夏だ!海だ!この俺だ!

 人犇めき気温の上昇著しい鳴蝉の頃。

 高く昇る太陽を背に海を眺める俺は、恐らく、随分とダンディズムに溢れた孤高の存在として周囲の目に映っている事であろう。孤独と哀愁を背負った真なる男にまた一歩近づいてしまっているに違いなく、また、見る人間が見ればまさしく男の中の男の片鱗が輝いていると気付くに決まっている。俺の生き様は正しくハードなボイルド。メンオブメン。これはどうやら、世に迷う軟弱な魂を持つ柔な男どもの指標とならねばいけないようである。

 若くして男界をリードする宿命を課された俺にはやはり相応の女が必要だと強く思うわけだが、それは当然得難き存在であり、命のある限りに結ばれるとは限らず、ともすればいざ出会った時のために、俺はそういった得難き女達とのドラマチック&エモーシャルなセピア色の空想を描かざるを得ないのである。欲するものを得たと仮定し想像してしまうのは強欲で滑稽かつ無益に思うが、生物であれば無理からぬ事だろう。ここは一と時、夢現へと没頭する……



 ……








 はなが散り、風に潮の香り乗って久しく。天に満ちる青海には、泡立ち始めた卵白のような雲が数多に泳ぎ、その様子は、空の彼方に手が届くような錯覚を覚えさせるのであった。


 俺はスキットルに容れた酒を……ここは具体的に酒の名前を述べた方がいいか……ウィスキーを……いやいやバーボンだな。バーボンにしよう。ハードボイルドといったらバーボンかウォッカと相場が決まっている。アメリカかロシア。どちらを選ぶかと言われたらそれはアメリカに決まっている。なにせアメリカはハードボイルド発祥の地。小賢しくウォッカなどを選ぶより、ここは王道を歩むべき。アナーキーとアウトローがハードボイルドのモットーではあるが、曲げてはならぬ心があるのだ。それはつまり信念。ハードボイルドの精神は合衆国ステイツを愛する。よし。バーボンで問題なし。続けよう。


 俺はスキットルに容れたバーボンを舐め(この舐めるという表現が実にハードボイルドチックではないか)水平線の彼方を眺めていた。終わりなく続く地球という名の枷がいつになく重く感じる。俺は自由を愛し、自由と供に死にたいというのに、大気が、大地が、重力が身体と心を縛り、自由から引き剥がそうとするのだ。成就せぬ愛ほど哀しい唄はない。あぁ鳥よ。お前の翼を俺にくれないか。せめて空を飛ぶことができたのならば、この想いの一端だけでも届くかもしれないのに……(この間、哀愁に満ちた表情を崩さず、かといって媚びた様子を一切みせない無頼漢を気取れば尚良し。男というのは、悲しむ時は一人なのだ)


「田中さん。また、海を眺めていらしたんですね」


 背後から聞こえる声。だが振り向かない。背中越しに無言で答えるのが正解である。


「……こんなに近くにいるのに、私は、貴方の側にはいないんですね……」


 この台詞には二つの意味がある。

 俺が醸し出す孤高のオーラが女に一種の恐怖を与え物理的に近付けないというのが一つ。もう一つは、俺が目下女などに興味がないと見抜いており、心の内に入り込めないというものである。

 無論俺は女が好きなわけだが、だからといって誰彼構わずというわけではない。据え膳食わぬは男の恥などという言葉があるが、据え膳など食う方が男として下品なのだ。餌のように差し出された女を貪るは獣。ましてや女に媚びるなど言語道断。ハードボイルドとは、食いたい女をスマートに食う男と決まっている!


 だが、俺の作り出した彼の女。そうだな……エウロペとでも名付けておくか。

 そのエウロペは俺の理想とする女の一人なのだからして間違いなく垂涎ものの女丈夫である。決して据え膳として出されるようなのようなケチな女ではない。如何なる女かといえば、それはもう素晴らしい女。故に、まずはその素晴らしさを説明せねばなるまい。





 アメリカはアイダホの田舎町に一人娘として生まれたエウロペは普通ならば父の馬鈴薯農場とセットで馬鈴薯のような丸い頭の日焼けした礼儀知らずに引き渡される運命であったのだが、彼女は左様な人生を甘受する気がなった。エウロペの意思だけでは理解ない両親に一蹴に伏せられてるいただろが、幸運にも彼女には才覚があり、それを遺憾なく発揮する事により彼女は自身の人生を自らの足で歩む事となる。

