4-2. オートマティック



 宝星学園から徒歩5分の距離にコンビニが一軒ある。私は今、私服を着た警察官と共にそのコンビニの中にいた。客を装ってはいるものの、皆の視線は外の駐車場に一人で立っているチャコの方へと向けられている。


 今から1時間前、チャコのワイズウォッチに送られてきたエンドウからのメッセージには、末尾にこう記されていた。


『1時間後、学校の近くのコンビニの駐車場で会いましょう』


「もしかしてあの女が箕面を……!」


 チャコはすぐさま警視庁の会議室を飛び出していきそうな勢いであったが、ヨシハラが彼女の腕を掴んで引き止めた。


「離せよおっさん!」


「ちょっと、『おっさん』はさすがに傷つくんだけど……まぁ少し冷静になろうか。これは罠かもしれないからね」


「罠……?」


「先ほどのユウくんの推理が正しいとしたら、ナポレオンは何かしらの理由があって、箕面を脅さなければいけなかった。もしかしたらテロ組織、あるいはナポレオンにとって何か重要な情報を握っていたのかもしれないな。箕面を消した後、次にナポレオンにとって邪魔になる存在は誰だと思う?」


「そんなこと知らないし……! それよりも早くエンドウに会わなきゃ──」


「次は君の命が狙われるかもしれないのに?」


「は……?」


 それまでヨシハラの手を振り払おうともがいていたチャコが、ぴたりと動きを止める。


「冗談だよね……何であたしが狙われるの?」


「情報は漏れるものだからさ。実際に君が箕面から情報を受け取っていなかったとしても、ナポレオンにとっては君に消えてもらった方が心配事が減る」


「そん……な……」


 チャコの表情がみるみるうちに青ざめていく。ふらりとよろけた彼女の身体を私はとっさに支えた。怯えた眼差しが私の方に向けられる。初めて出会った時の強気な彼女とはまるで別人になってしまったかのようだった。


 チャコをこんなに悲しくて、恐ろしい目に遭わせているのは誰だ。


 ナポレオン? ……いや、それだけじゃない。私だって原因の一つ。私がもっと早くにテロ組織の正体を掴んでいれば、ミノオが追い込まれることも、チャコが狙われるようなこともなかったはずだ。


 ……悔しい。


 悔しい。


 悔しい!


 『擬似人格プログラム』の中でひときわ強い感情が暴れだす。


 これ以上、私の友だちを傷つけさせはしない。そのためにも、私は一刻も早く〈バスティーユの象〉の事件を解決しなければ。与えられただけの任務じゃない……私自身の意志として。


「ヨシハラさん」


「ん?」


「私が一緒に行って彼女を守ります。だから、エンドウ先生に指定された場所に向かわせてください」


「全く、僕の話をちゃんと聞いていたのかい? 相手は辺見さんを殺す気かもしれないんだぞ。危険なのが分かっているのに相手の要求に従う必要はない」


「だけど、ここで決着をつけなければチャコは永遠に狙われ続けます。だったら……多少のリスクがあっても、少しでも相手の正体を掴むために現場に赴くべきです。それに」


 私はもう一度、エンドウから送られてきたメッセージを見せてもらった。


 やっぱり、違和感がある。


 私が宝星学園で見てきたエンドウのパーソナリティと、このメッセージの内容がうまく噛み合わないのだ。彼女はチャコやミノオに対して無関心に近い態度を取っていたはず。自分のクラスの人間関係すら把握していなかったのに、他クラスのチャコと苦手意識を抱えていたミノオの二人がどういう関係だったかなど、普通知っているものだろうか?


