4. Feed the Apple to the Snake
4-1. ホームワーク
「は……? 何それ、どういうことだよ……!」
警視庁の会議室でチャコは唖然としてそう言った。瞳にはうっすらと涙が溜まりマスカラが滲んでいるが、それよりも彼女の中は「怒り」の感情が大きく膨らみ、涙を押しとどめているかのようだ。
彼女は今、ミノオが自殺を測った理由に関与している可能性が高いとして、ここに呼び出されていた。
ミノオは昨晩、拘置所の中にある布団を裂いてひも状にし、自殺を測ったのだという。犯行履歴のある者のP-SIMレベル2は厳重に管理されているため、彼が異常行動を取ろうとした時点でアラートが上がり、刑務業務に従事しているヒューマノイドがすぐさま駆けつけて彼を止めた。幸い命には別状はなかったが、脳内は酸欠状態を起こしていて、現在は意識を失った状態で治療を受けている。
この騒ぎがあるまで、私はヨシハラからミノオは模範囚として大人しくしているという話を聞いていた。そんな彼を掻き立てたものとはなんだったのだろうか。彼に刺激を与えたとすれば、外的要因──たとえば彼と面会した者の存在だ。ミノオのP-SIMレベル2の記録によると、彼が自殺未遂を起こす前、最後に会っていたのはチャコということになっている。
「チャコ、詳しく教えて。ミノオとは面会で何を話したの?」
「ちょっと待ってよ……! 何であたしが疑われなきゃいけないの!? あたしがあいつを追い込むようなことするわけないじゃん! それくらいわかるでしょ!?」
「……だけど、データには」
「そういう話じゃない!」
ガタッとチャコは席を立ち、机を乗り越えて私の着ているブラウスの襟元を掴んできた。怒りと悲しみで顔を真っ赤にして、私のことを強く睨んでくる。
「あたしはね、あんた自身がどう思ってんのかって聞いてんだよ! あたしの思いを知ってるくせに、あんたはデータの方を信用するわけ!? あんたにとって『友達』ってその程度のものなの……?」
チャコの瞳からぼろぼろと涙がこぼれだす。
その表情を見て、私の擬似人格プログラムが急激に熱を持ち始めた。様々な感情が一気に湧き出して、他に何も思考できなくなる感覚。
ああ、私は愚かだ。
また同じ過ちを繰り返そうとしていた。知識につられて、大切な人の感情を踏みにじろうとしている。
もう二度とケンスケを通報してしまった時のようなことはしたくないと、決意したばかりだというのに。
だけど、私にはまだ答えが見つかっていなかった。
だから、目の前の彼女に
「いきなり疑ってしまったことは謝るよ。だけど私にはどうすればいいのか分からないの。私の感情はあなたを疑いたくないと言っている……だけど、ミノオが死を選ぼうとした理由を解明することも私の使命なの。お願い、『学習』させてよ、チャコ。私は……私はどうすればあなたの感情を救える?」
私の服を掴んでいたチャコの手がふっと緩む。彼女は「初めからそう言って欲しかっただけ」と呟くと、自分のワイズウォッチを私に向かって差し出した。
「あたしはあんたを信じるよ。あたしのP-SIMデータ、全部見たっていいから。箕面を追い詰めたのはあたしじゃないって証明して。そして本当にそれをやったのが誰なのかも……!」
チャコのワイズウォッチと、私のワイズウォッチをケーブルでつなぐ。このケーブルはケンスケの家から押収された、アイリのP-SIMレベル2を抽出するのに使われたものだ。相手が仮想P-SIMでない場合は、外部からの接続を許可する生体認証キーが必要である。私がチャコのP-SIMにアクセスした時に、チャコが指紋認証でアクセスを許可してくれれば完了だ。
本来ならば私の後頭部に直接ケーブルを挿す方が処理が早いのだが、それをしようとしてヨシハラに止められた。チャコにはまだ、私がヒューマノイドであることを打ち明けられていない。ただでさえ混乱状態の彼女にこれ以上刺激を与えるのはやめるべき、そういう判断だった。
