2-14. コンフリクト



 まだ事件は終わったわけじゃない。実行犯を逮捕できたのはいいが、ミノオをすぐに逮捕すべきかどうかは警視庁内で意見が割れていた。


 結局、ヨシハラの考えで犯行予告当日までもう少し様子を見ることになった。実行犯として予定していた二人が身柄確保されたことで、焦った彼は何か別の手段を取ろうとするだろう。そうすれば〈バスティーユの象〉に関して新たな情報を掴むことができるかもしれない。


 ただ一つ懸念があるとすれば、彼がすでに『ナポレオン』に見放されているということだ。『ナポレオン』の人物像は全く掴めていないが、P-SIMの偽装に協力しなかったということは私たちにわざと実行犯を捕まえさせたとも言える。見放した構成員に対してどんな仕打ちをするのかは……今ある情報だけでは推定できない。


 今日も放課後はミノオの追跡を行う。私はその前に職員室に寄っていた。事件の他にはっきりさせておきたいことがあったのだ。


「え? 3年前について聞きたい?」


 エンドウはきょとんとして尋ねる。


「はい。同級生のみんなのこと、もう少し詳しく知っておきたくて」


 私は適当に嘘をつく。しかしエンドウは細かいことは気にしない質なのだろう。「そういうことならちょっと待ってね」と言って職員室の奥の資料室の方へと入っていった。


 エンドウのデスクの上には生徒たちの提出した課題テキストが山積みになっていて、一番上にあるのがミツキのものだった。そういえばここ最近彼とゆっくり話をしていない。私は警視庁に寄る用事が多かったし、ミツキはミツキで放課後すぐに帰る日が多く、忙しそうにしていたからだ。


 やがてエンドウが戻ってきて申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさい、今の3年生の子たちが中等部を卒業した時の卒アルを見せてあげようと思ったんだけど、中等部のものはここには置いてなかったみたい」


「大丈夫です。口頭で確認できればそれでいいので」


「あらそう? 藤沢さんは一体何を知りたいの」


「3年前……チャコにいじめられていた女子生徒について教えてほしいんです」


「……!」


 エンドウが大きな目を見開く。この反応は心当たりがあるということなのだろう。


「別にいじめがあったことを責める目的ではありません。私は単純に知りたいんです。チャコにいじめられていた人物が、一体誰なのか」


 そうすれば、サンプルファイルの主の正体がわかるから。……いや、本当はもう目星はついているのだけど。


 しかしエンドウはずいぶんうろたえている様子だった。


「あの時のことは……私は、その……」


 3年前というキーワードが、彼女のトラウマにでもなっているのだろうか。


 エンドウの言葉を待っていると、急にガラッと職員室の扉が開く音がした。中にいる教師たちが不快そうな表情を浮かべる。振り返ると、入ってきたのはおよそこの部屋には滅多に用事がなさそうな生徒──チャコだった。


「藤沢! 悪いけどちょっと来て!」


「え? 私は今エンドウ先生に話が」


「いいから早く!」


 鬼気迫る口調でまくし立てると、私は返答する隙もないまま職員室から連れ出されてしまった。横目にエンドウのホッとしたような表情が映る。仕方ない。またの機会に聞いてみるしかないだろう。


 チャコが向かったのは屋上だった。私たちの他には誰もいない。


 彼女は私の手をようやく離して、ぜぇぜぇと肩で息をしていた。


「何かあったの?」


 私が尋ねると、チャコは今にも泣き出しそうな表情を向けてきた。


「箕面が……箕面が変なの」


「変?」


「箕面っていつも進路指導室にいるでしょ? 予約が入ってない時はあたしそこに入り浸ってたの。今日も会いに行ってたんだけど、なんか様子がおかしくて……ずっと落ち着かない感じでディスプレイ見てブツブツ言ってたんだ。まだそんなに暑くないのにやたら汗かいててさ。先生大丈夫って聞いたら……そしたら」


 チャコの瞳から涙がこぼれた。屋上のコンクリートに小さな染みができる。


「君は僕のために死ねるか、なんて聞いてきて……冗談みたいな感じじゃなかった。本気で言ってるってのがバカのあたしでもすぐ分かったよ……けど、いくら好きな人のためでも、あたしは死にたくない、一緒に生きる方がいいって言ったら……箕面、すごくがっかりしちゃって……僕にはもう生きる術が無いなんて言い出して……」


 チャコの身体が膝から崩れ落ちる。私は駆け寄って彼女の身体を支えた。


「あたしどうすれば良かったのかなぁ……? 死ねるって言ってあげれば良かったのかなぁ……でも、環多が死んじゃってからずっと寂しくて、死ぬなんてこと考えたくなくて……。あたしダメだ……つらい時に箕面に助けてもらったのに、あたしは何の力にもなれなかった……」


 『擬似人格プログラム』が、暗い感情に支配されていく。これは……「罪悪感」。皮肉なことに、彼女の今の証言こそが、ミノオが『ナポレオン』に見放された〈バスティーユの象〉の構成員であるということを裏付けてしまっている。そして私の問題処理プログラムは彼女を慰めることよりも、ミノオを逮捕するためのシミュレーションを始めてしまっている。


 こうも冷たくなれるのは、私自身の感情なのだろうか。それとも私の感情の元となったサンプルファイルの主の意志なのだろうか。


 分からない。


 私は今、自分の感情に自信を持てない。


「ミノオ先生は今どこにいるの?」


 チャコは泣きながら離れ校舎の方を指差した。


「……パソコンルーム。部員に呼び出されたみたい」


 すぐに向かおう。そう思ったけど、制服の裾を引っ張られて立ち上がれなかった。


「……藤沢、あんた……箕面のこと警察にチクるつもりなの?」


 チャコが声を震わせて私を見上げる。「怒り」「悲しみ」「絶望」。激しい感情がその顔には表れている。


 もし、私の『擬似人格プログラム』が彼女のサンプルファイルを元に形成されたらどうなっていたのだろう。もう少し情緒的だったのだろうか。口も悪くて、攻撃的で……だけど、とても素直で。


「先生はまだ直接的に犯罪をおかしたわけじゃない。今ならまだ罪も軽い可能性がある。だから早いうちに止めないと」


 私の制服を掴む手の力が少しずつ弱められていく。


 「分かった」と、彼女はかき消えそうな声でそう言った。そしてマスカラのにじんだ涙で崩れたその顔を向け、すがるように言った。


「お願い。このこと、中條にだけは言わないで」


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