4-3. サイバーチェイス
エンドウとチャコの保護はツツイに任せ、私はサイバー犯罪対策課のモニタールームに戻ると、ヨシハラに何があったのかをすべて話していた。
「ユウくん。今の話が本当なら……!」
「はい。エンドウ先生に接触したのは〈バスティーユの象〉の『占い師』のクラタ。クラタを追うための材料も手に入れました。あとは彼女を見つけ出してナポレオンの正体を突き止める……それでいよいよ決着です」
エンドウの話によると、彼女は昔〈隣人同盟ゾウの会〉で200万円以上もするぼったくりのパソコン講座を受講したことがあり、その金が戻ってくるかもしれないという話をクラタに聞かされ、彼女に呼び出されて待ち合わせ場所のファミリーレストランへ向かったのだという。
だが、実際に会ってみると彼女はただ世間話をするだけで、返金の話については一切触れてこなかった。その会話の中で、機械音痴のエンドウにお勧めのアプリがあると言って、例のアプリをインストールするように促されたらしい。エンドウは自動運転車には乗っていないからと断るつもりだったが、駐車場に出てみると自分の車が故障していて代用車に乗ることになってしまったので、結局インストールすることにしたらしい。
エンドウは、クラタが前科者であることを知っていたし、〈ゾウの会〉に通っていた当時も知り合いとはいえ実際会話を交わしたことは数回くらいしかなかった。ゆえに少しは警戒していたらしく、彼女のワイズウォッチの中にはファミレスの外からひそかにクラタを撮影した画像が残っていた。
画像の中のクラタは、いかつい顔つきで眉毛がほとんどなく、白髪交じりでボサボサの髪形をしていた。私が以前、前科犯のリストで見たクラタの写真とはまるで違う。美人だった面影はどこにもない。美しく整っていた顔を崩すかのように整形手術が施されているようだ。彼女を探しても見つからなかったのは、ここまで顔を変えてしまっていたからなのだろう。
だけど、もう逃がさない。
「それにしてもずいぶん気合が入っているね。外から戻ってきたばかりなのに、もうクラタの追跡準備を始めるだなんて」
「私はロボットですから、体力の概念はありません。それに……やっと、自分のことが分かってきましたから」
「どういうことだい?」
「私は今、与えられたミッションとしてではなく、自分の意志でこの問題を解こうとしている……イチノセ・アイリのメモリーからできた擬似人格としてではなくて、2033年に生きるフジサワ・ユウとして。私は自分が何に怒って、何に喜んで、そして何のために自分の力を使いたいと思うか、やっと『学習』できてきたんです」
するとヨシハラはにっこりと微笑み、私の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「へぇ。それは興味深いな。AIに自我が芽生える、か……これが終わったらゆっくり話を聞きたいものだね」
「はい。ですが、まずは『占い師』クラタ・アサミの行方を追いましょう」
モニタールームに控えていた捜査官の「準備完了です」という合図とともに、私はまぶたを閉じた。視界情報をシャットダウンした方がデータの処理には集中しやすいからだ。
今はケンスケがいない分、自分で処理モードをコントロールしなければいけない。こうしてみると、いかに彼の存在が私にとっての支えとして大きなものだったのかが分かる。負荷量のモニタリングだけじゃない、普段のメンテナンスも……いや、やめておこう。今は他のことを考えている余裕はない。
今回のデータ解析の目標は、クラタ・アサミの居場所の特定。
必要データを整理……エンドウがクラタに呼び出されたファミリーレストランの位置情報、交通機関の乗換ルート情報、防犯カメラのデータ。
オーバーヒートまでの限界をシミュレーション……極限まで処理モードを高速化へ。
今回の解析データ量、人工知能の残メモリ、負荷量を鑑みて解析可能時間は1分。それを超えるなら対象データを絞ってやり直しだ。だが一刻も早く特定したい。
「行けそうかい?」
ヨシハラの問いかけに、私は答える。
「大丈夫です。それでは、始めます」
インターネット経由で地図データにアクセス。ファミリーレストランの位置を起点に現在までの経過時間による移動距離を計算。経過時間は2時間。徒歩、自転車、バイク、タクシー、バス、電車、あらゆる交通機関を使った場合の時速別分析と、向かった方角による複数パターンの分析を並行して実行。起点から想定ルートを大画面上に映した地図に赤いラインで表示。数百本の線が起点からどんどん伸びていく。