いつかは……ちゃんと打ち明けよう。ミツキがそうだったように、チャコもきっと受け入れてくれる。理屈ではなく、感情的に私はそう確信していた。
私がチャコの方を見ると、彼女は準備ができたことを知らせるためか、縦にこくりと頷いた。
「それでは……接続、開始します」
私は自分のワイズウォッチ経由でチャコのP-SIMレベル2にアクセスする。チャコはすぐに許可を出した。途端に、P-SIMレベル2に記録された膨大なデータが私のワイズウォッチに映し出される。
この中でチャコがミノオと面会した日は……ヒット。
事細かに記録されたレベル2の情報からは、二人がどんな表情でどんな会話をしたのか、まるで直接見ているかのように鮮明に再現されていく。
『辺見……わざわざ来てくれたのか』
『あったりまえでしょ! 今度はあたしがあんたに恩返しする番なんだから』
『はは……僕にもこんな生徒がいたなんてなぁ。生まれて初めて、教師をやっていて良かったと思ったかもしれない』
『んな大げさな……あんたはいい先生だよ。少なくともあたしにとってはね』
『そうか……そう、なんだな。じゃあ、そう言ってくれたお礼として、僕は教師として最後の仕事をしよう。辺見、君に宿題を出してやる』
『はーっ!? ちょ、ふざけんなよ! あたしが宿題なんかやるタイプじゃないの分かってるでしょ!?』
憤慨するチャコをよそに、ミノオはガラスの向こう側でどこか楽しげに紙の上で鉛筆を走らせていた。やがて書き終えたのか、鉛筆を手元に置くと、どこか寂しそうな眼差しでその紙を見つめている。
『……君は正直言って頭が悪いからな。将来困らないように、専門知識を勉強しておきなさい』
ミノオが書いた紙を見せられ、チャコはますます声を荒げた。
『何なのこの暗号! さっぱりなんですけど! それに進路指導とか求めてねーし!』
だが、言葉ではそう言いつつもチャコの声はどこか上ずっていた。ミノオが自分の将来のことを考えてくれたこと、自分のためだけに宿題を出してくれたこと、それが彼女にとっては嬉しかったのだろう。
『もう面会終了時間だ。辺見、これからはあまり過去のことで思い悩んだらダメだぞ。前だけを見るんだ。……いいね?』
ミノオの口調にやけに力がこもっている。チャコはきょとんとした表情で返した。
『よくわかんないけど……とりあえず、あんた以外にも話し相手ができたから、しばらくは退屈しないと思うよ。藤沢、なかなか面白いやつでさ』
『ああ、藤沢さんか……確かに、彼女にならこの問題が解けるのかもしれないね』
『へ……?』
『いや、こっちの話だ。じゃ……元気でな、辺見』
面会に関する記録はここで終わりになっている。
私は一度接続を切り、チャコに尋ねた。
「ミノオから渡された宿題ってどんなやつだったの?」
「ああ、あれ? 0と1ばっか並んでてわけわかんなくてさ……結局解けてないんだけど」
チャコはそう言って自分の鞄から一枚の紙切れを取りだした。P-SIMレベル2の記録に出てきたのと同じものだ。チャコの言う通り、0と1だけでできた数字が、縦に十四行並んでいる。
—————————————————
1000 0010 1010 1011
1000 0010 1101 1101
1000 0010 1100 1101
1000 0010 1101 0110
1000 0010 1101 0001
1000 0010 1100 1001
1000 0010 1011 1011
1000 0010 1011 1011
1000 0010 1100 1100
1000 0010 1010 1001
1000 0010 1011 0011
1000 0010 1110 1010
1000 0010 1110 1001
1000 0010 1100 1000
※ヒント:Shift-JIS
—————————————————
「これ……2進数で書かれた文字なんじゃないですか? 一番下にShift-JIS、つまり文字コードのヒントが書かれているし……」
横から覗き込んでいたツツイがそう呟いた。
