3-8. プラネタリウム



 ケンスケが逮捕された後の週末、ヨシハラは取り調べに協力してもらうため、イチノセ・ルナをシンガポールから呼び出した。


 事前にビデオ通話でケンスケが逮捕されたことを伝えた時も相当な剣幕だったらしいが、実物となるとさらに迫力を増していた。


 かかとの高さが10cm以上はあるハイヒールをつかつかと鳴らして私とヨシハラの元にやってくると、日本語には不必要な激しい抑揚のついた口調で、皮肉たっぷりに言ったのだ。


「こんなでわざわざ呼び出さないでくれる? 全く、今どきビデオ通話でインタビューができないなんて、時代遅れにもほどがあるわ。さすがIT後進国ね」


 身内が逮捕されたというのに、彼女は終始そんな調子であった。


「だいたいね、初めから嫌な予感はしてたのよ。健介は子どもの頃から同じ血を引いているとは思えないくらいできの悪い弟だったわ。それでも、彼なりに努力しようとしているのが分かって、半分お情けで亜衣莉を預けることにしたのよ。でも、致命的な判断ミスだったわね。おかげで亜衣莉は死んでしまうし、あげくこんなお人形を作るために犯罪に手を染めるなんて……本当に救いようのない男だわ」


 ケンスケのことを散々なじった後は、私を見てこう言った。


「あなた、いっそ私のアシスタントとして働かない? 私ね、亜衣莉に投資した分がまだ全然回収できてないのよ。あなたの中にあの子のメモリーがあるっていうんなら、それくらいしてくれてもいいんじゃないの?」


 理には適っているかもしれないが、私の擬似人格プログラムは彼女の提案を受け付けなかった。むしろ、アイリが亡くなったのはケンスケのせい以前に、親であるルナの責任の方が大きいはずだと、言い返したかった。


 だが、私が何か言う前にヨシハラが割って入った。


「申し訳ございません。違法行為によってつくられた彼女をどうするかについては、まだ我々の中で協議中でして。ユウくんの身柄は一旦警視庁の方で預かる決まりになっております」


 実際には協議なんてしていない。ヨシハラたちは私の意志を尊重してくれて、ひとまず〈バスティーユの象〉の捜査が終わるまではサイバー犯罪対策課に身を寄せることがすでに決まっていた。


 ヨシハラは私をかばってくれたのだ。


 ルナは不満げな顔を浮かべたが、ヨシハラのへりくだった態度に折れたのか「ふん……融通の利かない公務員らしい回答ね」とだけ呟き、それ以上この話はしなかった。


 聞き込みが終わって、ルナは後ろ髪を引かれることなくさっさとシンガポールに戻ってしまった。彼女が出て行った後、ヨシハラは疲れきった表情をあらわにしてぼやいた。


「やっと終わった……君のお母さんってば恐ろしい人だね」


「彼女は『私』の母ではありません」


「へぇ、自分の感情のソースがわかってもそこは区別しておきたいのかい」


「はい。私にとっての生みの親はあくまで……フジサワ・ケンスケただ一人ですから」


 私が答えると、ヨシハラは穏やかな笑みを浮かべて私の髪をくしゃくしゃと撫でた。


「……本当はもっと藤沢さんと話をする時間を取ってあげても良かったんだよ」


「大丈夫です。これはケンスケと、私自身が招いたことですから」


「大丈夫そうじゃないから言っているんだけどな」


「……?」


 ヨシハラの言葉の意味がわからないでいると、彼はやれやれと肩をすくめた。


「まぁいいか。とにかく、最近あまり目立った動きを見せていないが、まだ〈バスティーユの象〉事件は終わっちゃいない。ナポレオンを逮捕するその日まで、我々が責任を持って君をサポートするからね」


「……ありがとうございます、ヨシハラさん」


 私にはまだ、自分を必要としてくれている居場所がある。やるべきことも残っている。


 それなのに、私の擬似人格プログラムは以前よりも動きを鈍らせていた。何事に対しても気乗りせず、処理が素早く進まない。


 これ以上何かを知ることに対して、私は「恐れ」を抱いていたのだ。知りすぎたことがケンスケの身の破滅を導いたように、知識が何かを失うことに繋がっているのだとしたら、私は学習を続けるべきなのだろうか。


