2-2. ナカジョウ・ミツキ



「前にも言ったけど、三葵みつきでいいよ。みんなそう呼んでる。苗字で呼ばれるのはなんかむずがゆくて」


「じゃあミツキ……どうしてあなたがここに」


 先ほど教室で昼食に誘われたのを断った手前、『擬似人格プログラム』に「気まずい」という感情が浮かび上がる。


 だが彼の方は全く気にしないそぶりで、スタスタと歩いてきて私の隣に座った。臭気センサーがりんごの香りを検知する。彼が持ってきた紙袋の中にはりんごが入っているようだった。ミツキはりんごを取り出して、そのままかじりつく。甘い蜜の匂いが一層強くなった。


「藤沢さんに断られた後、他の子たちに誘われたんだけど、席をくっつけるかで女の子たちがもめちゃって。面倒だからトイレに行くふりして逃げてきたんだ。ここは一人になれるからね。でもまさか先客がいたなんて」


「人気者なのね」


「ハハ、そうでもないよ」


 ミツキは軽く笑って受け流す。


 お世辞を言ったつもりはなかった。実際、彼はクラス中──いや、生徒だけでなく教師も含め、学校中から人望が厚い少年だ。


 その理由は、容姿・勉強・運動能力といった学校生活で必要とされるあらゆるパラメータを高水準で兼ね備えているから。万能ロボットと言われても、人はきっと疑わないだろう。それくらい完璧な少年。かと言って近寄りがたいわけでもなく、誰に対しても平等に接し、生徒に限らず教師にまで、あらゆるコミュニティに顔が利く。


 私がミツキと初めて話したのは、編入して初めて教室を訪れるよりも少し前。


 ケンスケが出発前に色々と世話を焼いたせいで、初めての出校日であるにもかかわらず到着予定時刻はギリギリになってしまいそうだった。私は教室までの最短ルートを地図データから導き出し、通常よりも速いスピードで歩いていた。だが、途中で呼び止められた。


「オイ、あんた見ない顔だな。誰の許可でここを通ろうとしてんだ?」


 そう声をかけてきたのは、体育館裏の幅の狭い通路の手前でしゃがんでいた数人の生徒たちだった。皆一様に髪の色を蛍光色に染めていて、顔のあちこちにピアスをしていた。いわゆる「不良」と呼ばれる生徒たちだ。


「通行許可なんて必要なの? ここの土地は学校が所有するもの。特定の通路に許可証が必要なんて、私のデータベースにはない」


「はぁ? なんだこいつ、わけわかんねぇこと言いやがって」


 不良たちの表情には明らかに「苛立ち」の感情が現れていたが、まだ学校という場に慣れていなかった私は、彼らがそう思う理由を理解できていなかった。


「とにかく急いでいるの。通らせてもらうから」


 私が強引に通ろうとすると、リーダー格と思われるがたいのいい少年が立ちはだかった。


「やれるもんなら──やってみな!」


 いきなり拳が飛んできて、私は即座に視点カメラの動体検知感度を引き上げ、それを避けた。


 私のボディには一応接近戦に応じるプログラムが備わっているが、バッテリーの消耗が激しいのであまり出先で長時間戦うことは望ましくない。


 そっちがその気なら、一瞬で終わらせる。そう思って接近戦プログラムを起動させようとした時、背後に新たな人の気配を検知した。新手か? 振り返る間もなく、背後の人影が手を伸ばし──不良の拳を私の代わりに受け止めた。


「女の子に暴力は良くないでしょ。僕が相手をしようか?」


「げっ、お前は……」


 背後に現れた別の生徒は、一見細身で、均整のとれた優しげな顔つき。涙袋でくっきり彩られた大きな目からはどこか中性的な印象を受ける。服装は清潔感がある白いシャツにベージュのカーディガンをはおっていて、体育会系というよりも文科系の雰囲気を漂わせている。そんな彼が不良たちを挑発するなど、無謀な行為のように思えた。


 だが、不良たちは気まずそうな表情を浮かべると、「勝手に通れよ」と言って他の仲間たちを引き連れてその場から退散してしまった。


「あーあ。久々に組手に付き合ってもらおうと思ったのに」


 そう言って彼は肩をすくめた。後から聞いた話だが、彼は以前この不良たちに絡まれたことがあり、その時に返り討ちにしたことで彼らからは恐れられているらしい。見た目と違って昔空手を習っていたことがあり、腕っ節は強いようだ。


「この道はあんまり先生たちが通らないから、不良たちが溜まり場にしているんだ」


「ごめんなさい、知らなかったの。『学習』しておく」


 私がそう言うと、彼はぷっと吹き出した。


「変なの。それ、君の口癖?」


 そのあと、私が三年一組の編入生であることを知った彼は教室まで案内してくれた。


 そう、それがミツキとのファーストコンタクト。






 ミツキが紙袋から新しいりんごを取り出し、再びかじりついた。甘い香りが広がるたび、私の擬似人格は不思議な感覚を訴える。


 どこか「懐かしい」。ミツキと初めて会った気がしない。


 いや、確かに初対面のはずなのだ。街中ですれ違っただけの人物も含め、私が今まで顔認証してきた全ての人のデータを照らし合わせてみても、ミツキの記録はどこにもなかった。


 ミツキだけじゃない。この学校のあらゆる施設や、生徒、先生、いずれも初めて出会うはずなのに「懐かしい」と感じることばかり。


 慣れない環境で『擬似人格プログラム』にバグが発生しているのだろうか。


「それにしても、藤沢さんがうちの学校に来てくれて良かった。おかげで僕も受験勉強に火がつきそうだ。さっきの問題も、悔しいけどやっぱりあんなに早くは解けないよ」


 ミツキはそう言ってにっと微笑んだ。


 AIに対抗心を燃やすくらいだ、よほど周囲にライバルと言える人物がいないのだろう。だが、私は学生になりきるためにこの学校にいるわけじゃない。潜入捜査で〈バスティーユの象〉のヒントさえ掴めれば、学校に用はなくなる。彼とはあくまで一時的な付き合いにしかならないだろう。


 ヒューマノイドの私なりに気を遣って、私に構わず他の生徒たちと仲良くした方がいいのではないかと言おうと思った。


 だが、私より先にミツキの方が口を開く。


「……そう言えば、いつ言おうか迷ってたんだけどさ」


 珍しく神妙な顔つきで、ミツキは言葉を続ける。


「藤沢さんって勉強も運動もなんでもできるのに……服のセンスだけはないよね?」


「……え?」


 そう言われて、私は改めて自分の服装を見直してみた。


 周囲のことばかり観察していて、しばらく自分が何を着ているかなど確認していなかった。上着はケンスケが余分に持っていたワイシャツ、下は以前ファストファッションブランドでケンスケが購入した紺のスキニーパンツ。いずれも毎日着ているせいでだいぶよれてきていた。


 そうだ、ヒューマノイドは汗をかくことはないし、風呂に入ることもない。だからいつもの感覚で、学校に通い始めてから一度も着替えていなかった。


「もしかして変……なのかな?」


 私が尋ねると、ミツキは苦笑いを浮かべて言った。


「藤沢さんさえ良ければ、今日学校帰りに一緒に渋谷に行かない? 似合いそうなやつ選んであげるよ」



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