4-8. アイデンティティ



「……久しぶりだな」


 拘置所の面会室のアクリル板の向こうにいるケンスケは、以前よりも肌の発色が明るく、こけていた頬は張りを取り戻していた。拘置所の中では睡眠・食事ともに健康的な生活を余儀なくされるというのもあるだろうが、アイリの復讐から解放されたというのも精神的に大きかったのかもしれない。


「何しに来た? 何か用があるから俺に会いに来たんだろ」


 ケンスケはぶっきらぼうにそう言った。


 拘置所の面会時間は30分と限られている。あまり余裕はない。私は頷いて、彼が逮捕されてからこれまで分かったことを話した。


 ミノオがナポレオンに追い詰められて、自殺未遂を起こしたこと。


 そしてミノオが掴んだと思われる情報の流出を恐れ、ミノオが親身にしていた生徒・チャコがクラタ・アサミによって命を狙われかけたこと。


 かつて〈隣人同盟ゾウの会〉を検挙した捜査官ナカジョウ・ヨシナオの手記の内容とクラタ・アサミが供述した内容を照らし合わせて、ナポレオンの正体が分かったこと。


「で、結局どういうやつだったんだ?」


「ナポレオンは戸籍を持たない人間だったの。だから、自分のP-SIMに痕跡を残すことなく、仮想P-SIMを悪用してレベル2情報にバグを起こして」


「そうじゃねぇよ。誰だったのかって聞いてるんだ。お前がわざわざ俺を頼ってきたってことは、そいつがお前にとってやりづらい相手なんじゃねぇのか」


「……分かるんだね」


「お前の親が誰だか忘れたんじゃねぇだろうな」


 ケンスケはそう言って「ふん」と鼻を鳴らす。


 いつも通りのケンスケだ。


 癇癪持ちで、子どもっぽくて、私のことをこき使う、社会性には大きく欠けるパーソナリティの持ち主だけど、私の不調には誰よりも早く気づいてくれる、私の生みの親。


 だからこそ、私は彼を訪ねたのだ。


「ナポレオンの正体は宝星学園で同じクラスにいた、ナカジョウ・ミツキ。アイリにとって……いえ、アイリだけじゃなくて、私にとっても大切なひと」


 ケンスケは頭を抱えて深いため息を吐く。


「高校生だったのかよ……! しかもあの学校にいたなんて」


 自分で言いながら、ケンスケはハッとして顔を上げた。


「まさか、アイリが死んだのもそいつのせいなのか!?」


「それは、分からない。だけど、私もアイリも、彼に対してマイナスの感情は無いの」


「……じゃあどうするんだ。見逃す気なのか?」


「いいえ。彼はこれまでナポレオンとしてたくさんの人に危害を加えてきた。被害者だけじゃなくて、〈バスティーユの象〉に関わったせいで人生が狂ってしまった人たちもたくさんいる。これ以上暴走させるわけにはいかない」


「だったら逮捕するしかねぇよな。何をためらっている?」


「……私は」


 言葉として出力する前に、『擬似人格プログラム』に浮かんでいる思考を再検証する。……変わらない。何度巡ってみても、この意志が変わることはない。


「私は、彼を非難するよりも先に、彼のことをもっと『学習』したいと思っている……彼はそれを拒絶するかもしれないけれど、それが私の、フジサワ・ユウのやりたいことなんだ」


 私はケンスケに向かって頭を下げる。


「……ごめんなさい。実はこの選択のシミュレーションでは、89.67%の確率で私のボディは破損するという結果が出てる。あなたがつくってくれた私は一度死んでしまうかもしれないの」


「……そう、なのか」


「ええ。だから」


 私は持ってきていたカバンの中から、分厚い書類を取り出した。それを見てケンスケは目を丸くする。


「それは……!」


 ケンスケの研究所に散らばっていた、私をつくるための設計図だった。全ページバラバラになっていた上に、一部のものは丸められていたり、破れていたりしたものを修復してまとめ直してある。それでも、この中には記されていない、天才エンジニアの脳内にしかない設計図が一部存在する。


「ケンスケ、私のつくり方を『学習』させて」


 ケンスケはしばらくあっけにとられていたようだが、やがてぷっと吹き出して言った。


「お前は本当、欠損のあるAIだよ。壊れることが分かっててナポレオンと対峙するくせに、設計図なんて学習してどうするつもりだ?」


 ケンスケの言う通りだ。この行動が理にかなっていないことなんて分かってる。


 それでも。


「友だちのため……ただそれだけだよ」






 ケンスケとの面会を終えた後、私は警視庁に立ち寄って、ヨシハラたちに自分がこれからやろうとしていることを話した。


「ナポレオンをデートに誘う!?」


 カキタの声が裏返る。


「ええ。といっても、彼は仮想P-SIMのデータ初期化を繰り返しているのでメッセージを送ってもアカウントに届かないでしょう。なので少し強引な手でいきます」


 それは、〈バスティーユの象〉の会員制サイトをハッキングして、彼にしか意味が伝わらないメッセージを表示するというものだった。


「だけどそんな暗号のようなもの、どうやって」


 私は自らの頭部を指す。


「アイリのメモリーから、彼とアイリ、そして私しか知らない情報を抽出するんです。クラタが逮捕されたことでさすがのナポレオンも焦りはあるはず。誘いに乗ってくる可能性は高いと考えられます」


