなりとも連れていくがいい! と、なに? 店外? 


 客足疎らな店を後にし、促されるまま裏手の倉庫。道中ヤンキーは無言。圧力を強く感じる。


 くそ、こ、怖くなんかないぞ!

 俺は折れぬ! 殴られようとも蹴られようとも、弱者を蔑ろにするような人間に対して折れるわけにはいかぬのだ! やるならやれ腐れ外道! だが、手加減くらいはしてくれよ! 俺は虚弱児だったのだからな! さぁ殴れ! 怪我せぬ程度に!





「はぁ……」


 なんだヤンキー。溜息など吐いた。

 やるのか? やる気か!? いや、これは違うな。何か虚空を向いている。いったいなんだ。何があるのだ。あぁ、分からん!

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