2-15. フー・アー・ユウ?



 別にチャコの願いを聞いてやる義理はない。


 だけど私は理性的にではなく感情的にミツキに連絡を入れるのは望ましくないと判断し、単独でパソコンルームへと向かった。自分で自分に呆れる。直前までチャコが行っていたいじめについて調べようとしていたのに、なぜ彼女の言うことを聞き入れてしまっているのだろう。


 廊下からパソコンルームの外観が見えて、私はふと違和感を感じた。部員に呼び出されたのならモリシマかカブラギのどちらかがいるはずだが、以前と違ってカーテンは締め切られている。何かおかしい。そもそもミノオは名目上の顧問で、部員とはあまり関わり合いがなかったはずだ。


 教室の入り口のところまで来て、私は耳を扉に当てる。音声認識感度を最大に引き上げると、室内の音がよく聞こえてきた。話し声だ。声質から判断すると一人はミノオ、そしてもう一人は……カブラギ。


「なんだ、一台も故障してないじゃないか。そもそもパソコンの故障くらい、君たちだったら自力でなんとかできるだろう。僕は忙しいんだ。変なことで呼び出さないでくれ」


「……変なことじゃないですよ。故障してるのはパソコンじゃないんです」


「は? どういうことだね」


 訝しむミノオの声に、カブラギの高らかな笑い声が重なった。


「何がおかしい」


「はは……あはははは!」


 カブラギが狂ったように笑っている。様子が変だ。


 やがて彼は声を張り上げて言った。


「壊れてるのは……壊れてるのはね! 箕面先生、あんたの方ですよ!」


「はぁ……? おいおい何を言っているんだ。勉強で疲れているのか? 前も言ったが、君は国立大の医学部を目指せるくらい優秀な生徒だ。疲れた時は適度な休憩を──」


「あんたのことが嫌いだ。僕はあんたのことが大っ嫌いだ! 教師としても……〈バスティーユの象〉の幹部としても!」


 私はハッとした。なぜカブラギがその事実を知っているのだろう。私以上にミノオは動揺した声をあげている。


「ちょ、ちょっと待つんだ。鏑木くん、君は一体何を……?」


 カブラギは再び狂ったように笑い出す。声質は以前ここで会った時よりもハイトーンでしゃくりが激しく入っている。感情認識では「狂気」「興奮」に該当する。


「僕はね……本当は歴史学者になりたかったんですよ! なのにあんたが進路指導で僕がまったく興味のない医大なんて勧めるから! うちの親が変な期待をして、何の相談もなしに勝手に数百万円もする塾に入れられたんですよ!」


「その方が君の将来のためになると思ったからそうしたんだ。医者なら歴史学者よりも将来性があるし」


「僕の将来のため……? 呆れた! あんた、そんなんだからナポレオン様の怒りを買うんだよ!」


「なっ……さっきからなんなんだね! 勝手な言いがかりはよしなさい! 君は〈バスティーユの象〉の一体何を知っているというんだ」


「僕ですか? ははは……あははははは……僕はね……ついに選ばれたんですよお! あのお方は分かっていてくださった……あんたなんかよりも、ずっと……! だから、証明するんです……! ナポレオン様に、『執行者』としての僕の力量をおおおお!」


 まずい。


 私はすぐに教室の扉を開ける。幸い鍵はかかっていない。ミノオとカブラギは教室の中央にいた。青ざめた表情で怯えるミノオ。その視線の先──カブラギの手にはナイフが握られている。ずいぶん興奮していて、彼は目の前のミノオを刺すことしか頭にないようだ。私には気づいていない。今の地点と二人との距離を計算。必要歩数と速度をシミュレーション。間に合う。私は自分に出せる最大速度で間に入った。


 ズシャッ。


 人工皮膚の裂ける音が響く。私の腕の表面でショートした電流がぜ、火花が散る。


 反射的にカブラギの顎に向かって蹴りを入れた。運動神経の悪い彼は反応しきれず、もろにそれを食らう。カブラギの身体が宙に浮き、パソコン数台を巻き込んで教室の反対側に叩きつけられる。起き上がってはこなかった。気絶したようだ。


