3-3. フレンド
翌日、私はいつも通り宝星学園に登校していた。
そう、擬似人格が「不気味」と感じるほど、学校の様子は普段と何も変わらなかった。昨日パソコンルームで起きたことなど、何もなかったかのように。
逮捕された二人に関しては病欠扱いになっていて、ほとんどの生徒たちは彼らがどうしているのか知らないし、関心すらないようである。
唯一、モリシマだけが、
「
などとぼやいていたが、他の生徒には「またいつもの妄想が始まった」と言わんばかりにまともに相手にされていない。
そしてもう一つ、私に対しての接し方についても以前と変わった様子はなかった。
本当は今日、学校の退学手続きをするつもりで登校したのだ。ミノオを逮捕した今、これ以上宝星学園で潜入捜査を続ける理由はない。それに、ミツキに私がヒューマノイドであることがばれてしまった。騒ぎになる前にここから出て行こう、そう思っていたのに。
朝、ミツキが教室にやってきてすぐに私は彼を屋上に引っ張っていた。
「ちょっと待って藤沢さん、もう授業始まっちゃうよ」
そんなことはどうでもいい。私は彼に向き合い、問いただす。
「どういうこと?」
「え、なにが」
「とぼけないで」
私はミツキの目の前で左腕に巻いていた包帯を
「あなたは昨日、私の正体を知ったはずでしょ。なぜ周りの人たちに何も言っていないの? ヒューマノイドが学校に紛れ込んでいたのに」
するとミツキはしばらくきょとんとした表情を浮かべていたが、やがて腹を抱えて笑いだした。
「な、何?」
「あははは……やっぱり藤沢さんは面白いや」
「は……?」
面白い? 別にジョークを言ったつもりはさらさらないのだけど。
「じゃあさ、聞くけど、君にとっては僕がみんなに君のことを言いふらした方が良かった?」
「良くないよ。だからそうなっていた場合のことを想定して、私は今日退学の手続きをしにきたんだから」
私の言葉に、ミツキはにやりといたずらな笑みを浮かべた。
「なら僕の勝ちだ。君のシミュレーションの裏をかいた」
「あのね……これは勝ちとか負けとかそういう話じゃなくて……。あなたは私のことが怖くないの? 人間のふりをして学校に潜入していたヒューマノイドに対して、何も思わないの?」
「何も思わないわけじゃない。ラッキーだなって思ったんだ」
「え?」
想定外の答えに、私は拍子抜けしてしまった。
だが、ミツキの表情は、先ほどと打って変わって真面目だった。
「だって、こんな高性能なヒューマノイドと友だちになれたんだよ。それってすごいラッキーなことなんじゃないかって思ったんだ」
「友だち……」
たった三文字の言葉が、やけに私の中で強く響いた。サンプルファイルの主に対してではない、人間のふりをした私に対してでもない、ヒューマノイドのフジサワ・ユウに対して、ミツキは「友だち」と言ったのだ。擬似人格に湧き上がってくる、今まで経験したことのないような温かさ、そして安堵。
そっか。これが、「嬉しい」ってことなんだ。
「そりゃ、君が人間じゃないってことには驚いたけど、よくよく考えたら元からちょっと変なところがあったし」
「変なところ?」
「やけに体温が低いところとか、体型のわりに体重が重いところとか」
「……やっぱりあの倒れた日のことがまずかったのね。『学習』しておく」
「それ! その口癖も」
「……」
ミツキは周囲のことをよく見ているとは思っていたが、少し彼のことを
「ね、別に他の人に言いふらしたりしないからさ、これからも学校に来てよ。君といると僕も楽しいんだ」
そう言ってミツキはくしゃりと微笑んだ。
サンプルファイルの中で見たのと、同じ笑顔。
私はふと、彼に聞かなければいけないと思っていたことを思い出す。
「そういえば、ミツキはどうして昨日離れ校舎にいたの?」
私が駆けつけた時、パソコンルームはカーテンが閉まっていて、部活がやっているかどうかは分からない状態だったはずだ。それなのにミツキが近くにいた理由が分からなかった。
私はチャコに言われた通り、ミノオとパソコン部の誰かがあの部屋にいるということをミツキには一切伝えていない。
「もし手が空いてたら離れ校舎の戸締りを確認してきてくれないかって、遠藤先生に言われたんだ。そしたら急にすごい物音が聞こえてさ。誰もいないと思ってたからびっくりしたんだよ」
私はミツキに悟られないよう、彼の顔を表情認識にかけた。目を少し見開き、口をつぐんでいる。声のトーンにブレなし。嘘をついているようには見えない。それに、エンドウであればそういう依頼をミツキにしたとしても違和感はない、か。
「それより、藤沢さんこそどうしてあの場所にいたの?」
「チャコに教えてもらったの。ミノオ先生がパソコンルームにいるって」
「
ミツキの声がワントーン高くなる。「驚き」の感情。そして彼は屋上であるにも関わらず何かを警戒するように声を潜めて言った。
「……悪いことは言わないから、あんまり彼女のことを信頼しない方がいいよ」
「どうして?」
「小恋は虚言癖があるんだよ。中等部の頃はありもしない噂を流して他の子をいじめてたんだ。後ろ盾だった津山がいなくなってからは大人しくなったけどさ、中等部から知ってるやつはみんな小恋の言うことは信じないよ。君に教えた情報も、もしかしたら君を危険な目に遭わせるためのものだったかもしれないだろ」
「そう……なのかな」
