俺の為のキャンプが始まる!6

「それにしても、今時エアホッケーですか……前時代的にもほどかありますよ」


 なんとでも言うがいい。貴様が何をほざこうが、敗北した際の予防線にはまったくならんからな。


「古きを温ねて新しくを知る。だ。だいたいい、ここいらにあるゲームだってほとんどが前時代のものだろう」


「それはそうなんですが……」


 やはりというか、当たり前というか、あまり乗り気ではないようだな。それもそうか。所詮此奴はビデオゲームオタク。身体を使う遊戯は慣れてはいないのだろう。しかしそれではつまらぬ。気力溢れた状態でなければ敗北の味は感じぬからな。どれ、挑発でもしてみるか。少しは気概を吐くかもしれん。


「それとも、負けるのが怖いのか?」


 安い台詞だが、まずは様子見させてもらおう。


「……なんですって?」


 お、いい反応だな。よし。畳み掛けてやれ。


「貴様は先ほどから勝ちに勝っていたが、いずれもやり込んでいたゲームばかりだったな。なれば勝って当然。負ける方が不可思議である。だが、俺の見立てでは貴様はこのエアホッケーは不得手! 故にウダウダと不満を漏らし、やる気のないフリをするのだ。実に笑える。貴様は先程、負けても楽しくしていろなどとほざいたが、自分が勝てるゲームだけやっていたのではその台詞に重さが加わらんな」


「……」


 に、睨まれた……美人の眼力はげに恐ろしいものよな。しかし、この反応は……


「……分かりました。この勝負。受けて立ちます」


 食い付いた! 思いの外負けず嫌いのようだな浅井! だがその勝気が命取りよ! さぁ勝負だ悪鬼羅刹! 圧倒的な男の力……しかとご覧じろ!









…………









「……よし」



 輝くネオンと派手な効果音。勝負の終わりを知らせる演出である。勝負の行方は、勿論!


「俺の勝ちだ浅井よ! どうだ! 土をつけられた感想は! 口惜しかろう! これでも楽しかったなどと言って笑っていられるか!」


「……」


 表示されたスコアはこちらが五点。あちらが四点。接戦であったが勝ちは勝ちだ。厳格なルールに則った判定であり、一分の隙も入り得ない、完全なる俺の勝利に終わった! さぁ浅井よ。異議申し立てがあるのであれば存分に述べるがよい。それ全てをことごとく封殺し、絶対なる敗北の二文字を貴様の胸に刻んでくれる! しかしまったく! 驕り高ぶった人間を打ち負かして得た勝利の味はひとしおだな!


「……」


「何とか言ったらどうだ! 負けて悔しいですと素直に項垂れることもできない人間に明日はないぞ!? ほれ、悲しみにくれてみろ浅井! 自身より遥かに劣る相手に負かされるのは屈辱であろう! その感情を解き放つのは悪いことではないぞ? さぁ、思いの丈、ここに吐き出せ!」


 あぁ気持ちいい! 気分がいい! こんなに晴れやかな思いをしたのは久しぶりだ! これは礼を述べねばなるまいな浅井! ありがとう! 実にありがとう! 貴様のおかげで、今夜は快眠できそうだ!


「……田中さん」


 ギクリとするような眼光。浅井め。睨みおるか。だがな、貴様如きの重圧に、俺は決して屈しは……



「……」


「……うぅ」




 いかん。気圧される。

 浅井め。此の期に及んで意地を通すか! いや、異議申し立てを述べよとは口に出さずとも言いはしたが……しかし俺は間違ったておらぬからな! そこを心得ろよ浅井! 悪行三昧を働き、人を虚仮した貴様が悪いのだからな!


「……」


「な、なんだ」


 む、無言が恐ろしい……まったく人の眼力というのは慣れぬものだな。嫌でも身構えてしまう。

 えぇい何を臆する田中よ。考えてもみよ。相手は所詮女。睨むばかりで何もできぬに決まっている。せいぜいわめき散らし、理不尽この上ない世迷いごとを叫ぶくらいであろう。ただが知れたものだ。


 ……よし! 覚悟は決まった! この田中。如何なる罵詈雑言も受けて立とう! 泣いて喚く貴様の姿を目に焼き付けて、後世の笑い話としてくれる!



「申してよ浅井。文句があるのならばその全てを俺が…………」


「……」


「……!」


 ……まさかの出来事に言葉が引っ込んでしまった。目の前の美女の、震える肩。浅井。貴様、よもや……


「田中さん……ひ、酷いです……」


「え、あ、いや……」


 よもや、よもや泣き顔を見せるとは……


 涙。そう、涙である。世に二人とおらぬであろう絶世の美女が流した涙……その色と艶めきは、まるで真珠のように純に淡く、一夜の夜に光る星屑のように儚く煌めき……


 などと詩人ポエットを気取っている場合ではない! 女の涙……それ即ち最強にして最悪の武器……それを抜きおるか浅井……


「ま、待て浅井……話せば分かる……だから、その、何だ。落ち着こう……」


 いかんぞ田中。相手のペースに乗ってはいかん。女というのは一度手綱を握るとテコでも離さぬ強情である。隙を見せれば即座に主導権を得んと躍起になるのだ。そんな不道理、通すわけにはいかん! ここは何としてでも俺の正当性を主張し、浅井の誤りを退けねば……


