3. Learn Her or Myself

3-1. インテロゲーション



「では改めて聞かせてください。先日我々が『ナポレオン』を逮捕したという情報を流したとき、警視庁のサーバーに攻撃を仕掛けてきたのはあなたですね?」


 取り調べ室でテーブルを挟んで向かい合う、ツツイとミノオ。私とケンスケは今、モニタ越しにその様子を見守っている。


「はい。『ナポレオン』が捕まったという噂が広まれば、構成員達に不安を与えてしまう……そう思って攻撃を仕掛けたんです。結果的に、それがかえって『ナポレオン』から見放されることにつながったようですが」


「攻撃のために利用したのは、学園の生徒達に配布していた自称・ウイルス対策ソフトですね?」


「そうです。生徒たちが漫画を違法アップロードして小遣い稼ぎをしているのは知っていました。何不自由なく育っている金持ちのくせに、その金をまともなことに使わない……彼らに対して少しイタズラしてやりたくなったんですよ。違法アップロードをしようとすると、そのファイルをウイルス付きに変えてしまう仕組みです。ただ、まさかあれから足がつくなんてね」


 ミノオは肩を落として、自嘲気味に笑った。そして観念したように、ぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。


「……10年前の話になりますけどね、僕はあの時人生のどん底にいました。一生勤めようと思っていた会社が突然倒産して、妻には愛想を尽かされ、次の就職先が見つからないまま渋谷の街のガールズバーに入り浸って、自堕落な生活を続けていました」


「〈隣人同盟ゾウの会〉に入信したのはその時ですか?」


「ああ、そのこともすでに調べがついているんですね。その通りです。僕にはその時、バーの店員で入れ込んでいる人がいて……本名は知らないのですが、源氏名はサーヤと言いました。僕は彼女に勧誘されたんです。『箕面さん、私たちが今苦しんでいるのは時代や社会のせいであって、自分たちが悪いわけじゃない。だから自分を責める必要はない。私がお世話になっている先生がきっと箕面さんの力になってくれるはずだから、ぜひ会ってみてほしい』……そう言われました」


「サーヤさんは、今はどうしているんですか?」


 ツツイの質問に、ミノオは口をつぐむ。一瞬彼の老けた顔に苦悶の表情が浮かび、やがて絞り出すかのような声で言った。


「サーヤは……今はもういません。亡くなったんです。そして、そのことが僕が『ナポレオン』に協力することを決めたきっかけでもありました」


「詳しく聞かせてもらえますか?」


 ミノオは頷く。


「サーヤは元々、教祖から虐待を受けていました。ご存知かもしれませんが、〈ゾウの会〉は僕が入った頃には組織の中で立場の強い者が弱い者を搾取するようになっていたんです。彼女は月10万円以上を教団に納めないと脱会させると脅されていて、自分の身を削りながら働いていました。ノルマを達成できない時は、修行と称して教祖から暴行されていたようです。僕はそれが見ていられなくて、教祖にある提言をしました。当時まだ教団になかったWebサイトを無償で構築するから、僕とサーヤを教団から解放してくれと」


「申し出は聞き入れられたのですか?」


 ツツイが尋ねると、ミノオは首を横に振った。


「まずはやってみろと言われて、僕は大慌てでサイトを作り上げました。正直、たった一人であの規模のサイトを作るのはかなり骨の折れる作業でしたよ。でも、サーヤのためにも徹夜してソースを組み続けて、確か1か月かからなかったんじゃないかなと思います。同時並行で昔取っていた教員免許を使って転職活動を進めて、社会復帰の準備も進めていました。……ですが、サイトが出来上がった時、教祖にいちゃもんをつけられて引き留められたんです。僕がいないとサイトの保守管理ができないから、退団させまいと必死だったのでしょう。そうしてもめている時に、〈ゾウの会〉に家宅捜索が入りました」


 家宅捜索……2025年に〈ゾウの会〉の中核メンバーが一斉検挙された時のことだろう。


 警視庁の捜査資料データベースによると、それまで警察はほとんど〈ゾウの会〉の実態を掴めていなかったが、2025年になって内通者の情報により教団内の悪事が発覚。証拠が出てきてすぐに教祖を取り押さえるべく家宅捜索に踏み切ったようだ。


