3-7. フジサワ・ケンスケ



 視点カメラに現実の景色が戻ってきて、ぼんやりとフィルターがかかっているようにぼけていた耳のマイクも精度を取り戻し始めていた。


 目の前には、投影式ディスプレイを眺めたまま呆然と佇むケンスケ。そして家の外から聞こえてくるパトカーのサイレン。


「どういうことだよ……これは……」


 私が答えるより先に、玄関の扉が開く音がした。息を切らして家の中に入ってきたのはヨシハラだ。ヨシハラはケンスケと目が合うと、気まずそうに頭をかき、大きく息を吸って呼吸を整えた。


「……勘違いしないでくださいよ。僕は別に、こうなることを望んでユウくんに情報を渡したわけじゃない」


 ヨシハラはそう言って、ちらりと自分のワイズウォッチを見る。


「午後7時21分。藤沢健介さん、あなたをP-SIM不正利用の容疑で逮捕します」


 ヨシハラがポケットから手錠を取り出してようやく、ケンスケは自分の置かれた状況を理解したようだった。


「おいおいちょっと待てよ! 俺が逮捕……? 笑えない冗談だ。だいたいなんであんたがここにいる? 悪いが俺はまだユウと話が──」


「私がヨシハラさんを呼んだんだよ」


 私は動かない腕をぶらぶらさせながらヨシハラの隣に立って、ケンスケと向き合う。


「404プログラムの導き出した答えに基づいて、私がヨシハラさんにケンスケの逮捕をお願いしたの」


 ヨシハラが頷き、令状をケンスケに見せる。ケンスケの顔から血の気が引いていく。


 こんな表情、できることなら見たくはなかった。


 だけど、私もケンスケも真実を知ることを選んでしまった。だからこその代償。楽園からの、追放。


「そんな……そんなわけないっ! 亜衣莉が俺をはめるなんて、そんな……」


「アイリはもともとあなたのことを悪く思っていたわけじゃない。むしろ2030年4月1日のサンプルファイルの中では、多少おせっかいでもあなたに気にかけてもらえることに感謝していた。だけど、彼女が死の間際に望んだことは、あなたのおせっかいじゃなかった」


 私がもう一度投影式ディスプレイで先ほどのサンプルファイルの内容を再生しようとすると、ケンスケは頭を抱えて「やめろ……やめてくれ……!」と呟いた。


 ケンスケだって理解はしているのだ。だが、それを感情的に受け入れられるかどうかは別の話なのだろう。


 それでも、彼自身が作った無慈悲なプログラムに従って、私は言葉を続けるしかなかった。


「アイリは自ら死を選んだ。事故でもなく、誰かに殺されたわけでもなく、自ら命を絶って、仮想P-SIMを初期化して、自分を消し去ることを望んだ。もしも彼女が恨んでいる人がいるとしたら、消えたかったのに消えさせてくれなかった──ケンスケ、あなたの他にいない」


 私がそう告げた瞬間、ケンスケの大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれ、彼はその場に突っ伏して泣き始めた。


「違うんだ……違うんだ亜衣莉……。許してくれよぉ……俺は、こんなつもりじゃなかったんだ……本当に、ただお前のためになることを思って……ああああああ……」


 まるで駄々をこねる子どものように、ケンスケは人目をはばからずに泣いていた。


 私もヨシハラも、ただ黙って彼のそばにい続けた。


 今のケンスケが抱える感情を推測。大切にしていた姪の死の真相を知った「驚き」、彼女の自殺を止められなかった「自責」、思い込みで彼女の記録を残してしまった自分の行いへの「慚愧ざんき」、そして私の警告を聞かずに404プログラムを稼働させてしまったことによる「後悔」。


 たくさんの感情が入り混じった雫が、床にこぼれて染みとなっていく。


 人が泣くことの意味をようやく理解できる気がした。涙というものは、人の中で許容量を超えるほど膨れ上がった感情を排出して調節するための生理的な機能なのだ。


 ならば、涙を持たないロボットは、感情をどう調節すればいいというのだろう。


 泣いているケンスケを見ていると、私まで彼の感情に感染したかのように擬似人格プログラムが活性化していく。


 ケンスケ、たとえあなたが私の中に眠るサンプルファイルの主のことしか見えてなかったとしても、私の生みの親であることに変わりはない。


 そんなあなたを追い込んでしまうことに対して、私は自分の中のデータベース、つまりアイリのメモリーから抽出された感情関数からはうまく名付けられない感情を抱いていた。


 私は学習しているのだ。


 私自身の感情を。


 やがてケンスケは落ち着いてきて、ぽつりぽつりとこれまでの経緯を話し始めた。


 仕事の都合で渡米していたケンスケの姉一家、イチノセ家。アイリは日本で言うところの中学二年まではアメリカの学校に通っていた──File date 2028/12/24参照──が、次第に母親からの勉強へのプレッシャーと、両親の不仲に耐えきれなくなり、日本にいる叔父のケンスケに「帰国して日本の高校に通いたい」という相談をするようになったのだという。


