3-5. ラスト・オーダー



 帰宅すると、ドタバタと足音がして、ケンスケが珍しく出迎えた。


「なぁ、また新しいサンプルファイルが出てきたんだろ!? 何もたもたしてんだ、早く再生するんだよ、ほら!」


 ケンスケは嬉々とした様子でそう言って、強引に私の腕を引っ張って家に上げた。


 ……普段は私が帰ってきても「おかえり」の一言すら言わず、ラボにこもっているくせに。


 この反応の想定はできていた。だけど、擬似人格の感情で言えば、できれば当たってほしくない想定だった。


 ケンスケ……あなたが毎日帰りを待ち望んでいるのは、『私』じゃなかった。


「アイリなんだね……?」


 ケンスケの動きがぴたりと止まる。


「は、はぁ? 何のことだよ、いきなり」


 ケンスケは誤魔化すように笑った。下手くそ。笑顔になることが少ないから、表情筋が引きつっている。


「本当のことを教えて。私の中にあるサンプルファイルは、イチノセ・アイリのP-SIMレベル2から抽出したものなんでしょう?」


 それは、サンプルファイルの内容と、ヨシハラに調べてもらった情報から導き出した答え。


「おいおい、さっきから何を言ってるんだよ。そうだって言える証拠はあるのか? そりゃ確かに、理論上は可能だ。P-SIMレベル2の情報量があれば、整合性のとれた感情の方程式をAIに学習させることができるだろう。だがP-SIMレベル2はそもそも生体認証キーで守られてて他人がアクセスできるようなもんじゃねぇし、万が一アクセスできたとしてもデータを盗んだりコピーしたりするのは違法だぜ? 現実的な話じゃねぇよ」


 ケンスケはそう早口にまくし立てると、私から顔を背けて自室に戻ろうとする。


 待って、今さら逃げないでよ。


 私があれだけ警告しても、404プログラムを止めてくれなかったのはあなたでしょう。


「仮想P-SIMなら可能だよ」


「机上の空論はやめろ」


「ううん、これは現実的にあり得る話だよ。アイリは帰国子女だった。国内版にデータを引き継ぐため、一時的に仮想P-SIMを持っていたんでしょう? 仮想P-SIMなら生体認証キーは存在しないから、外部からのアクセスは可能。データを抽出した時にケンスケのP-SIMレベル2から警視庁にアラートが出なかったのは謎だけど……このサンプルファイルを見ればその理由は証明できる」


「なんだと……?」


 ケンスケが振り返る。


 私はワイズウォッチの投影式ディスプレイを立ち上げ、今の自分のプログラムの稼働状況を映し出して彼に見せた。渋谷の空き地の前に行った時から、とあるサンプルファイルの読み込みが始まっている。


 ファイルの日付は2030年8月20日。


 するとケンスケはハッとしたように目を見開いて、ずいずいと私の眼の前まで戻ってきた。ぎょろっとした大きな瞳は、投影式ディスプレイに映る日付を見つめている。


「ああそうだ……そうだよ……この日だ……あいつが……俺の大事な姪っ子が、この家に帰って来なくなったのは……!」


 その瞬間、ケンスケは白衣のポケットからドライバーを取り出したかと思うと、私の鎖骨あたりめがけて勢いよく突き刺してきた。


「──ッ!」


 想定外の行動。


 生みの親であるケンスケが、私のボディを損傷させるなんて。


 人工皮膚が裂け、皮下に通されていた神経系を模倣したケーブルが切れる。命令信号が途切れ、だらりと力なく腕が垂れる。


 これでは抵抗できない。


「一体、何をする気なの……?」


 ケンスケは私をその場に座らせ、肩を震わせて笑った。


「まったく、優秀すぎるAIってのも困りものだな。ああ、お前が言う通りだよ。サンプルファイルの正体は、亜衣莉の仮想P-SIMレベル2の記録だ。抽出過程でファイルのほとんどが損傷しちまって、復元するための機構として404プログラムを作った。……だが、このプログラムの機能はそれだけじゃない」


 ケンスケの眼鏡の奥の瞳が、冷たく光る。


「404プログラムの本質は、亜衣莉の記録を再生し、その上であいつが死ぬ間際に最も恨んだ奴に対して攻撃を実行するところにある」


「攻撃……?」


「そうだ。お前のボディに無駄にハイスペックな機動力やパワーを搭載してあるのは、全部亜衣莉のため。お前は、死んだ亜衣莉の復讐を実行するために造られたヒューマノイドなんだよ!」


 ケンスケは自らのワイズウォッチに私の遠隔コントロールパネルを表示して、404プログラム以外の稼働中のプログラムを一つずつ停止していった。処理速度を上げてサンプルファイルの再生を少しでも早める気だ。


 頭部に搭載されたエンジンが熱を帯びていく。


 サンプルファイルの再生が始まってしまう。


「ケンスケ、だめだよ……! これ以上404プログラムを稼働させてはいけない……! お願いだからもうやめて……!」


 だがケンスケは手を止めない。


「やめるわけねぇだろ! 感情があるからって、いっちょまえに人間にでもなったつもりか? 違う、お前は模造品コピーだ。お前の中にある記録や感情はすべて亜衣莉のものなんだよ!」


 ケンスケが外部情報収集プログラムを停止してしまったせいで、視界が真っ暗になった。声もだんだん遠くなって聞こえない。


 私の存在意義は、アイリのメモリーを再生して、復讐を実行することだった?


 私が『フジサワ・ユウ』だと思っていた擬似人格は、アイリのコピーに過ぎなかった?


 私のすべては、イチノセ・アイリのもの?


 なら、彼女が死んでからの記録は?


 私自身が会話し、触れ合った、ヨシハラやミツキやチャコとの記録まで、アイリのものになるのだろうか。


 ケンスケを親として、一緒に過ごしてきた日々も、アイリのものになるのだろうか。


 だとしたら、私自身はどう感じる?


 感じたとしても、私じゃなくて、アイリの感情ということになるのだろうか。


 ああ……「熱い」「痛い」「苦しい」。


 現実の事象と異なる感情の発生。


 サンプルファイルの再生が始まっている。


 もう、止まらない。


 ……ケンスケ。


 結局、私の警告は聞いてくれなかったね。


 あなたにとって、私の警告はアイリの模造品が発するバグでしかなかったんだね。


 私にとっては、発したものだったのに。


 だからきっと、今回のサンプルファイルの再生が、あなたからの最後の命令になるんだろうね。


 そうなってほしくはなかった。


 「悲しい」──この感情がたとえ、私のものではなかったとしても。




──────────


 実行中のプログラムを強制終了


 最優先プログラムの実行モードに移行開始


 プログラムコード:404ヨンマルヨン


 File date 2030/08/20

 Now Loading......


──────────




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