 校舎の外ではあらかじめ呼んでおいたパトカーのサイレンの音が響き始めた。


 危機一髪。私の背後でミノオは震え上がっている。彼に怪我はない。


「先生……詳しいことは、警察の人が聞きますから」


 私の言葉で全てを悟ったのか、ミノオはガクッとうなだれる。


 これで終わりだ。この学校の潜入捜査任務も必要なくなるだろう。結局チャコには何もしてやれなかったが、カブラギのナイフからミノオを庇えたのはせめてもの救いだろうか。


 あとはこの場の処理はヨシハラに任せて、私はこの学園を去る準備を……


「藤沢さん!」


 声がして振り返る。廊下から走ってこっちに向かってくる男子生徒がいた。


「ミツキ……?」


 彼はそのまますぐそばまで走ってきて、勢いよく私を抱きしめた。突然のことで、『擬似人格プログラム』が一瞬停止する。


「びっくりしたよ……パソコンルームの方で争う声が聞こえて来てみたら、君が鏑木くんに……」


 身体を離し、ミツキは「怪我はない?」と私の腕を取った。


 その瞬間、彼の顔色が変わる。


「待って……藤沢さん、これ……どういうこと……?」


 ミツキが見たもの。それは、人工皮膚が裂けてむき出しになった金属の身体。


 つまり、私がロボットであるという証だった。


 ついにバレてしまった。ミツキは何度も確かめるように私の腕と私の顔を交互に見る。私は何も答えず彼の表情だけを見た。


 今、何を思っている?


 どんな感情を抱いている?


 私の擬似人格は知りたがった。今まで人間と偽ってきたことで激しく非難されるなら、それでも良いと感じていた。


 何でもいい。


 私の擬似人格は、私の存在に対して彼の感情が揺れ動くことを望んでいた。


 「好奇心」……それもあるだろう。


 だが、それだけじゃない。私は「虚しさ」を感じていた。潜入捜査の終わりを目の前にして、この学校の中で関わってきた人たちに自分の存在が何も残らないことに、「恐れ」を感じていた。


「藤沢さん、君は一体……」


 そこに続く言葉を推測する。「何者か」。


 私の機械としての名前なら〈U-FJSW-1.1.0〉という金属の塊。


 私の感情の名前なら──ごめん私も分からない。


 ミツキの口が動く。それよりも先に彼の身体が動く。再び私をその長い腕で包み込む。


「どうして言ってくれなかったんだ。知っていたら、もっと力になれたかもしれないのに」


 想定外の行動に、私は何の言葉も発することができなかった。こういうとき、なんと返せばいいのだろう。


 「ありがとう」、それとも「ごめんなさい」?


 できればその両方の意味を兼ね備えた言葉を返したかったのだけれど、私に搭載されている自然言語処理プログラムには該当する言葉が浮かばなかった。






 ヨシハラがパソコンルームまでやってきて、意気消沈しているミノオを無理やり立ち上がらせた。ツツイも来ていて、他の警察官と共に失神しているカブラギを運び出す。


「ユウくん、お手柄だ。これから箕面を連行する。君も来るかい?」


 私は頷く。


 ミツキにはすでにこの部屋を出てもらっていた。ここにいたら、彼が私の正体を知ったことをヨシハラたちに悟られてしまう。そうなるのは避けたかった。どうせこの学校での潜入任務はもう終わりなのだ。関係のない人間を余計な面倒に巻き込む必要はない。


 ケンスケはヨシハラの車の中で待機していた。


「ユウ、お前バッテリーほとんど残ってねぇじゃねぇか」


「あ……本当だ」


 ミノオを庇う時に身体機能プログラムを最大限に稼動させたせいだろう。ケンスケに言われるまで気づかなかった。そんなことに気を配る暇がなくて。


 私の人工知能の容量を圧迫するのは、先ほどのミツキの行動のリフレインばかり。


 ミツキはどうして私を非難しなかったのだろう。それどころか受け入れた。まるであのサンプルファイルと同じように、私の無機質な身体を抱き締めた。


 あの瞬間、これまでにない感情が私の擬似人格に現れていた。それは──「自己肯定感」。自分の擬似人格の正体を知らない私が、初めて抱いた感情。なんて奇妙なロジックだ。他者によって自分の輪郭を囲われることで、自分の存在を認識し許諾するなんて。


 だが、気になることもある。


 なぜ彼はあの場所にいたのか。私はチャコの言う通りミツキに何も伝えなかったのに。争う声が聞こえたと言っていたが、なぜ都合よく彼は声が聞こえる距離にいたのだろう。パソコンルームは離れ校舎だ。授業や部活がなければ生徒はほとんど近づかない。


 だめだ、これ以上考えるとバッテリーが切れてしまう。


「……すみません、ちょっとスリープモードに入ります」


 外界情報をシャットアウトすると、私の意識の浅い層にさまよったままのサンプルファイルの存在が浮き上がった。そういえば再生を中断したままだった。


 私が再生を望むか望まないか……そのゴーサインを出すより先に、あの暗い浜辺の映像が私の意識を支配していった。



──────────


 実行中のプログラムを強制終了


 最優先プログラムの実行モードに移行開始


 プログラムコード:404ヨンマルヨン


 中断されていたファイルの再生を再開します


 File date 2030/06/03

 Now Loading......


──────────


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