3-6. File date 2030/08/20



***




 私は私を消さなきゃいけない。


 それが、私にできる唯一のこと。


 今いるビルの屋上の柵から乗り出し、地面を眺める。五階建ての雑居ビル。この高さなら十分だ。高いところは苦手だけど、不思議と羽が生えたかのようにふわふわとした心地で、あまり怖いとは思わなかった。


 まぶたを閉じて耳を澄ませば、さっきまでいた場所の方からパトカー、救急車、消防車のサイレンが混じり合う音が聞こえてくる。


 なるべくあそこから離れてきたつもりだ。


 だけど、髪も服も焼け焦げていて周りの人からジロジロ見られるし、何よりやけどと息苦しさで、これ以上遠くへ行くのは無理。


 でも、もう十分だよね?


 中途半端に焦げついた身体は、いっそ全部燃やしてしまおう。


 不安定に揺れ動く心は、いっそ鼓動を止めてしまおう。


 あとは……忌々しい、私以上に私を記憶する金属片。


 私はワイズウォッチを操作して、仮想P-SIMの初期化キーを入力した。


〈仮想P-SIMを初期化すると、記録されたデータはすべて削除されます。それでも実行しますか?〉


 ……〈YES〉。


 投影式ディスプレイをタップすると、仮想P-SIMデータの初期化が始まった。


 私の記憶も、こんな風にきれいに消せたら良かったのに。


 どうして人は、知ることをやめられないのかな。


 どうして、一度知ってしまったら、後戻りできなくなってしまうのかな。


 私、不器用だから……前に進むのをやめるために、この方法しか思いつかなかったの。


 ごめんね……






 kじゃjaj9えwkk女衣@派l

 bvlwpl。あwkナトァpわ

 ーwかaj38vうbhw


 …………


 …………


 …………


 …………


〈強い衝撃により、オートセーブモードに移行。実行中の処理を一時停止しました〉


〈処理を継続しますか?〉


 …………


 …………


 …………


 …………


〈応答を認識できませんでした。再起動時に中断された処理を再試行します〉


 …………


 …………


 …………


 …………


「どういうことだよ!? ふっざけんな!! これが……こんなのが亜衣莉あいりだって言うのか!? こんな……黒焦げで、顔も潰れちまって誰かよくわかんねぇ死体が亜衣莉……? 納得できるわけねぇだろ! 捜査サボろうとして適当にでっち上げてんじゃねぇだろうな!?」


「落ち着いてください、藤沢さん……お気持ちは分かりますが、すでに歯形から照合が済んでいて……それに、近くに散らばっていたワイズウォッチの破片と、仮想P-SIMナンバーからこれが一ノ瀬亜衣莉さんのものだと……」


「仮想P-SIM……? そうか!」


「ちょ、ちょっと、藤沢さん!? 勝手に遺品を持って行かないでください! まだ親御さんの確認が……!」


 …………


 …………


 …………


 …………


「仮想P-SIM……こん中には亜衣莉の記録が残っているはずだ。こいつの中身を確認できれば亜衣莉を死に追いやった原因が分かるはず──」


〈再起動しています……実行中の処理を再試行中……〉


「ん? 実行中の処理……?」


〈データの初期化を再開します〉


「なっ!? 待て待て待て待て! なんで初期化なんて……!? だめだ、すでにデータの一部は消去されちまってる……! のんびり記録を確認してる時間はねぇ、まずは今残っている分をアーカイブして……!」




〈初期化レベル……60%〉




「頼む……! 間に合ってくれ……!」




〈初期化レベル……73%〉




「はぁ、はぁ……とりあえずデータの保存先と接続はできたが……。亜衣莉、一体何があった……? 今朝まで普通にしてたじゃねぇか……なのに突然いなくなっちまうなんて」




〈初期化レベル……88%〉




「そうだ……きっと誰かに殺されたんだ……通り魔とか、ストーカーとか……無い話じゃねぇよな。それもあとちょっと……あとちょっとだ……少しでもいい、あいつの記録を抽出できれば……」




〈初期化レベル……97%〉




「亜衣莉……お前が果たせなかったことは俺が代わりにやってやる。ずっと言えなかった。お前が突然いなくなるなんて、考えたことがなかったからな。だけど、今になってよく分かる。俺は……お前がいないと」




〈100%──データの初期化を完了しました〉




***



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