4-5. ナカジョウ・ヨシナオ



「目が覚めたかい」


 私が身体を起こすと、すぐ近くでヨシハラの声が聞こえた。位置情報と周辺の景色から今いる場所を特定する。警視庁のモニタールームの中だ。他の職員は出払っているようで部屋の中にはヨシハラとカキタしかいない。


「あの後……どうなったんですか?」


「ああ。君が倒れた一時間後には現場の捜査員から連絡が入った。無事倉田の身柄を拘束できたよ。君が無茶して調べてくれたおかげだ」


 そう言ってヨシハラは私の髪をくしゃくしゃと撫でた。


「あの……私はどれくらいスリープ状態だったんでしょうか?」


「半日、と言ったところかな。一応技術者に見てもらったんだが、スリープモードに入っているだけで君の内部の人工知能や各プログラムに損傷は見られないと言われてね。こうして自然に目を覚ますのを待っていたんだよ」


「すみません、ご心配をおかけしました」


「気にする必要はない。無理をさせたのは僕たちだからね。起動してみて、どうかな?」


「はい、大丈夫です。問題ありません。ただ、スリープしている間にアイリのメモリーがまた浮き上がってきたんです。ファイルの日付は彼女が自殺する前日……つまり、〈バスティーユの象〉の最初の事件が起こる前日の記録です」


 私がそう言うと、ヨシハラは目を見開く。


「寝起きのところで悪いが、何か分かったことはあったかい」


「そうですね……少し気になることがあります。〈ゾウの会〉の信者のリストをもう一度見せてもらえませんか?」


「いいけど、もう既に全データ取り込んでいたよね?」


「はい。ですが、欠損があったのではないかと思って」


「どうして?」


「アイリのメモリーの中で、彼女はナカジョウ・ミツキが〈ゾウの会〉の信者と同じ格好をしているのを目撃しているようなんです。だから、彼がかつて〈ゾウの会〉に所属していた記録がないかもう一度確認したくて」


「中條三葵って確か、宝星学園での君のクラスメートだろう? 宝星学園の人間ならすでにP-SIMレベル1情報を一通り確認しているけど、〈ゾウの会〉に所属していた履歴があったのは箕面と遠藤の二人だけだったような……」


 ヨシハラは急にハッとしたような表情を浮かべ、自分の鞄の中を漁ると、私が読み途中にしていたあの分厚い手帳を取り出した。


「そういえばこの手帳の中でも同じようなことがあった。この捜査官が出会った少年の情報が〈ゾウの会〉所属者のデータに記載されていないって」


「確か本人はP-SIMを持っていないと言っていたんですよね。でも、そんなことってあるんでしょうか。P-SIMは戸籍に基づいて全員に発行されるはず──」


 私は途中で言い止めた。自分の言葉に違和感を抱いたのだ。


 


 もう一度、情報を整理し直さなければ。


 どうしてナポレオンはオウを殺したのか。


 どうしてナポレオンはP-SIMレベル2のデータを偽装することができるのか。


 『占い師』クラタ・アサミだけがナポレオンに近づくのを許された理由は何なのか。


 彼女の昔の顔を見たときの既視感は何だったのか。


 そして、この手帳の少年と捜査官の関係は──


「おお。懐かしいなそれ。ヨッさんの手帳じゃないか」


 カキタが私たちの方へやってきて、ヨシハラが持っている手帳を見ながら言った。


「ヨッさん……?」


「ああ、その手帳の持ち主はそう呼ばれてたんだ。キャリアよりも現場にこだわり続けた、なんというか泥臭い男でなぁ……乱暴なところもあったが人情に厚い良い刑事だったよ。本当に、警察は惜しい男を亡くしたもんだ」


 カキタの目尻にほろりと涙が浮かぶ。この手帳を書き記した人物──〈ゾウの会〉を検挙した捜査官は、2030年の5月に脱獄したオウ・カイセイに殺害されてこの世を去っている。


 当時の捜査資料によると、オウは捜査官の住んでいた一軒家にて相手を刺した後、火を放って逃走。その後はレベル2のデータが途切れ途切れになっていて追跡ができず、結局8月20日に遺体となって発見された。


 手帳を何気なくパラパラとめくっていたヨシハラは、急に合点がいったように声をあげた。


「よく見たら一番後ろに名前が書かれていました。なるほど、中條義直だから『ヨッさん』なんですね」


「ナカジョウ・ヨシナオ……? って……まさか」


 ミツキと同じ苗字。


 ミツキも確か、父親が警察関係だと言っていたっけ。彼が親を亡くしたと言っていた時期も、ナカジョウ・ヨシナオが亡くなった時期と合致する。


 私はすぐにP-SIMデータベースにアクセスし、ナカジョウ・ヨシナオのレベル1情報を確認した。既婚者で子どもは一人。だがそれはミツキの名前ではない。妻との間の血の繋がった子だ。養子を取ったという記録はない。……ミツキの記録はどこにもない。


 私はふと、手帳の書き出しにあった一文を思い出した。


 ──あの子はいつかきっと、すべての記録を消してしまうだろうから──


 本当にそうなのだろうか。


 ならなぜミツキは未だに「ナカジョウ」の名前を名乗っている?


 私はP-SIMデータベースの接続先を変更し、ナカジョウ・ミツキのレベル1情報にアクセスした。




──────────


中條三葵(なかじょうみつき)

2015年7月21日生

父:不明

母:不明

養親:中條義直(なかじょうよしなお)


2025年 児童養護施設ひまわりの家 入所

2026年 (同上)         退所

2028年 私立宝星学園 入学

現在   私立宝星学園 高等部3年1組 所属


──────────




 彼のデータを見るのはこれが初めてではなかった。


 アイリのメモリーからミツキが父親と血が繋がっていないことが発覚して以降、直接本人に聞く機会がなくて、データから確認したのだ。


 そう、ここには確かに養父の存在が記録されていた。だが、ナカジョウ・ヨシナオの方にはミツキの名前がない。


 どういうことだろうか……。


「まるでユウくんのレベル1と同じような現象が起きているね」


「どういうことですか?」


「ほら、学校に入学手続きをするときに仮想P-SIMを少しいじったのを覚えているかい?」


「ああ、確か……」


 私がヒューマノイドだと学校側に知られないよう、仮想P-SIMに18歳の人間の少女であるという偽装のレベル1情報に書き換えたのだ。


 その時、私の仮想P-SIMには父親はフジサワ・ケンスケと記録されたが、ケンスケの方には影響がなく、娘はいないことになっていた。


 それと同じことがミツキのP-SIMでも起きているというのだ。


「そうだとしたら、まさかミツキは通常のP-SIMを持たず、仮想P-SIMを使っている……?」


 もしその仮説が正しいなら、あらゆる事象のつじつまが合ってしまう。


 望むと望まざるとに関わらず、私たちは真実のすぐ目の前まで近づいている。


「ヨシハラさん。もう一度その手帳をお借りしてもいいですか?」


 私はヨシハラからナカジョウ・ヨシナオの手帳を受け取ると、読み途中のページを開いた。びっしりと綴られた文字たちが、指先のスキャニングレーザーを通して私の中に入ってくる。


 彼はきっと、こうなることを恐れていた。


 だから手書きの手帳を、消されないデータを残すことを選んだのだ。


 これを読めば分かるはずだ。


 ミツキのP-SIMの謎……そして、『ナポレオン』が生み出された理由も。



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