 エンドウのこのメッセージは、彼女の意思で送られたものでない可能性もある。私がその推測を伝えると、ヨシハラは観念したようなため息を吐いてチャコの手を離した。


「……分かったよ。ただし、危険だと思ったらすぐに逃げること。辺見さんだけじゃない、ユウくん、君もだよ。君が壊れてしまったら、直せる人はもういないんだからね」






「……もう、15分経っていますね」


 隣に立つ、私服を着たツツイが小さな声でそう言った。


 私たちは駐車場の様子がよく見える、コンビニの雑誌コーナーで待機していた。エンドウは指定の時間になっても現れなかった。私や警察官がそばで待機しているのを悟って引き下がったのだろうか。その可能性もなくはない。


「そろそろ引き上げましょうか。辺見さんにも声をかけてきますね」


 ツツイがそう言ってコンビニから出ようとした時だった。


 遠くの方でクラクションが鳴る音が聞こえてきた。それも一つじゃない。いくつも畳み掛けるようにして鳴っている。


 事故でもあったのだろうか。


 音声認識レベルを引き上げてみた。


 いろんな車がクラクションを鳴らし、車に乗っている人たちが何やら騒いでいるのが聞こえる。そして、道路とタイヤが擦れるような音。それは一か所にとどまっているわけではなく、徐々に私たちがいる方角へと近づいてきている。


 私は外に出て、騒ぎが起きている方向へと視点カメラの焦点を合わせた。


「あれは……!?」


 オレンジ色の軽自動車が一台、道路を逆走していたのだ。それも、物凄いスピードで。


 運転席の方へとさらにフォーカスしてみる。乗っているのは……エンドウだ。彼女はひどく狼狽している様子だった。ハンドルから手を離して、必死に投影式ディスプレイから自動運転メニューを操作しようとしている。


 いや、待て。おかしい。そもそも彼女の車は薄ピンク色で、自動運転が搭載されていない中古車だったはずだ。機械音痴だから、自動運転車には乗りたくないと言っていた。


「まさか……」


 不愉快な仮説が、頭の中で自動的に組み立てられていく。


「ユウ、この音なんなの?」


 チャコが不安げな表情で尋ねてきた。


 人間の視力では、彼女の車がここに向かって逆走してきていることを捉えられていない。


「……もしかしたらここは危ないかもしれない。ちょっと離れてて」


 私はチャコにエンドウの車が走っている方向とは逆側で待っているように伝えると、すぐさま問題処理プログラムを起動し、ネットワークに接続した。


 接続先は自動運転システムを包括的に管理しているサーバーだ。緊急事態につき、管理者権限でのアクセスをリクエスト……クリア。エンドウの車両ナンバーから、実行中のプログラムを特定……ヒット。


 何だこれは……走行速度やコース設定がめちゃくちゃだ。エンドウ自身が設定したわけじゃない。彼女のワイズウォッチにインストールされたバックグラウンドアプリケーションによって勝手に設定されている。このアプリケーションの構造は、どこかで……そうだ、ミノオが配布していたウイルス対策ソフトに似ているのだ。


 このまま放置しておいたら、このコンビニに車が突っ込むような設定になっている。だけど、そうはさせない。


 管理者権限により、エンドウが乗っている車のプログラムにログイン、バックグラウンドアプリケーションとの連携を強制的にシャットダウン。走行速度を法定速度に変更、対向車の流れが切れたタイミングで逆走を止めて車線変更を……