「それはそうだろうけど……」


 ヨシハラは顎に手を当てて考え込む。


「もしかして、君は一人でナポレオンと戦う気なのかい? これだけ証拠があるんなら捜査員で取り囲んで確実に身柄を押さえることだってできるんだ。それなのに、どうしてそんな非効率的な方法を選ぶのか、僕には分からないな」


「それは……」


 私は説明しようと口を開く。だが、そうする前にヨシハラがぽんと肩を叩いた。


「ま、いいや。君のことだ、何か考えがあるんだろう? 僕たちはそれに賭けるよ。そもそもナポレオンを見つけ出したのは君なんだ、好きなやり方で戦うといいさ」


「ありがとうございます、ヨシハラさん」


 ヨシハラはにっこりと微笑む。だが、カキタとツツイは困惑しているようだった。


「お、おい、いいのか? ちゃんと理由を聞いておいた方が」


 するとヨシハラは大げさに肩をすくめて言った。


「もー、課長は鈍いですねぇ。ユウくんはヒューマノイドとはいえ思春期の感情を持っているんですよ? その彼女が想い人とデートしたいって言ってるんだ。それ以上のことを勘ぐるのは野暮ってもんでしょう。あんまりしつこいとセクハラおじさんとして認識されてしまいますよ」


「なっ……そういう話なのか、これ!?」


「それにまぁ、何かあったら課長に責任取ってもらうということで」


「また俺かよ! いい加減、たまには自分で始末書を書いたらどうだ!」


 顔を真っ赤にして憤慨するカキタであったが、ヨシハラは気にしていない様子でけらけらと笑った。


「ははは、大丈夫ですよ。僕が課長に責任を押し付ける時は、たいてい自分の判断に自信がある時ですから」


 そう言うヨシハラの顔は、確かに感情認識をする必要がないほど自信に満ちている。彼は私の方に視線を移し、ふと真面目な顔つきに戻った。


「これが君の導き出した最適解だというなら、僕らは信じて見守るよ。だけど、君を支える人間がここにいるってことは忘れないでほしい。もし何か必要なものがあったら遠慮せずに言ってくれ。僕たちはできる限りサポートするから」


「そうですね……」


 とはいえミツキと会って話すだけだ。特に何か道具を持って行く必要はない。ただ、もし事前に準備ができるならば、念には念を入れて。


「ナカジョウ・ヨシナオの空手の演習の映像とか残っていませんか?」


 ヨシハラはきょとんとした表情を浮かべる。


「空手の? それはまたなぜ」


「『学習』しておこうと思って」


 すると彼はふっと笑みを浮かべる。


「なるほどね。そういうところはやっぱり、『君らしさ』なんだよな」






 夜、私は一度下北沢の家に戻っていた。


 たった数日空けていただけのはずなのに、ずいぶん長いこと留守にしていたような感覚がした。ケンスケのいないこの家は、相変わらずしんと静まり返っている。それはまるで、私が生みの親を追い詰めたことを責め立てているような静けさで、ケンスケが逮捕された直後はここから逃げ出したいという感情に支配されたけれど、今はかえって作業に集中できるからありがたい。


 ナポレオンとの決着に向けて、準備は着々と整っている。


 ケンスケに聞いた情報をもとに、私の設計図に欠けている内容を補足してデータ化した。ケンスケのような技術力のあるエンジニアでなくとも組み立てられるよう、難易度はかなり下げた。その分私のボディの性能は落ちるだろうけど、もともと必要以上に高性能だったのだから別に構わない。この設計図データは、私のボディが破損するようなことがあった時にのもとに送られるよう設定してある。


 ヨシハラが用意してくれたナカジョウ・ヨシナオの映像情報についてもすでに学習済みだ。警視庁でのトレーニング中の映像データだから、実戦とは相違があるだろうけど、基本の型を掴めるだけでも十分だ。


 つい先ほど、〈バスティーユの象〉会員制サイトのハッキングの仕込みも完了した。今日の24時、日付が変わるタイミングでサイトトップに私のメッセージが表示される。あとは彼がそれを見て、待ち合わせ場所に来てくれさえすれば問題はない。


 ……さて。


 あとやらなければいけないことはたった一つ。


 それは、アイリの最後の意志を問うこと。彼女のためではなく、私自身の意志を再確認するために。


 彼女はなぜ死を選んだのか。


 私自身が見出した解と、彼女が導いた解の、答え合わせ。


 私はまぶたを閉じて、自分のメモリ深層のサルベージに集中した。やがてアイリのメモリーが浮き上がってくる。


 彼女にとって、消したくても消せなかった記録。


 これが、最後の一つ。


 これまでにない感情が、『擬似人格プログラム』に浸透していく。


 私の中にずっとあったものが、ぽっかりと穴を開けて消えていくような、そんな感覚。それは「寂しさ」でもあり、「清々しさ」でもあり、「満足感」でもあった。




 そっか。


 あなたとはもう、さよならなんだね、アイリ──






──────────


 プログラムコード:”not found”


 File date 2030/08/20

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