2-8. ギーク・トーク



 翌日の放課後、私はミツキに案内されて中等部と高等部で共有の離れ校舎に向かっていた。ここには調理室や音楽室など技能系の授業で使われる教室が入っている。四階はパソコンルームだ。IT企業社員ですら羨むハイスペックなPCが100台以上設置されているが、授業数が少ないので滅多に使われることがなく、生徒たちに「授業料の無駄使い」と言われている一室でもある。


「でもほら、今はカーテンが開いてるでしょ? あの部活、最近久しぶりに活動再開したみたいなんだ」


「久しぶりにってことは、定期的な活動はないの?」


「うん。彼らは半分帰宅部みたいなものでね。たまにインターネット上で彼らの関心を引くイベントがあったりすると、なるべく回線の速い環境で情報を追うためにパソコンルームに入り浸るらしい」


「関心を引くイベント……ね」


 その内容次第では、私の潜入捜査任務は一歩進展する。一向に手がかりがない状態がしばらく続いたが、やはりミツキに相談してみてよかった。


「でも本当にいいの? 初めての部活見学がパソコン部で」


 これから対面する手がかりを前に「興奮」の感情を覚える私とは対照的に、どこか納得いかないような表情を浮かべるミツキ。


 まぁ確かに、少し強引な相談ではあった。


 昨日エンドウの車の中で、私はミツキに学園の中でPCやワイズウォッチ、あるいはウェブに詳しい人物を紹介してもらえないか話してみたのだ。


 急になんでそんなことを聞くのか尋ねられ、私はとっさに課外活動でやりたいテーマがあって協力してくれそうな人を探しているとごまかした。あながち嘘ではない。そういうわけで、ミツキはパソコン部の知り合いを紹介してくれることになったのだ。


「なんか意外だな。運動部のレギュラーになれるオファーまで蹴ってたから、てっきり部活には興味がないのかと思っていたんだけどね」


「そういうミツキも、部活動には参加していないでしょう?」


「まぁね。中等部の途中くらいまでは空手の道場に通ってたんだけど、それもやめちゃったしなぁ」


 おかげで鈍りっぱなし、とミツキは笑って言ったが、春の陽気に袖をまくった腕は、サンプルファイルの中のミツキに比べて筋肉が落ちているようには見えなかった。






「三葵! 久しぶりじゃないか、ここに顔出すなんて」


 私たちがパソコンルームの扉をノックすると、中にいた男子生徒が脂肪を蓄えた身体を弾ませながらにこやかな表情で駆け寄ってきた。室内にはもう一人、彼とは対照的に無表情で骨ばった体格の男子生徒がいて、パソコンの前から離れないまま私たちに向かって軽く会釈してきた。


 以前閲覧した生徒情報と照合すると、太っている方が3年2組のモリシマ、痩せている方が2年生のカブラギ。二人ともパソコン部に所属している。他の部員はほとんど幽霊部員で、たまにしかない活動にすら顔を出さないのだという。


 モリシマは古い友人に再会でもしたかのような勢いでミツキの肩をばんばんと叩いた後、ようやく私の方に気づいて、あからさまに顔をしかめた。


「この子……お前の彼女だっけ? なんだ、自慢しにきたのか?」


 訝しむモリシマに、ミツキは笑って首を横に振った。


「そんなことするためにわざわざ来たりしないって。彼女は藤沢さん。今月頭にうちのクラスに編入してきたばっかりだよ」


 だがモリシマの方はすっかり私たちの関係を誤解してしまったらしい。やれやれと肩をすくめてため息を吐く。


「はいはい、どうせ時間の問題なんだろ。イケメンは引く手あまたでいいですねぇ。で、二人して俺たちに何か用でも? 悪いけど俺たちは今『お祭り』真っ最中であまり手が離せないんだ。ノロケ話ならまた今度にしてくれよ」