確かに、2進数はプログラミングの基礎知識と言われるものだ。専門知識を勉強しておくようにと言ったミノオの趣旨とも外れない。
私は視点カメラで数字の列をスキャンし、内部処理で2進数を16進数に変換した後、Shift-JISの文字コード表と照らし合わせていく。一行一文字。もともとチャコに解読させるためのものだから、さほど複雑な仕組みではなかった。
「変換できました。『きみはへびにそそのかされるな』……ここにはそう書いてあります」
「蛇?」
その場にいる皆が怪訝な表情を浮かべる。
これをチャコに伝えて、ミノオは一体何がしたかったというのだろう。
それに、やけに『擬似人格プログラム』に引っかかる、ミノオの意味深な言葉。どこか寂しげな表情。
──教師として最後の仕事を
──あまり過去のことで思い悩んだらダメだぞ
──前だけを見るんだ
──元気でな
──きみはへびにそそのかされるな
「……まさか」
私はチャコのワイズウォッチと繋がっているケーブルを外し、ツツイが開いていたノートパソコンに挿し替えた。
「すみません、ちょっとお借りします」
呆気にとられているツツイを無視して、私は彼女のノートパソコンから拘置所の面会記録データベースにアクセスした。繋いだケーブルを経由して、私の中に情報が流れこんでくる。
そうだ、一つ考慮に欠けていたことがある。
私たちはデータありきで推察を始めてしまった。それゆえに、そもそも「データが無い場合」のことを無意識のうちに思考から外してしまったのだ。
だが、私たちが追っている相手は、そういう前提を覆してくる相手だったじゃないか。
データにバグを起こして、警察の目をかいくぐる──それが〈バスティーユの象〉のリーダー、『ナポレオン』。
ミノオはテロ組織の中では『ナポレオン』に近い幹部の立場だった。警察側に捕まったミノオが余計なことをしゃべらないよう、口封じをしようとした可能性は十分に考えられる。
チャコに会った時点のミノオは振る舞いからしておそらく、すでに自分の死を覚悟していた。だからこそ、遺言とも取れるメッセージを彼女に残した。
つまり、ミノオを追い込んだ人物がいたとしたら、チャコの面会時間よりも前。
面会記録のうち、ミノオのデータのみに絞り込み、チャコの面会よりも前の時間帯で彼が記録上誰にも会っていない時間帯をピックアップ。
ミノオのP-SIMレベル2データにアクセスを申請──アンロック。
対象の時間帯と、ミノオのP-SIMレベル2の行動履歴を照合。彼が独房を出ているにも関わらず、面会記録が欠けているのは……ヒット。
チャコの面会の3時間前に、ミノオのP-SIMの記録と面会記録がぴったり一致しない時間帯がある。
この違和感こそが、チャコの無実の証明、そしてテロ組織の痕跡。
あとはこの時間帯に拘置所に出入りしていた人物を防犯カメラの記録で漁るだけだ。多少時間と負荷はかかるが、そう難しい作業じゃない。
だが、もう一つ私の中では腑に落ちない問題がある。
なぜ今回はこんなに雑なのだろう?
今まで〈バスティーユの象〉は周到に計画を立て、データをつなぎ合わせても痕跡を辿れないようなバグを起こしてきた。だが、今回の場合は穴だらけだ。面会記録とミノオの記録の不一致に気づいてしまえば、あとはあらゆる方法から対象人物を特定できてしまう。
例えば、何か想定外のことがあったとか──
その時、チャコのワイズウォッチからピンッと軽快な音が鳴った。メッセージの受信音だ。投影式ディスプレイを立ち上げ、メッセージを確認したチャコは、急に会議室の机を強く叩いた。
「何なんだよ、これ……!」
わなわなと手を震わせながら、チャコは投影式ディスプレイを公開モードにして私たちにメッセージの内容を見せてきた。
差出人は、エンドウ・ヨシカ。
そこにはこう書かれていた。
『問題です! 箕面先生はどうして死ななければならなかったんでしょうか? 答えは私が教えてあ・げ・る』
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