「……俺はとにかく、あいつに頼ってもらえたことが嬉しかったんだ。昔から俺は落ちこぼれでさ、両親にはエリートな姉貴としょっちゅう比べられたし、姉貴からは散々馬鹿にされてきた。悔しかったのに、何一つ見返してやることができなかった。だけど、亜衣莉から相談を受けて俺は気付いたんだ。あいつの力になってやって、あいつが母親を見返すまでに成長したら、俺も救われるんじゃねぇかって。そう思ったら、不思議と気力が湧いてきた。いつもは姉貴にメッセージを送るだけでも億劫だった俺が、自分から電話をかけて、亜衣莉は俺が面倒を見るからあいつの希望を聞いてやってくれって、何度も何度も説得したんだ」


 ケンスケの姉であり、アイリの母親であるイチノセ・ルナはケンスケがそこまで他人のために必死になるのを珍しがり、通う学校だけはルナが指定する条件でようやく折れたのだという。


 それからアイリはこの家にやってきて、ケンスケと共に暮らしながら宝星学園に通うようになった。


 幼い頃から海外で暮らしていたアイリは海外版P-SIMしか持っておらず──File date 2030/04/01参照──、データ移行手続きのため一時的に仮想P-SIMを所持。


 宝星学園に通い始めて2か月ほど経った──File date 2030/06/03参照──頃、アイリはナルセを庇ったことで今度は自分がいじめの対象になるようになっていった。


 だが、エンドウの話とも照らし合わせると、この時期を境にカンタとチャコによるいじめは沈静化していく。


 そして、先ほど再生されたファイル──File date 2030/08/20参照──の通り、彼女はあの日、自らに火をつけた後、渋谷のビルの屋上から飛び降りた。


「朝まではいつも通りの亜衣莉だった。夏休み中だったが、あの日はちょうど学校の出校日だったんだ。普通に学校に行って、昼くらいには戻ってくるもんだと思っていた。だが、夜になっても一切音沙汰がなかった。さすがにおかしいと思って学校に連絡してみたんだ。学校からは『ホームルームの途中で教室を飛び出して、それきり戻ってきていない』って言われただけだったがな」


 心配したケンスケは捜索願を出すことにした。しばらくして警察から呼び出され、対面したのは見る影もないアイリの遺体と、破損を免れた彼女の仮想P-SIM。あまりのショックに、その後の行動はほとんど衝動的であったという。ケンスケは警察の制止を聞かずにアイリの仮想P-SIMを持ち帰り、初期化される前にデータの抽出を行った。だが、結局ほとんどのデータは消去されており、残ったわずかなデータの残骸を修復して再生させるための機構として、404プログラムを作ったのだ。


「それにしても、P-SIMのデータコピーは違法行為ですよ。どうして今まで藤沢さんのP-SIMレベル2によるアラートが警視庁に上がらなかったのか……」


 訝しむヨシハラに、ケンスケは俯いてぼそりと言った。


「消えちまったんだ。仮想P-SIMを初期化すると、そのアカウントはそもそも存在していなかったことになるからな。俺のP-SIMに記録されていた亜衣莉にまつわるデータは全部消えている。一緒に暮らした思い出からデータ抽出の違法行為まで、全部まとめて無かったことになっているんだ」


「なるほどね……やはり仮想P-SIMを人間が使うとろくなことにならないというわけですか」


 ヨシハラは苦笑いを浮かべてそう言った。


 以前モリシマやカブラギと話したが、仮想P−SIMの初期化によるアカウントブランクの発生は、P-SIMによる情報監視社会の構築において致命的なバグだ。


 だから仮想P−SIMを人間が所持する機会は限られているし、サンプルファイルの中でアイリが苦戦していた通り、誰が持っているのか厳重に管理されることになる。悪用された場合に責任を問うためだ。それでもアイリは初期化を実行することを選んだ。そして、その理由を尋ねられる前に命を絶ってしまった。


「アイリはどうしてそこまでして自分を消そうとしたのかな……」


 それだけが分からなかった。


 先ほどのサンプルファイルの中で、彼女は「自分を消すことが唯一のできること」だと言っていた。


 一体誰のために?


 そして、何のために?


 ケンスケがすっと立ち上がり、私の目の前まで近づいてくる。


「ああ、納得がいかない……。404プログラムの矛先が俺だったってのは分かったよ。だが、まだ知らなきゃならねぇことがある。だから」


 ケンスケは白衣のポケットから一本のケーブルを取り出し、私に向かって手を伸ばす。指先が私の頭部に触れようとする。頭部にはケンスケのPCやワイズウォッチとつなぐための差し込み口ポートがある。まさか、プログラムコードを編集する気だろうか。ヨシハラが警戒するのが視界の端に映る。


 だが、ケンスケは私に触れる少し前で手を止め、引き戻した。


「……やっぱりやめておく。ユウ、これは『命令』じゃない、お前の家族としての『お願い』だ」


「『お願い』……?」


 ケンスケは頷き、両手をヨシハラに向かって差し出した。先ほどとは打って変わっての潔さにヨシハラは一瞬ためらったようだが、彼は黙って任務を遂行した。銀の手錠が、骨ばったケンスケの手首の自由を奪う。


「もう、いいんですか?」


「ああ」


 ケンスケはそう言って、手錠をかけられた状態で自らの家を出て行こうとする。


「待って……! 『お願い』ってなんなの?」


 玄関で、ケンスケは振り返り──私に向かって言った。


「ユウ、気が向いたらでいい……亜衣莉が死ななきゃならなかった理由を、お前の力で見つけてやってくれ」


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