3-4. 卒業アルバム
エンドウから職員室に呼び出されたのは、その翌日のことだった。
彼女は元〈隣人同盟ゾウの会〉信者である。〈バスティーユの象〉と何かしら関係があってもおかしくはない。私は警戒して彼女の席を訪れたが、当のエンドウは相変わらずのんびりとした調子で私に向かって手招きすると、デスクの上に置いてある分厚い冊子を見せてきた。
2030年、つまり3年前の中等部の卒業アルバムだ。
「ほら、この前、話の途中で辺見さんに連れていかれちゃったでしょ。だからもう一回ちゃんと話そうと思って」
「いいんですか? 先生、あまり話したくないような印象でしたが」
「あら、ばれちゃった? 正直に言うとね……3年前は色んなことがありすぎて、私はこの仕事やめようかって悩むこともあったの。でも、それでも明るく学校に来てくれる生徒たちに励まされて立ち直ることができた。だからもう大丈夫……私はもう、大丈夫だから」
エンドウはそう自分で言い聞かせるようにしながら、卒業アルバムを開いた。3年1組の生徒一覧のところでエンドウはページをめくる手を止めて、私に見せてきた。
30人の、個性豊かな生徒たち。
サンプルファイルの中で見たのとほとんどそのままな、今よりも少し幼い印象のあるミツキの顔がまず目に入った。
そして今とほとんど代わり映えしない、大人しげな生徒、ナルセ。彼女のすぐ近くには、今と違って髪を赤色に染めているチャコの写真も載っていた。
次に目を引いたのが、彼女と同じ色の髪をしていて、眉毛をほとんど剃っている少年──彼がツヤマ・カンタらしい。
そして彼女もいる。
茶色がかった柔らかい髪に、黒い真珠のような丸くぱっちりと開いた瞳。まじめで頭の良さそうな印象を受ける顔。……いや、そう思うのは私が彼女を知っているからかもしれない。
「3年前、ナルセの後にいじめのターゲットになったのは、彼女で合っていますか?」
私は彼女の顔写真を指しながらエンドウに尋ねた。
「ど、どうして藤沢さんがそれを知っているの……?」
エンドウはうろたえていたが、否定はしない。
「やっぱり、そうなんですね……」
私が指していたのは、イチノセ・アイリの写真。
今、憶測が確信に変わった。
私は卒業アルバムを受け取り、1枚ずつページをめくる。3年1組の最後のページは白黒基調で、アイリとカンタの写真が中央に貼られ、周囲に寄せ書きが書かれていた。寄せ書きは匿名のため、誰がどのメッセージを書いているのかは分からない。
「藤沢さんはもう知っているのかもしれないけど、この年の8月、私が受け持っていたクラスで2人も亡くなってしまったの。亡くなったのは、一ノ瀬さんと、津山くん。いじめられていた子と、いじめの元凶になっていた子がほとんど同じ時期に亡くなって、当時は大変な騒ぎになったわ……」
エンドウはその時のことを思い出そうとするかのように、職員室の外へと視線を向けた。そしてゆっくりと語り出す。
カンタとチャコのカップルは、3年前の宝星学園の中で最も問題視されていた。二人は一般家庭出身の生徒を中心に、次から次へといじめの標的にしていった。パソコン部のカブラギも、それが原因で一時期不登校になっていたことがあったらしい。
教師陣は、彼らの素行に対して見て見ぬふりしかできなかった。カンタとチャコの親から圧力をかけられていたのだ。余計なことをしたら学校を辞めさせる、他の学校の教壇にも立てなくしてやる、と。
3年前の春、アメリカ帰りのアイリが編入してきたことで、いじめのターゲットはナルセからアイリへ。だが彼女がなかなか屈しないので、カンタの関心は少しずつ別のものに変わっていったのだという。
「別のもの、っていうのは?」
「三葵くんよ」
「ミツキ……? 彼もいじめのターゲットになったってことですか?」
エンドウは首を横に振る。
「いいえ、むしろ逆ね。津山くんは、どうしても三葵くんをターゲットにすることができなかった。三葵くんに嫌がらせをしようとしても、周りの生徒たちが一斉に三葵くんの味方をするから上手くいかないの。普段はいじめに無関心な子たちまで、いつの間にか三葵くんの派閥に加わっていた。確か6月ごろだったかな、それくらいの時期には、津山くんと辺見さんはどんどん孤立していったの」