 エウロペは敷かれたレールから外れるためにまず脅迫のような手段を使って父親を言い包め農場の経営権を握る(どう言いくるめたのかは割愛する)。無駄の目立った馬鈴薯農場のシステム化を図り事業を拡大。次に破棄していた馬鈴薯を用いてバイオ燃料と繊維業に手を出したのだがこれが大成功。僅か三年で片田舎の小さな農場をアメリカ屈指の大企業へと成長させたのだった。そして手に入れた巨万の富を使い各国から一流の講師を招集。一流の教育を受け、勧められて受けたケンブリッジ大学へと戯れに入学し、卒業と同時にやはり戯れでCIAへと入局。ここまで彼女の生い立ちである。




 そんなエウロペとの出会いは俺が政府からの要請で国際指名手配犯を確保しにルクセンブルクへ飛んでいた時の事であった。

 俺がターゲットのヤサを突き止め侵入した際、一人の女が拷問を受けんとしている場面に出くわす。別に放っておいても良かったのだが、傷が付くには忍びない麗人であった為に救出する事とし、実際無事に助けたのだったが、その助けた女がエウロペだったのである。彼女とはその後色々と縁があり、なんやかんやで男女の仲となったわけだが、結局心が通じ合うことかなわず、ズルズルと半端な関係を維持したまま今に至る。





「……俺の近くなんざ、ろくなもんじゃない。業火に焼かれ、死ぬだけだ」


 百点満点だ。一分の隙もない、というより出来過ぎだ。完璧な受け答え過ぎて自分でも少々羞恥を覚える。


「そんな生き方、哀しいです……」


 慎しみ深いエウロペは俺を気遣うのだが、それと同時に何とかして振り向かせたいという恋慕の情がせめぎ合い、愛憎苦悶が入り混じった唆る顔付きをしている。男というのは悩める女が好きである。能天気なぱっぱらぱぁより、思慮深く聡明で、どこか影のある女に庇護欲を覚え、また、女の多くは男のそういう性質を理解している。しかし、エウロペのそんな態度に対し俺は……





「慰めてくれるのかい?」


 俺はわざと軽口を聞く。ハードボイルドは心の内を晒してはならない。例えそれが、一夜の契りを交わした女であっても……





「……馬鹿」



 何とも色のある声でエウロペは言う。拗ねた様な、諦めの様な感情を込めて。

 俺は立ち上がり彼女を見つめ、渇いた笑みを見せるのだが、その笑みが表すのは離幅の意であり、やはり一人でいる事を言葉なく伝えるのであった。男は孤独にして孤高でなければ生きてる価値はない。


 だがこれで終焉となるのはさすがに淡白が過ぎる。更に進展がなくては面白みがないし、そもそもが理想の女と演じる人生を空想する試みではないか。何かアクションを起こすべきだろう。エウロペと共に過ごした時間を無駄にするわけにはいかない。


「確かに馬鹿だがね。ただ、その馬鹿を気にかけているお前さんは、もっと馬鹿者さ。そろそろアイダホに帰った方がいい」


 あえて引き離す言葉を使おう。エウロペのような才色兼備は求める物が全て手に入ると思い違いをしている場合が多い。その鼻をへし折ってやれば返って想いは強くなり、是が非でも俺を欲するに違いないのだ。女を追うのは二流三流。真の男は追われてなんぼであり、その為の駆け引きくらいできなければ話にもならない。さぁ来いエウロペ! 俺の胸に飛び込むがいい!






「……そうですね」





 ……そうですね? あ、帰省なされるおつもりで?

 馬鹿! ここは「そんな事言わないでください」だろう!? やめろ! そんな目で見るな! 貴様、瞳の色が惜別の涙色となっているではないのか! ふざけるなよ! 「別れたくない!」と懇願せい! さすれば俺達二人は結ばれるというのに! まったく俺の脳内に生きる貴様がなぜ俺に従わぬのだ! あ、馬鹿! どこへ行く!?「さよなら」ではない! いや、ちょっと、本当に一回止まれ! 止まれったら! ちょっと、エウロペ! エウロペさん! 何で!? どうして!? 行かないで! あ、こいつ本当にアイダホに帰る!? ちょ、おま、ふざけ……あ、あー! あーあーあー!






 ……




 誰もいない港。奏でられる音は、波と風。

 小々波のように愛した女が消えてしまった俺の心に、その寂しげな音がしずと入り込み、虚無に満ちる。あぁ。いったいどうしてこうなってしまったのか。エウロペよ。俺は、本当は君の事が……



 ……止めよう。全てが虚しく、哀しい。





 ……気晴らしのつもりがとても疲れてしまった。今日はもう帰ろう。しかし、この夏休みはもう海には来れんな。何もかもが悲しい思い出となってしまった。

 なので明日は山へ行く。自然に囲まれたハイキングコースを歩けば、多少は傷付き磨耗した恋心が癒えるかもしれない。さ、帰ろう。





 去り際に、海を一瞥。


 「さよならエウロペ」

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