2-3. 2033年・渋谷



 放課後、私はミツキに連れられて中高生に人気だというファッションビルにいた。


「どれか気になるブランドはある?」


 ミツキにそう言われてファッションビルのフロアマップを見てみたが、ブランド名だけではどんな服を取り揃えているのか分からない。試しにそれぞれのブランド名をワイズウォッチで検索してみたが、ブランドの特徴について言語化されているものは少なかった。各ブランドのWebサイトは画像中心の構成で、テキストによる説明は少ない。あるとしたら画像に添えられたキャッチコピーだけ。


何歳いくつになっても、女の子』


『あなただけの主演女優になりたいから』


『私のためのおしゃれで何が悪い』


 どれも感性に訴えかけるようなものばかりで、結局私に似合いそうなブランドはどれなのか見当がつかない。そもそも「似合う」という曖昧な言葉をデジタルのように「0」と「1」だけでくっきり定義することは難しそうだ。


 ならばどう定義しようか。


 試しに合理的な判断を放棄して、『擬似人格プログラム』の意のままに任せてみることにした。


 すると、私の足は勝手に動き出した。初めて入ったはずの建物なのに、まるで熟知しているかのようにするするとフロアを歩いていく。


「あれ、ここ来たことあるの?」


 なんて、ミツキが不思議に思うくらいに。


 やがてたどり着いたのは、他の中高生向けブランドと比べると平均価格が数千円高いハイブランドだった。落ち着いた色使いで、基本的には柄無しのシンプルなデザインの洋服が多い。店の中には様々なテイストの服が並べられていた。暖色系、寒色系、モノトーン、あるいはアースカラー。テイストはフォーマル、フェミニン、ボーイッシュ、カジュアル……。私の手が、暖色系のフェミニンな薄手のニットワンピースを取ろうとしていた時だった。


「藤沢さんだったらこれが似合うんじゃないかな」


 ミツキが見せてきたのは、水色のシャツブラウスと黒地のニットだった。私が手に取ろうとしていたものに比べて、クールな印象を受ける色合いだ。


 ミツキは「ほら」と言って、ワイズウォッチの投影式ディスプレイにファッションモデルの写真を二枚映し出した。左側には私が手に取ろうとしたニットワンピースが映っている。モデルは茶髪パーマで小柄な、可愛らしい顔立ちの女性だ。一方、右側のミツキが見せてきた服を着ているモデルは、黒髪ストレート、スレンダーで背が高く、目鼻立ちのくっきりした大人びた顔立ちの女性だ。


「どっちかというと、藤沢さんは右側の人に似ているよね」


 確かに。


 『擬似人格プログラム』の判断より、ミツキの言うことの方がよほど合理的だ。


 私はミツキが見せてきた服を受け取り、ボトムスも選んでもらうことにした。






 買い物を終え、私たちはファッションビルを出た。


 夕暮れ時の渋谷は、昼の顔と夜の顔が溶け合った曖昧な空気に満ちている。駅に向かう人、駅から出てくる人。みな誰かを探すかのようにきょろきょろとしながら、誰に対しても無関心だ。


 街の隙間を埋め尽くすかのように立ち並ぶ雑居ビル。狭い広告スペースの中で少しでも目立とうとぎらつくネオン。爆音を流して走る宣伝用のトラック。観光客たちの外国語、ビジネスマンたちの通話の声──


 私は頭部が熱を帯びてくるのを感じて、意図的に分析学習プログラムを停止した。普段は少しでも学習機会を逃さないようにバックグラウンドで常に稼働させているが、この街には情報が多すぎる。全部吸い上げていると、処理で精一杯になって他に何も思考できなくなりそうだった。


 人間たちはよく平気な顔をして歩けるものだと思う。


 駅に向かう途中、雑居ビルが立ち並ぶ一画に突如空き地が現れた。どうしてここだけ? 疑問に思って元々何があったのか調べようとした、その時。


 急に人工皮膚に焼けるような痛みが走った。


「──ッ!?」


 私は思わずその場で足を止める。


 人間にとって痛覚は身体における危険信号の一つであるが、ヒューマノイドの私にとっては感情の一種であり、ボディにダメージを与えるものではない。


 それなのに、やけに生々しい「痛い」という感情。


 私は空き地に視線を向ける。


 何もなかったはずのその場所に、隣のビルとよく似たビルが建っていた。ただ……燃えている。ビルの窓から真っ赤な炎が噴き出し、黒い煙を巻き上げている。ごうごうという音がして、化学製品が燃える時の悪臭を嗅覚センサーが検知する。炎が燃える音とは別に、人間のざわめきが聞こえた。誰かが何か言っている。野次馬なのか? いや、言葉が上手く聞き取れない。やがてビルの屋上に人影のようなものが見えた。炎のせいで黒ずんで見え、誰なのかは分からない。まるで自分がそこにいるかのように身体が熱く、全身が軋む──


「藤沢さん?」


 ミツキの声がして私はハッとした。


 目の前の空き地には、元どおり何もなかった。痛みも、熱も、音も、何事もなかったかのように消え去っていた。


「どうかした? 急に立ち止まって、ぼーっとしてたけど……」


 ミツキは心配そうな表情を浮かべて、私の顔を覗き込んでいた。


「何でもない、ちょっと立ちくらみがしただけ」


「ならいいけど……体調が悪いならどこかで休む?」


「ううん、大丈夫。それよりこの場所は……?」


 私が尋ねると、ミツキは「知らないの?」と少し驚いた様子で言った。そして空き地の方を見つめ、どこか悲しげな表情を浮かべた。いつもにこやかな彼が初めて見せる表情だった。どうしてそんな顔を浮かべるのだろう? 私の『擬似人格プログラム』はまだ学習不足で、分からない。


 ミツキは声のトーンを落として、呟くように言った。


「三年前、ここで〈隣人同盟ゾウの会〉の教祖が殺された……今世の中を騒がせている〈バスティーユの象〉が最初の事件を起こしたと言われている場所だよ」



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