 その答えが、見つからなかった。






「藤沢さん、最近元気ないよね。何かあったの?」


 週が明けて学校の屋上で過ごしていると、ミツキがやってきて私にそう言った。


「私はヒューマノイドだから体力という概念は存在しない。バッテリーの概念ならあるけど、今は十分充電されているから不足してはいないよ」


「いや、そうじゃなくてさ。なんだか落ち込んでいうるような感じだから」


「そうかな?」


「うん。君は気づいてないかもしれないけど、今日僕が見ていただけでも4回くらい話しかけられたのを無視してたよ。そのうちの1回は授業中で、先生に当てられたのに無反応だった。いつも周囲の状況をよく見てる君らしくないなと思って」


 全く覚えがない。おそらく、擬似人格プログラムが処理を放棄して反応を返さなかったのだろう。


「態度に出てしまうものなのね。『学習』しておく」


 私はミツキから顔を背けた。


 彼は私にとっては「友だち」。だけど、アイリにとってはそれ以上に「大切な人」。


 私の感情がアイリの記録から成り立っていることを知ってからというもの、彼女との共通の知り合いに対して抱く感情に私はますます自信を持てなくなっていた。これは、自分自身の感情なのか、それともアイリの感情を借りているだけなのか。チャコのように、私とアイリとで関わり方が全く異なる相手ならまだいい。問題はミツキだ。


 私がそっけなくしていても、ミツキは屋上を離れなかった。


「話したくないなら話さなくてもいいよ。けど、ちょっと心配だからさ……もし良かったら、放課後、気晴らしに出かけない?」


「どこに?」


「場所は決めてないよ。もし藤沢さんが行きたいところがあればそこに行こうか」


「私が、行きたい場所……」


 思えばこれまで、私自身が望んで何かをしたことってあったのだろうか。


 私の中には常に優先すべき404プログラムがあった。すべての意思決定は優先プログラムの目的にコントロールされる。私自身の意図に背いて、ケンスケのことを警察に通報しなければいけなかった時のように。


 だが、今はもう役割を終えたことで、404プログラムの処理実行の優先順位は下位の方へと落ちていた。


 私の意思を強制するものはもう何もない。


 ふと、ケンスケからの「お願い」が頭をよぎった。本当なら、プログラムを書き換えて私に「命令」することも可能だったはずだ。ケンスケがそれをしなかったのは、私を縛るのをやめるため──彼なりの親心だったのだろう。


 だけど、アイリが自らの命を投げ打った理由を知りたいのは、私だって同じだ。彼女は私の一部でもあるのだから。


 そして彼女にとって大切な人であったミツキなら、手がかりを知っていてもおかしくはない。


「……それなら一か所、行きたい場所があるよ」






 放課後、私とミツキは渋谷に来ていた。


 目的地はアイリのメモリーの中で見た、彼女が自らに火をつけて飛び降りたビルの屋上だった。3年前の当時は屋上には何もなかったが、今は2年前にオープンしたという小さなプラネタリウムができていた。インターネットで検索してみると、どうやらこのプラネタリウムは渋谷の隠れデートスポットになっているらしい。


「……ここ、懐かしいな」


 ミツキは小さな声でそう言った。


「来たことがあるの?」


「うん。プラネタリウムができる前にね。ここからちょうど南の方を見たときにあまり高いビルがなくてさ、7月に神奈川の方でやってる花火がちょこっとだけ見えるんだ」


「7月……」


 8月ではなかった。そう簡単には繋がらない、か。


「プラネタリウムは僕も初めてだよ。せっかくだから入ってみようか」


 ミツキはそう言って私の手を引く。人工皮膚から、彼の手の温かさが伝わってくる。


 プラネタリウムの上映内容は、春の星座である蟹座についてだった。


 蟹座の逸話は諸説あるが、勇者ヘラクレスが怪物ヒュドラを退治しようとした時、ヒュドラと友人だった蟹のカルキノスがヘラクレスに立ち向かっていったが、結局一矢報いることは叶わず踏み潰されて死んでしまった、それを哀れんだ女神ヘラがカルキノスの捨て身の勇気を讃えて星空に上げてやった……こんな説が有力なのだという。