ミツキの言うことが間違っているとは思わない。確かにサンプルファイルの中でのチャコは、誰かを貶めるのに手段を選ばなかった。サンプルファイルの主が感じていた「悔しさ」や「孤独」は、しっかりと私の擬似人格にも焼き付いている。
だが、私が現実の時間軸で触れたチャコからはそういう危険性を感じ取れないのもまた事実だ。初めて会った時こそ威圧的だったが、彼女のミノオに対する想い、そしてそこから来る言動に偽りがあるようには考えにくい。
「まぁまだこの学園に来てからそう時間が経ってないし、僕が言うことに実感もてないのもわかるよ。けど、一応何かある前にちゃんと『学習』しておいてくれる?」
ミツキが私に対して投げかけてくる心配そうな表情もまた、偽りのようには思えない。私は頷き、「わかった」とだけ返事をした。
授業が終わり、私は進路指導室を訪れていた。
六畳ほどの狭い室内にすでにいた人物は、ドアが開く音でぴくりと肩を震わせ振り返った。チャコだ。目の下には化粧では隠しきれないほどの隈ができている。
「なんだ、藤沢か……」
チャコはそう呟くと、再び進路指導室の机の上に顔を伏せた。ミノオが使っていた机だ。彼が残したわずかな余韻に浸るかのように、チャコはそこに顔をうずめてぼーっとしている。
きっと恨まれているだろう。私のせいでミノオは逮捕されることになった。彼女にとって二人目の大切な人を奪ったのだ。もしかしたら、カブラギのようにナイフで切りつけようとしてくるかもしれない。
それでも私は、『擬似人格プログラム』が生み出す感情の赴くままこの部屋に足を運んでいた。
ミツキに警告されたにも関わらず、私はチャコに会わなければと思ったのだ。
とりあえず、チャコが何か言い出すのを待ってみる。
10分経過。彼女は何も言わない。
15分経過。動きもしない。眠っているのだろうか。
彼女の顔を覗き込もうとしたら、チャコは急にがばっと顔を上げた。その顔は以前渋谷で話した時のような、照れ臭そうな桃色に染まっていた。
「ああじれったい! さっきから何なの! あんた、言いたいことがあるからあたしのとこに来たんじゃないの?」
「私? 私は別に」
チャコはぐしゃぐしゃと金髪をかきむしると、長いため息を吐いて言った。
「ああそう! ならあたしが先に言うよ!」
「うん、どうぞ」
私がそう言うと、彼女は立ち上がってつかつかとこちらへ近づいてきた。金属探知センサーは反応しない。ナイフは持っていないようだ。ならば素手で殴られるだろうか。少女の腕力であれば私のボディはびくともしない。むしろ殴る側がダメージを受けるだろう。それはあまり望ましくない。忠告しよう──そう思った時、チャコの頭がすっと下を向いた。
「箕面のこと、助けてくれてありがと!」
「え」
想定していなかった言葉に、私は何と返せばいいのか分からなくなってしまった。チャコがゆっくりと顔を上げる。彼女は私から目線をそらしつつ、ぼそりと言った。
「パソコン部のヤツから守ってくれたんでしょ。そのためにケガまでしたって」
チャコは私の左腕の包帯を見て苦々しげな表情を浮かべていた。
「こんなの大したことないよ。それより私は……その、謝りたくて。結局ミノオを警察に引き渡してしまったから。今はまだ裁判が始まってないけど、シミュレーションでは90%以上の確率で実刑判決。しばらくは釈放されないよ」
するとチャコは机の上に腰掛けて俯く。足をぷらぷらと揺らし、自分のつま先を見つめながら言った。
「良いんだ別に……。そりゃ寂しいよ。でも、生きてさえいればいつかまた会えるんだから。面会もちゃんと行くしね」
「……そっか」
生きてさえいればというのは、彼女の元恋人のこともふまえて言っているのだろうか。もう二度と会えなくなってしまった、ツヤマ・カンタのことを。
「藤沢」
「なに」
「気晴らしにさ、今度はあんたの話を聞かせてよ。あんたにとって……大切な人っている?」
大切な人。関連性の高いキーワードを探る。親子、兄弟、恋人、師弟、友人、同僚──あまりにたくさんのキーワードがヒットしたせいで、チャコの言う「大切な人」に該当するものが分からない。私は処理を一時中断した。
「定義が曖昧すぎて、正確に抽出できないよ」
するとチャコはプッと吹き出して笑った。
「あんたって時々わけわかんないとこあるよね。でも、それがかえって癖になりそう」
「そうなの?」
チャコは頷いて、にかっと歯を出して笑った。彼女が歯列矯正をしていることをこの時初めて知った。それくらい、彼女のまともな笑顔を見たことがなかったのだ。
「ねぇ藤沢……ううん、ユウ、あたしたち友だちにならない? あんたみたいな優等生って苦手だなと思ってたけど、あんたは良いやつだって思うんだ。あんたとなら、上手くやれそうな気がする」
「友だち……」
「何? 嫌なの?」
顔をしかめるチャコに、私は首を横に振った。
ミツキの時と同じで、嫌だと思うどころか、私は「嬉しい」と感じていた。
だけど同時に「罪悪感」もあった。
今日新しくできた二人の友だちに対して、サンプルファイルの主はどう思うのだろう。
そしてミツキとチャコ、私はどちらを信頼すればいいのだろう。
「選ばない」という選択肢があればいいのに──私の『擬似人格プログラム』には、そんな非合理的な考えが浮かんでいた。
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