「私は……私はただ、田中さんと一緒にゲームをしたかっただけなのに……あんまりです……あんまりじゃないですかぁ!」


「い、いや、楽しかった! 俺は楽しかったぞ浅井!」


「私は辛いです! 悲しいです! 突然やりたくもないエアホッケーをやらされて、挙句怒鳴られたんですよ!? こんな理不尽、酷すぎます!」


 痛いところを突かれた! た、確かにそれは正論だが……し、しかしそうなったのは、きさまがザコを無体にも被りものにした事が要因であって……


「それとも、田中さんは舞を泣かせるのが目的だったんですか!?」


 うぅん……いかん……こ、これは分が悪い……


「だ、誰もそんな事は……」


 ふと気がつく視線。いつの間にやら人だかり。まばらだった客が、俺と浅井を中心にして蠢いている……


「痴話喧嘩かね」


「迷惑千万。他所でやってもらいたい」


「いや待て。話を聞く限り、これは男が悪いようだぞ」


「なんともはや……あのような麗人に雫を落とさせるとは……」


 いかん。此は完全なる敵地アウェー。圧倒的四面楚歌ではないか。まずい。実にまずいぞ……このままでは、勘違いした不細工供が正義面して難癖を付けてきかねない。現に一部から、「行くか」「行かざるか」などと不穏な声が聞こえる。な、何とかせねば……


「す、すまなかった浅井……ほら、別のゲームをしよう……な? お前の好きなやつでいいから……」


「もうゲームはいいです……今やっても、楽しくないんだもん……」


 ぐぅ……胃が痛い……これだから女は……


「な、なら、どうだ! 貴様の好きな所に連れて行ってやろう! 欲しいものも買ってやる! それでいいだろ!? な!」


「……本当ですか?」


「ほ、本当だとも! 何がいい! 何でも言ってみろ!」


「じゃあ……」






 そこから先は地獄。


 シャンポール何ちゃらだとか、ハプスブルク何ちゃらだとかの洋菓子と、ウェッジウッドで「本当はジャスパーが可愛いんだけど……」などと文句を言われながらマグを買わされ、その上で「たこ焼きが食べたい」などと宣うものだから、なけなしの貯金を下ろし近くの銀だこで六個入りのたこ焼きを買ってやって、更には茶と、露天のトルコアイスと、雑貨屋の安いアクセサリーを山ほどねだられ、終いには俺の有り金はうまい棒が四つ買えるくらいのものになってしまっていたのだった。キャンプ用品など買えるはずがなく、虚無。ただただ、虚無。







 


 キャンプ当日。

 各班に分かれてのカレー作り。皆、和気藹々と好みや具材について語り合いながら野菜や肉を切ったり炒めたりしている中、俺たちの班は既にルーを鍋に投入し、焦げ付かぬようにかき混ぜている段階。



「このカレー。鍋の中でよく回りよる」


「ほぅ。それは何故かな」


「知れた事。肉、菜の実がないのだ」


「それは異な。左様なカレー。美味いのか?」


「さてね。何しろ素カレーなどという代物を口にした事がないのだから、味を語る事などできるはずもない」


「なるほど……しかし、いったいどうしてそのような事態になったのだ」


「阿呆が材料を買い忘れてきたのだ。あまりにも馬鹿すぎて、開いた口が塞がらなんだ」


「ははぁ。そいつは余程の愚か者であるな。名をなんと申す」


「はて。なんと言ったかな……なぁ田中。貴様知らんか。カレーの具材調達を任されたくせに、その責を全うせなんだ無能の名を」


「……」



 くだらぬ茶番をありがとう班員よ。貴様ら、絶対に許さんからな! あぁまったく! こうなったのも、あの浅井のせいよ! 奴め、俺から絞るだけ絞って「用事があるから帰る」などと抜かしてさっさと帰りよった! 俺が得たものは周りの不信感だけである! 忌々しい事この上ない!




「みんな! 魚釣れたよ! 岩魚だよ岩魚! 焼いて食べよう!」


「でかした佐川!」


「魚があれば白米だけで十分! 斯様なひもじいカレーなどいるか!」


「田中。貴様はこの極貧カレーを責任持って平らげよ。俺たちは焼き魚定食と洒落込ませてもらう」


 佐川め。これ見よがしに釣果を誇りよって。英雄気取りか。


「いっぱいあるから、みんなで食べよう。あ、田中君! 道すがら具材を分けてもらってきたから、カレーに入れよう!」


 笑顔で近づいてきたな眼鏡。俺はちっとも愉快ではないのに、貴様は笑顔なのだな!


「佐川君。もはやカレーは最終段階。このような野菜、入れる余地がない」


「そんな事ないよ。別の鍋で炒めて煮れば、馴染むはずさ。そんな事より、昨日は災難だったね……」


 まったくだ。だいたい何なんだあの女は。人の金をまるで自分の懐から出すように使いよる。とんだ悪女だ! おのれ原野め……とんでもない奴と知り合わせてくれたもの……


 待てよ。


 佐川の阿呆が口をまごつかせたのは、まさか……


「佐川君。一つ聞くが、もしかして君……」


 変わる空気。笑みが消えるサ佐川。黄昏を思わす、深い眼洞。


「……エイヒレとかいう高いお皿を贈呈してしまったよ……」






 佐川の短い告白。交わす無言の握手。それは友情などという生ぬるいものでもなく、また、戦友といった固い絆でもない。例えるならば、自慰行為を母親に見られた者同士が情けなさを共有する、じめとしたシンパシーとでもいおうか。




 俺は後に佐川の言う「エイヒレ」というのが、「エインズレイ」という高級品であり、また、浅井が適当な男を見繕って趣味の悪い戯れをしているという話を人伝てに聞いた。もはや怒りも恨みもなかった。俺は、騙された俺自身に対し自嘲する以外に、精神の持ちようを知らなかった。







「あ、田中さん! この前はありがとうございました!」


 再び出会った浅井はあっけらかんとしていた。まるで自分に一点の曇りなく、また、世界は自分を中心に回っているかのように……

 俺はこの日から女に対する認識を改め、同時に、もう少しばかり佐川に優しくしてやろうと決めたのであった。

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