「あの時の教祖は錯乱していました……怯える信者たちに対して、自分のためにこの場で死ねる者はいるかと呼びかけたんです。何人かの信者は手を挙げましたが、ほとんどの信者はもう教団はダメだと悟っていました。僕もその一人で、サーヤも同じことを考えているんだと思っていたんです。……ですが」


 ミノオは膝の上に置く拳を強く握りしめた。


「サーヤはナイフを取り出して言いました。『落ちこぼれの私がようやく教祖様のお役に立てる時が来ました』なんて……そして彼女はナイフを持って警察官に向かっていきました。だけどまともに食事を摂れていなかった細腕の彼女が、警察官相手に太刀打ちできるはずがなかった。あっけなく取り押さえられそうになって、彼女は手錠をかけられる前に自ら首を切って亡くなりました」


 ボタリ、ボタリとミノオの目から涙がこぼれ落ちていく。


「僕はずっと、彼女を追い詰めた教祖のことが許せませんでした……! その5年後、つまり今から3年前、教祖が脱獄したと聞いてチャンスだと思ったんです。今なら復讐ができる、って。だけどそれは叶わなかった。僕よりも先にそれを考えて実行した人がいたから」


「もしかして……『ナポレオン』のことですか?」


「そうです。あの人のことを僕は知らなかった。今まで会ったこともないんです。ただ、いきなり差出人不明のメッセンジャーが送られてきて、『サーヤのような人が生きられる社会を、今度こそ作り直さないか』と〈バスティーユの象〉に勧誘されました。あの人の正体が何者かなんてどうでも良かった。サーヤのことを覚えていてくれる人が僕以外にいるということが、何よりも嬉しかったんです。だから、迷うことなく〈バスティーユの象〉に入りました」


 私は以前チャコが言っていたことを思い出していた。


 ミノオは以前、ツヤマ・カンタを失って自棄になっていたチャコを止め、彼女に「自分を大事にしろ」という言葉をかけたという。その話を聞いた時は、まさかこの男がそんなことをするだろうかと少し疑ってもいたのだが、今なら分かる。彼にはきっと、チャコの姿が重なって見えたのだ。失ってしまった大切な女性と……その人を失った後の自分自身が。


「にしても、サーヤって女を知っているってことは、『ナポレオン』も箕面や『占い師』と同じ〈ゾウの会〉の人間ってことか?」


 隣でケンスケがそう言うのを聞いて、私はもう一度以前ヨシハラが用意した〈ゾウの会〉の入信者リストのデータに接続してみた。


 総勢30,000人ほどいたとされる信者たちのうち、3年前の家宅捜索で逮捕され、現在もなお塀の中にいる約300名を除外。〈ゾウの会〉に所属していて、かつ3年前にオウ・カイセイを殺害することができるとしたら残りの29,700名のうちの誰かになるが、今のところ彼らのP-SIMレベル2に『ナポレオン』と思わしき行動は記録されていない。


 ちなみに、この29,700名のうち私が知っている人物が一人だけいる。


 宝星学園高等部3年1組の担任、エンドウ・ヨシカだ。ただ彼女は信者としてゾウの会に所属していた期間は4ヶ月とかなり短く、教団には住み込みではなくセミナーを受けるために数回通っていただけのようだ。加えて機械音痴であることを知っていたから、デコイ作戦で攻撃を仕掛けてきた人物の候補からは外していたのである。


 ただ、ミノオのそばで彼の行動を監視することができたという面では、彼女が『ナポレオン』だという可能性もゼロではないが──


 ガラっという音が響き、私は思考を中断した。私とケンスケが待機していた会議室の扉が横に開く。カブラギの取り調べを担当していたヨシハラが戻ってきたのだ。


 彼はネクタイを緩めながらパイプ椅子にどさっと座り込んだ。その顔には珍しく疲れが浮かんでいる。


「カブラギくんの取り調べはもう終わったんですか?」


「ああ。調べ自体はそんなに時間がかからなかったよ。ただ未成年ということもあって扱いが難しいのと、相当〈バスティーユの象〉に入れ込んでいたみたいでさ。話していてこちらのエネルギーが吸い取られるかのようだったよ」