6月といえば、臨海学校のサンプルファイルと同じくらいの時期だ。あの時はまだチャコとカンタが幅を利かせていたようだが、そこから状況が変わったということだろうか。
「そして……8月の中旬くらいから津山くんは音信不通になったそうなの。家にも帰っていなくて、警察の捜索も行われたわ。だけど、彼のP-SIMが壊れていたらしく、彼の行方は分からなかった。そして一週間くらい経った8月20日、津山くんは脱獄中の〈ゾウの会〉の教祖・王海星が殺されたのと同じビルで、すでに亡くなった状態で発見された……」
エンドウは言葉を詰まらせる。
カンタが亡くなった時のことについては、すでに把握している。薬物の過剰摂取で自殺。当時の捜査資料によると、オウを殺した凶器とされるロープにカンタの皮膚片が付着しており、オウが亡くなった現場のすぐそばでカンタの遺体が見つかったことから、薬物で錯乱したカンタがオウを殺し、その後で自殺したのではないかと疑われていたのだという。
その直後、『ナポレオン』が自分でオウを殺したと宣言してからというもの、この事件は結局振り出しに戻ったままなのだが。
「アイリも同時期に同じような場所で亡くなっているんですよね」
彼女が亡くなった時の捜査資料もすでに確認済みではある。オウとカンタが亡くなった場所とは少し離れたビルから転落事故死。日付が同じで、場所も近いことからオウの事件と関連を疑われたが、それらしき情報が一切出てこなかったので別事件として扱われている。
「エンドウ先生。アイリは……本当に事故死だと思いますか?」
ケンスケは、アイリが誰かに追い詰められたのか、あるいは直接殺されたのではないかと疑っている。
私は初め、ケンスケはただ彼女の死を受け入れたくないだけなのではないかと思っていた。だが、こう何度も404プログラムを通じて彼女の記録を見せられていると、さすがに考えが変わってくる。彼女は何か言い残したことがあるのではないか……と。
「それは……事故死以外の原因があったかもしれないってこと?」
「はい。あくまで可能性の話ですが」
するとエンドウは腕を抱えて頭をひねった。
「うーん、そう思いたい気持ちもわかるけど……本当に突然だったのよ。自殺するほど追い詰められているようにも見えなかった。だって、あの子には三葵くんがいたから」
「ミツキとアイリはそんなに仲が良かったんですか?」
「ええ。嫉妬しちゃうくらい、ね。確かに三葵くんは誰に対しても優しいけど、私の目から見て、一ノ瀬さんは特別だったと思う。何でかっていうのは上手く言えないけど……とにかく、他の子に対する接し方と少し違った気がするの。三葵くんがあそこまで大事にする子は……きっと後にも先にも一ノ瀬さんだけだと思うわ」
エンドウと話した後、私は一人で渋谷に来ていた。
以前ミツキと服を買いに来た時に横を通った空き地の前で止まる。
空き地には相変わらず何もなかった。道行く人々の中には、あまりの何もなさに空き地に対して視線を向ける人もいたが、多くの人々はここに何もないことに慣れてしまっているのか、見向きもせずに通り過ぎていく。
ここが、オウ・カイセイとツヤマ・カンタの亡くなった場所。
そして、私の中でサンプルファイルが甦ろうとした場所。
あの時私は現実とサンプルファイルを混同しかけて、それ以上サンプルファイルを再生する気になれなかった。だけど、今は違う。私は彼女の見たものを、彼女の聞いたものを、そして彼女の想いを知りたい。
視界カメラをオフにして、聴覚マイクを切る。
すると私の『擬似人格プログラム』には以前ここで体験した感覚が現れ始めていた。炎に包まれるような熱さ、焦げた臭い、人々のざわめき、そして私を支配していく「恐怖」。
すでに警告はした。
これ以上、404プログラムを稼働させるのは危険だと。
やっぱりやめておくべきだったかもしれない。
だけど、一度知ってしまったことを、なかったことにすることは難しい。
知ってしまったら……もう、前に進むしかない。
ねぇ、そうでしょう? アイリ──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます