貴様が測るのではない。俺が測るのだ!4
春の木漏れ日は時に暖かく、時に肌寒く気紛れで。寝るのには少々都合が悪いが、それでも風に混ざった緑の香りが心地いい。ふぅ。ようやく一息。とりあえず、一服……
「おらぁ!」
!
なんだ! 奇声が聞こえたと思ったら腹部に突然の激痛が! いったい何事だ!
「先輩。なぜ、舌の根も乾かぬ内に約束を違えたのですか?」
声をかけたるは性悪の爬虫類顔。川島。約束を違えた? なんの話だ。俺は原野と乳繰り合ってなどおらぬぞ!
「し、知らんぞ俺は……」
「補助の仕事が終わり、人が散り散りになった途端に二人で仲良く立ち幅跳びに興じる……! これはもはや恋人同士の馴れ合いではないですか! 横恋慕! 横恋慕です! 俺と
川島め! 一言喋る度に蹴りを入れてきよる! 内臓が潰れそうだ! それにしてもこやつ、なんたる狭量であろうか。たかだか立ち幅跳びを測定し合っただけでこの錯乱っぷりとはな。将来が思いやられ……! げ! よ、腰椎をやられた……こいつ、本当に手がつけられん! 狂犬だ!
「痛いですか? でも俺はもっと強く心を痛めたんです。分かりますか? 貴方によって痛めつけられたんですよ! 反省してください! 深く、深く反省してください! 人の女に手を出すのは重罪です! 慰謝料の準備をしてください! 二百万でいいです! といっても貴方如きが払えるとは思えませんので毎月三万で許しましょう! 俺は慈悲深いでしょう!? どうぞ崇め奉ってくれて結構ですよ!? ほら遠慮なく崇めろ! 奉れ!」
二百万など誰が払うか異常者め! 貴様に渡すくらいなら高校生ながらに一人夜の街に繰り出し一足お先に大人の階段を駆け上がる為の軍資金とするわ! とっ! 痛い! お、おのれ! か、顔を足蹴にしよった! 俺は仮にも先輩だぞ! まったく勢い余って芝を食んでしまったではないか! 青臭い!
「幸雄さん! やめてください!」
この声は原野か。良いところに来てくれた。さっさと誤解を解きこの暴力男を止めてくれ。
「京か。止めてくれるな。俺はそこな間男を成敗せねばならん。恥知らずにも貴様を誑かし、辱めた色魔を討たねば、この川島幸雄。胸を張って先祖の墓に入れぬわ!」
酷い言われようではないか。俺は大江山の朱点童子か。いや、この爬虫類顔を頼光とするわけにはいかんな。どんな例えが適切だろうか……俺がシンデレラで奴が継母……?
いかん。そんなくだらぬ事を考えている場合ではない。早くこの場を切り抜けねば体力測定に支障が出てしまう。もしかするともはや手後れという可能性もなきにしもあらずなのだが、万事を尽くさねば天命も待てぬ。というわけで原野よ。頼むぞ? 貴様がだけが頼りなのだ。上手く言いくるめて俺にひとときの安らぎを取らせてくれ。でないと、冗談なしに命を掛けねばならない羽目となってしまう!
「けれど、幸雄さん……私、その方とは何も問題がなかったんです。はっきりと言ってしまえば、興味もありません……」
本当にはっきりと言い切りおったな女狐め! しかし、これだけ明瞭に申せばいかに色呆けた頭でも濡れ衣だと分かるだろう。やれやれ。ようやく解決だ。これで眠れる……
「……つまり。お前は俺が間違っていると言っているのだな? 京よ」
「……! い、いえ! 決して、そんなつもりでは……!」
乾いた音一つ。原野は倒れ、左の頬を真っ赤に、痛々しく染めている。
川島よ。貴様。本当の本当に下衆のようだな。まさか女に手をあげるとは思わなんだぞ。
「お前はいつもそうだ。俺の側にいて、俺の言う事を聞いて、俺に尽くしていれば、何の憂いもなく幸せで喜び溢れる毎日を過ごせるというのに! どうしてお前はいつもいつもいつも! 俺の意に添わぬ事をする! 今回の件についてもそうだ! お前がもっとしっかりしていれば防げた問題ではないのか!? お前が俺以外の人間と口をきかなければよかったのではないか!? さすればこの男は思い違いもせず身の程を弁えゴミらしくいつものように無意味な毎日を享受できただろう! もしお前がこのゴミを哀れだと思うのであればそれはお前の責任だ! お前自身が招いた事態なのだ! 猛省せよ! 猛省せよ! 猛省せよ!」
足蹴にする対象が俺から原野に変わっている。まったく何というやつだ。昨今、ドメスティックバイオレンスの問題が叫ばれているとは聞いていたが、こんな真近で見る事になるとは思わなんだ……
などと傍観している場合ではない! この腐れ外道! 自分が愛している女に何をさらしているのだ! 許せぬぞ川島幸雄! その悪逆、今、俺が正してやる!
「ま、待
て……」
いかん。立ち上がれん。声を出すだけで精一杯だ。身体中が痛いうえに熱も上がっている。えぇいとんだ厄日だ! だがこのまま寝ているわけには……助けぬわけにはいかぬのだ! いかに原野が魔性といえども女である事には違いない! そして女が殴られていいはずがない! 俺よ! 立て! 最後の力を振り絞れ! よし! 起立完了! ここまで約三十秒! よくぞその間おとなしく待っていてくれたな川島よ! そこだけは感謝しよう!
「お、女に暴力は、よ、よくな……」
「黙れ」
川島の上段廻し蹴りが俺の顎にクリーンヒット! 脳が揺れる! せっかく立ち上がったのにも関わらずまた地べたに頬ずりをしてしまうとは情けない!
「貴様は立場が分かっているのか! 誰の女をすけこましたと思っているのだ!」
再び蹴りが俺に集中! だが、これでいい。女が殴られるよりは幾らかましだ。激痛がひどいな。どこか折れたか? まぁ良い。このまま気絶してしまおう。さすれば、睡眠でき……
何だ。何かが俺に覆いかぶさったようだが……
「京! お前、なにを考えている!?」
……原野が、原野が身を通して俺を守ってくれている! 原野、貴様、俺を庇うのか!? いったいなぜだ!
「幸雄さん! 如何にゴミのような人であっても、私以外を傷付けるのはやめてください!」
ゴミ! 原野お前、俺をゴミと言ったか!? なんたる失礼千万! もうちょっと言い方を考えい! だが……
「……なるほどそうか。ならば、望み通りにしてやる!」
蹴りがくる……か、身体よ! 動けよ!
「げぇ!」
い、今まで一番痛い! こいつ、女に向かってこんな力で蹴り上げるつもりだったのか!
「……田中さま……どうして……」
「身体を張るのは……男の仕事だ……」
格好をつけたはいいが、嫌な音が身体中を伝わった。いよいよ折れたな。午後までに回復すればいいのだが。
「悪党が何をほざくか!」
そして悪漢から悪党呼ばわりか……よかろう。ならば、俺も吠えてやる!
「黙れ! 今この場にては俺が正義だ!」
あ、川島の脚が上がった。いかんな。体力測定は受けられそうにない。このままではただでは済まんが、えぇいままよ! やるならやれ! 意地を通して果てるなら本懐! いや、本来なら好いた女と昼夜問わずの思い出作りをしたかったが致し方なし! さぁこい川島! 俺を殺して少年院へ行け!
「そこまでにしておけ」
声、突然の声。という事は……助けが来たか!? なんたる漫画的展開! 劇的がすぎる! 英雄よ! 貴方はいったい何者だ!
「……有村……先生…………」
有村!? 有村かぁ……
「川島。貴様、自分が何をしているのか分かっているのか? 無抵抗の人間に対し一方的に蹴り入れるとは情けない。それに、原野の頰が赤くなっているのはなぜだ。まさか貴様がやったのか」
「それは……」
お、これは愉快。川島が震えている。なんと情けない。しかし、助太刀に来たのが有村とは。助かったには助かったが、釈然とせぬなぁ……
「こ、この男が京に手を掛けた故、無礼討ちをした次第にございます有村先生!」
おっと突然無実の罪がまろび出た。何をほざくか川島め! そのような話誰も信じ……いやまて。俺は有村の阿保に目をつけられている。これはまずいのではないか?