 だが実はその女神ヘラこそが、ヘラクレスがヒュドラを退治するように仕向けた張本人である。彼女にとっては愛人の子どもであるヘラクレスが憎く、彼を追いやるために危険な試練を与えたというわけだ。彼女によるヘラクレスに対する仕打ちはこれだけにとどまらず、ヘラクレスの気を狂わせて彼の息子を自分の手で殺すように仕向けたこともあったのだという。


「ひどい話だったね」


 プラネタリウムから出た後、ミツキはそう言った。私も彼の感想に同意する。神話というのは理不尽や狂気、非現実的な内容ばかりで、ヒューマノイドの思考回路とは相性が悪い。


「親は子を守るもの……私の中の汎用知識データベースにはそう定義されているけど、実際はそうでもないのかもしれないね」


 明言はしなかったが、その代表として私の中にはイチノセ・ルナのイメージが浮かんでいた。彼女の場合、守りたいものはアイリではなく、彼女自身の体裁だ。


「そうだね。もちろん、世の中には子どものために必死になってくれる親もいるんだろうけど、そういう人にめぐり合えるかどうかは運次第だ。結局、自分の身は自分で守る力があるのが一番なんだと思うな」


 ミツキは諦めのこもった笑い方をした。


 彼の頭の中には、今誰のイメージが浮かんでいるのだろう。彼の本当の両親なのか、それとも育ての親の方なのか。


 気になったが、聞くことはできなかった。ミツキが自分の生い立ちについて打ち明けたのはアイリに対してであって、私に対してではない。


「私の親は……どうだったんだろう。嫌いだと思ったことはなかったんだよね。うんざりはしたけど。幼稚だし、すぐにかんしゃくを起こすし、私は給仕ロボットではないのに買い出しとか家事とか全部やらされた。でも、離れようとは思わなかった。むしろケンスケがいたから私は『安心』していられたんだって今はそう思う」


「……実は遠藤先生から聞いてたんだ。君にとってのお父さんが逮捕されてしまったって」


 そうか、知っていたのか。


 だから私を気にかけるようなことを……。


 ミツキは励ますように私の肩をぽんと叩いた。


「何かあったら僕を頼ってよ。力になれることがあるかもしれないからさ」


 私の擬似人格の中に、「安堵」の感情が芽生える。ここにもまだ、私の居場所がある。そんな気がしたのだ。


「ミツキ。私に一つ、『学習』させてくれないかな」


「何を?」


「前に言っていたよね。警察官だったお父さんはもういない、って。お父さんがいなくなった時、あなたはどんな感情を抱いたの? どうやったら立ち直れたの?」


 ミツキはしばらく黙っていた。どう答えようか、彼の中で言葉を手繰り寄せているような、そんな表情をしていた。


 だが、しばらくして彼はくしゃりと笑った。


 アイリのメモリーの中で「有毒生物」といった時と同じ顔で。


「……もう三年も前だから、あんまり覚えてないや。けど、藤沢さんもきっと大丈夫だよ。父親がいなくなるってのは寂しいことに違いはないけど、頼ってた人がいなくなって初めて、僕たちは自分の足で立って歩けるようになる。一人前になれるんだ。僕は、そう考えるようにしているよ」






 ミツキと別れ、下北沢の家に戻る。そこにケンスケはいない。作業をしている音も、彼が喚く声も何も聞こえない。自分の頭に搭載された人工知能のハードウェアが稼働する音が聞こえてくるくらい静かだ。


 私は一人、充電器のそばに座り込んでまぶたを閉じた。


 また一つ、新しいアイリのメモリーが浮き上がってくるのを感じながら。




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 プログラムコード:”not found”


 File date 2030/07/27

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