「ユウ!」


 チャコの悲鳴が聞こえてハッとする。エンドウの車がコンビニのすぐ目の前まで来ていたのだ。


「大丈夫、あと少し……!」


 車線変更を中断。安全確保のため退避場所をこの駐車場に設定。ブレーキの制御を開始。走行速度60、50、40、25、10……


 あと少しで私のボディと接触するという距離で、オレンジ色の車が動きを停止した。


 運転席の方を見る。エンドウは化粧が崩れ落ちてしまうほど汗だくで、顔は青ざめ、ぐったりと放心状態でそこに座っていた。


「エンドウ先生。大丈夫ですか?」


 私が外から声をかけると、彼女はゆっくりと私の方を向き車のウインドウを開けた。


「藤沢さん……? どうしてあなたがここに……私、もう、一体、何が何だか……」


 エンドウはがっくりとうなだれる。この様子ではすぐに話を聞きだすのは難しいか……そう考えていた矢先、避難させていたチャコが駆け寄ってきた。


「遠藤! あんたどういうつもりなの!? あたしにこんなメッセージ送ってきて……!」


「ちょっと待って、気持ちは分かるけど先生は今たぶんそれどころじゃ」


 だが、チャコの怒りは収まらない。彼女が大きな声で喚いていると、憔悴しきったエンドウはゆっくりと青白い顔を持ち上げた。


「何のこと……? 私、辺見さんにメッセージなんて送ってないわよ……」


「はぁ!? だけどここに、ほら……!?」


 メッセージ画面を見せようとしたのだろう、チャコは自分のワイズウォッチの投影式ディスプレイを開いたが、そこで手を止めて唖然としていた。


「どうしたの?」


「メッセージが……消えてる……」


 チャコが投影式ディスプレイを公開モードにして私たちに見せる。エンドウから送られてきたはずのメッセージがどこにもない。


 私は念のためエンドウのワイズウォッチのメッセージ送信履歴も確認させてもらった。やはり彼女の端末の方にも、あのメッセージの記録は残されていない。


「もう、本当に今日は厄日ね……自分の車は壊れるし、代用車は暴走するし……これだから、自動運転なんて……」


 エンドウは深いため息を吐いた。詳しく聞いてみると、今朝とあるファミリーレストランに車を停めている間、何者かにいたずらされたのか車が故障しており、修理の間はやむをえず自動運転の代用車に乗ることになったようだ。


「それで、ある人から自動運転が楽になるアプリをお勧めしてもらったからそれをインストールしてみたんだけど、全然うまくいかなくって……」


 そう言ってエンドウは投影式ディスプレイを開き、私にそのアプリを見せてきた。


 間違いない。そのお勧めされたアプリとやらが、彼女の車を暴走させていた元凶だった。


「このアプリを勧めてきた人って誰なんですか?」


 私が尋ねると、急にエンドウはうろたえた様子で「え、えっと、それは……」と言葉を濁す。


「教えてください。その人物は、あなたを犯人に仕立ててチャコを殺そうとしていたんですよ」


「え……!?」


 エンドウは目を丸く見開いた。私たちがここに来た理由を説明すると、彼女はようやく事態が呑み込めてきたのか、慌てて首を横に振った。


「そんなメッセージ、本当に私は送ってない! お願い、信じて……! 生徒の命を狙うだなんて、そんなことは絶対しないわ……!」


「だったら教えてください。あなたにアプリのことを勧めてきた人物は何者なんですか?」


 エンドウは化粧の崩れた顔を覆い、「どうしよう……」と小さい声で呟く。何度もため息を繰り返し、あちこちに視線を向ける様は、話すかどうか迷っているかのようだった。


 口止めされているのか、あるいは会っていることを知られたくない人物なのか。


「先生、お願いです。その人物を特定できなければ、チャコはこれからも命を狙われ続けるかもしれないんです。私は友だちを守りたい。だから、教えてください」


 私は彼女に向かって頭を下げた。


 答えを知ることができるなら、なんだってする。エンドウが教えてくれる気になるまで、ここを動かない。


 やがて車の扉が開く音がして、エンドウの手が私の肩に触れる。


「顔を上げて、藤沢さん。あなたの気持ちは分かったから……ここで断ったりなんかしたら、私は教師失格よね」


 顔を上げると、エンドウの表情が正面に見えた。顔色は悪いが、私の方にまっすぐ真剣な視線を向けてきている。彼女はすっと息を吸うと、落ち着いた口調で声を潜めて言った。


「私にアプリを勧めてきたのは、私が今はもうない宗教団体〈ゾウの会〉に通っていた頃の知り合い……倉田麻美くらたあさみさんという人よ」


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