「なぁ!? そうだろう! 京!」
「えっ! あっと、その……」
「俺がお前に手を出すはずないよなぁ! 京! そうだろう!?」
「……っ」
まずいな。察するに、原野はこれまでま暴力を受けてきたに違いない。そういった関係はもはや主従のそれであり、ペットと飼い主のようなものである。このままでは、冤罪で退学などという無様を晒すかもしれん。まずいな。どうしたものか……
「いえ。私は、幸雄さんに……川島さんに、暴力を振るわれました。田中様は、私を庇って……」
原野! おぉ原野! よかった! 信じていたぞ原野!
「……っ! 京! 京! 京! なんでだ!? なんでそんな事を言うんだ!? 僕はお前を……」
「……詳しくは指導室で聴く。来い。それとお前達は二人はここで待っているように。すぐに他の先生方を読んでくるから、動くなよ」
川島がドナドナと連れられて行く。愉快。実に愉快だが、いかん。動けん。有村め。なにを考えているんだ。この状況で俺を放置していくなどありえぬだろ普通。確実に折れているぞ骨。痛みで死にそうだ。
「田中様! 申し訳……申し訳ありませんでした!」
やめろ馬鹿! 抱きつくな! 傷に触る!
しかし、こいつ、なぜ俺を庇ったのだろうか……ははーんなるほど。うん分かった。此奴、必死に自分を守る姿を見て俺に惚れてしまったのだな? それはそうだ。あそこまで男を見せられたら惚れぬわけがないものな。愛い奴愛い奴。よしよかろう。今までの事は全て水に流し、貴様を俺の女としてやる。よかったな! お眼鏡に叶ったぞ原野! だが、一応好意と交際の確認をしておこう! こういう事ははっきりさせておかねばならぬからな! 貴様の一言で晴れて明日から恋人同士だ! おめでとう俺! 天の祝福は今なされたぞ!
「原野、貴様、さては俺の事が好きだな?」
「いえ、それはないです」
「そうか! そうだろうとも! 今のは軽い冗談だ! 許……せ……」
まったく魔女め! 貴様のおかげでまた道化だ! 最後ま……で……人を……馬鹿にし……てくれ……る……
「田中様? 田中様!?」
意識が……遠のく……。原野が何か言っているが、もはや……
そうして俺は意識を取り戻す。気が付けば病院。診断結果は風邪と打撲。骨にもまったく異常なし。痛い痛いと騒いだ自分が馬鹿みたいに思えるな。馬鹿ではないがな!
しかし、一番屈辱なのは体力検査の再測定というか、別日での実施である。二年の対象者は見事に俺だけ。おかげで下げたくもない頭を下げ、「お忙しい中ご配慮いただき誠にありがとうございます。本日はお願いします」と面の皮が厚く恥知らずな体育教師に願い、他の連中の見世物となりながら測定しなければならないのだった。聞こえる笑い声が全て自分に向けられている気がして気分が悪い。おのれ俗物共めが。今に見ておれよ!
そんな中で解せぬ事が一つ。それは……
「田中様。見事な投擲でした!」
学年の違う原野が、俺と一緒に追測定を受けているのである。
「何が見事なものか。平均より遥かに下回っているではないか」
「それでも、鬼気迫る投げっぷり。私、お見それいたしました」
「そうか……それはそうとして、何故貴様が一緒に測定しているのだ。一年は何人か休んでいただろう」
「それは、先生に頼んだんです。田中様と一緒に測定させてくださいって……」
「なぜ、そんな事を」
「あら。覚えていらっしゃらないんですか?」
「なんの話だ?」
「私、田中様が気を失われる寸前にこう言ったんですよ?」
お友達から、始めましょう。
原野の笑顔は、春の日差しのように暖かく、朗らかだった。だが俺は騙されない。なぜなら、これが、これこそが奴の魔性なのだと知っているのだから! おのれ妲己め! 此の期に及んでまだ俺を誘惑するとは! つくづく邪気に染まっておるようだな!
「これから、仲良くいたしましょう。田中様!」
「……う、うむ! まぁよろしく頼むぞ!」
高笑いを体育教師に注意される。それを笑う原野は美しかったが、なんとも言えぬ、複雑な気分である。
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