 ヨシハラはそう言って深いため息を吐いた。


「カブラギくんは確か自分のことを『執行者』と言っていました。やはり『ナポレオン』にそう指示されたということなのでしょうか?」


「そうだね。鏑木くんの言うことはどこまで本当か怪しいが、1週間くらい前に差出人不明のメッセージが届いたそうだ。そこには『君を見込んで死刑執行を任せたい ナポレオンより』と書かれていて、その後何通かやり取りをして、箕面が組織にとって邪魔な存在になったので殺害するよう指示されたらしい」


「ということは、『ナポレオン』はカブラギくんが〈バスティーユの象〉に対して入れ込んでいたことも、箕面が構成員の一人であることも全部知っていたということですよね?」


「そうなるね。『ナポレオン』は彼らと距離の近い人物である可能性は高そうだ」


 だとしたら一番可能性が高いのはエンドウ・ヨシカだ。だがどうにも納得しがたい。彼女のような人間がテロ組織のリーダーとして暗躍している姿は、あまりイメージに結びつかないのだ。


「ナポレオンが箕面を見放した理由は結局何だったんだ?」


 ケンスケがヨシハラに尋ねる。


「鏑木くん曰く、ナポレオンにとって警視庁を狙ったサイバー攻撃や犯行予告が気に食わなかったそうです。警察のことを直接狙わないことがナポレオンの矜持らしくて。とはいえ結局、ナポレオンが考えたシナリオによって僕らはこうやって働かされているわけなので、めちゃくちゃな理屈ですけどね」


「なぜナポレオンは警察に対して敵意を持っていないんでしょうか。普通のテロ組織であれば真っ向から敵対してきそうなのに」


「それは彼らの理念によるものじゃないかな。警察というのは犯罪者という力を持つ者たちから、被害者という弱者を守るための組織だからね」


 確かにそう考えれば理には適っている。


 だがこれまでに集めた情報でプロファイリングしてみても、やはりナポレオンという人物はどこか支離滅裂なところがある気がした。相手の最も繊細な部分に触れて仲間に引き入れていく割に、初期の頃から〈バスティーユの象〉を支え続けたミノオのような幹部をあっさり切り捨てる。


 以前モリシマがナポレオンの人物像について子どもやAIではないかとする説があると話していたが、そう思いたくなるのも無理はないと思う。


 これだけ〈バスティーユの象〉に触れてみても、ナポレオンの「個」としての感情が一切見えてこないのだから。ナポレオンと呼ばれる人物がどんなことに怒り、どんなことに悲しみ、誰のために生きているのか……それがまるで見えてこない。


「一旦情報を整理しようか」


 ヨシハラは立ち上がり、ホワイトボードに現状分かっていることを書き出し始めた。


 サイバー攻撃を仕掛けてきた〈バスティーユの象〉の幹部クラスはミノオ・タスクであったこと。


 彼はリーダーの『ナポレオン』に見放され、カブラギを使って命を狙われたこと。


 一方で『ナポレオン』と直接面識のありそうな『占い師』クラタ・アサミは依然として逃亡中。


 幹部クラスのミノオとクラタの共通点は、二人とも〈隣人同盟ゾウの会〉に所属していたこと。ミノオの恋人であるサーヤの名前を知っていることから、『ナポレオン』も〈ゾウの会〉に所属していた可能性が高いが、元信者リストの中では現状それらしき行動をとっている人物は該当しない。


 つまり捜査は進展しているようで、未だにナポレオンの手がかりはほとんどない状態だ。


 それが分かってか、ヨシハラはため息を吐いてホワイトボードに書いた文字を消した。


「……今日はもう遅いし、ここまでかな。とりあえず、〈ゾウの会〉については当時の捜査資料で何か参考になりそうなものがないか調べておくよ」



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