……いや、これでは多すぎる。もう少しフィルタをかけよう。
彼女は前科犯だ。整形をしているとはいえ、警察の目が届きやすいルートは避けようとするはず。
想定ルートのうち、交番のポイントを含むルートを除外。これで一気に減った。
次は各ルートの主要ポイントにある防犯カメラ映像にアクセス。エンドウが撮影した写真と照合。画質が粗いのでピクセル単位で傾向値を定義し、許容レベルを引き上げ、一気に解析をかける──スタート。
一つ、また一つ。クラタらしき人物がカメラに映っていないルートは候補から除外。残りは大括りで三方面だ。
新宿、渋谷、立川。
これまでの情報では渋谷が最も関連性が高いが、だからこそ潜伏先には選ばないはず。彼女は一体どこへ──
処理途中で、タイムキーパーを担っていたカキタが私の肩を叩いた。
「ユウくん、もうすぐ一分だが」
いや、ここでやめるわけにはいかない。
「あと少しなんです。続けさせてください」
カキタが唾を飲む音が聞こえたが、私は処理を再開する。
だが──だめだ、ヒントが少なくてルートをこれ以上絞り込めない。
「ヨシハラさん」
私はモニタールームの後方の席に座っているヨシハラに声をかける。
「なんだい」
「新宿と立川のデジタルサイネージ全て……一瞬でいいのでハッキングしてもいいですか?」
デジタルサイネージとは、近年の屋外広告媒体として一般化しつつある平面ディスプレイのことだ。ネットワークと接続しているものが多いので、ハッキング技術を使えば表示する映像を乗っ取ることもできてしまう。
「……許可しよう。何かあった時は課長がなんとかしてくれる」
「俺かよ!」
「ありがとうございます。では──行きます!」
新宿エリアと立川エリアのデジタルサイネージを同時に掌握。表示映像を切り替え。アップロードするのは、クラタの現在の顔写真。
「考えたな……デジタルサイネージを指名手配の掲示板代わりにするってことかい」
「ここからはSNSのトラフィックを検証します。今度は街を歩いている人々の目が防犯カメラ代わりになる。クラタの目撃情報が流れてきたら、そこで追跡を開始します」
頭部に搭載されているファンがごうごうとうるさい。お願い、もう少しだけもって。もう少しだから。
SNSのトラフィックデータに接続をリクエスト……クリア。位置情報からトラフィックを新宿と立川に限定、デジタルサイネージハッキング後の投稿データを検証。トラフィックの感情を分析、宣伝や日常に該当する投稿は除外。残りのデータを自然言語処理プログラムにかけ、目撃情報に該当するものに絞り込み……ヒット。
クラタが向かった場所は立川の方だ。
「位置情報を特定しました……! これよりモニターに付近映像を投影します」
目撃情報が投稿された場所にもっとも近い防犯カメラ映像に接続する。
画質が粗い……だめだ、処理が遅くなってきた。
「あとは、お願いします……」
私はバッテリー切れ寸前のところで自分の後頭部と大画面に投影するケーブルとをつないだ。データ解析が止まる。全身が熱い。
モニタールームの大画面にはクラタらしき人影が一つ映っていた。彼女はずいぶんうろたえている様子だった。なぜなら周りを人で囲まれて、ワイズウォッチで写真を撮られているから。流れ込んでくるSNSのトラフィックが加速度的に増えていくのを感じる。
「『占い師』だ! すぐに現場に向かう!」
ヨシハラの声を聞いた瞬間、まぶたが急に重くなった。彼が捜査員に指示をする声が妙に遠く聞こえる。
私は立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。目に見えている景色と、『擬似人格プログラム』の中で再生される映像が溶け合って境目がなくなっていく。
アイリ。今度は何が言いたいの?
この行為こそが、彼女との対話。
私はまぶたを閉じ、彼女のメモリーの中へと意識を投じていった。
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プログラムコード:”not found”
File date 2030/08/19
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