 モリシマの言葉を強調するかのように、カブラギがカタカタとわざとらしくキーボードの音を立て始めた。


 ミツキがここに来た目的を説明しようとしたが、それを阻んだ。私から説明した方が上手くいく。彼らのパーソナリティを分析してシミュレートすれば明らかだ。


「じゃあ、端的に聞くね。あなたたちの目から見て、〈バスティーユの象〉はどうやってP-SIMレベル2を偽装していると思う?」


 するとカブラギがキーボードを叩く音がぴたりと止まり、PCの位置に戻ろうとしていたモリシマも歩みを止めた。


 隣に立っているミツキは目を丸くしていた。


「藤沢さん、まさか課外活動でやりたいテーマって……」


「ええ。私は〈バスティーユの象〉の技術力に興味があるの。誰にも成し得なかったレベル2の偽装、その謎が解ければP-SIMの脆弱性の改善につながるでしょ。私はそういう研究がしてみたいの」


 するとモリシマはにやりと口角を吊り上げて言った。


「ハッキングの可能性は?」


「検証済み。そもそもP-SIMレベル2には編集のための入り口が設けられていない。侵入は不可能ね」


「ウイルス感染によるP-SIMの記録エラーの可能性は?」


「検証済み。これも同様で、端末感染でレベル2データにアクセスしようと思っても入り口は存在しない。P-SIMサーバー全体を感染させられれば別だけど、そうなると特定端末だけデータを偽装するのは不可能で、国民全員のデータに異常が出ることになる。もちろん、そうならないようにセキュリティは万全」


「なら、P-SIMに内在するバグを利用した可能性は? P-SIMにはバグがないわけじゃない。仮想P-SIMの初期化キーを実行すると、アカウントブランクが発生して関連端末の記録が不自然に消える現象が発生する。このバグはギークの間では既知の事実だ」


「それが一番実現性があるけれど……人間が意図的に引き起こすのは不可能ね。仮想P-SIMを含め、2つ以上のP-SIMを扱うことは禁じられている。仮想P-SIMを操作しようとしても、自分のP-SIM側に行動が記録されて警視庁にアラートが飛ぶから特定されてしまう。できるとしたら、初期化キーを知ったロボットか、あるいは」


 サンプルファイルの主のように、一時的に仮想P-SIMを所持することを許可された人間か。


 だけどその場合、役所側に誓約書が残っているので簡単に足がつく。


 一瞬の沈黙の後、モリシマはひゅうと口笛を吹いた。


「おっどろいた……同世代の女子とこんな話ができる日が来るなんて正直思ってもみなかったんだ。なぁ、鏑木?」


 モリシマの言葉に、カブラギは無表情のまま首ふり人形のように高速で頷きを繰り返す。


「僕は全く話についていけなかったよ……」


 苦笑いを浮かべるミツキに、モリシマは得意げに胸を反らす。


「そりゃそうだ。藤沢さん、かなり詳しい方だと思うぜ。残念だったなぁ、三葵」


「な、何が残念なんだよ」


 モリシマから馬鹿にされたような目で見られ、ミツキは拗ねたようにむすっと頬を膨らませた。


「……で、藤沢さんが〈バスティーユの象〉に注目する理由はそれだけですか?」


 ようやく席から離れたカブラギが、先ほどの無表情とはうってかわって瞳を輝かせながら尋ねてきた。


「それだけって……どういうこと?」


「フフッ、知らないんだ……あなたもまだまだですね」


 そう言って彼は近くにあったモニタに電源を入れ、とあるサイトを映し出した。それは〈バスティーユの象〉の構成員たちが使っているという会員制サイトだった。


「まさかあなた構成員じゃ……!」


 だが、よく見ると〈バスティーユの象〉の紋章の上部に赤文字で「許可されていない端末からのアクセスです。ログインできません」と注意書きが表示されている。


、これ以上はナポレオンに許可いただかないと入れません。ただ、この入り口のページのソースコードは誰でも見ることができます」


 カブラギの言葉の端々に現れる〈バスティーユの象〉に対する「敬意」。私が不審に思っているのに気付いたのか、モリシマが「ごめんごめん、こいつナポレオンの熱狂的な信者みたいなものでさ」と小声で補足した。


「それで、ソースコードに何かあるの?」


 するとカブラギはディベロッパーツールでサイトのソースコードを表示し、拡大して見せた。一つ一つのタグを見てみたが、特に変わった様子はない。何の変哲もないWebサイトと同じだ。私がそれを伝えると、カブラギは満足げにうなずいた。


「そう、綺麗すぎるんです! サイトデザインを見てみてください……正直言って、初心者のパワーポイントみたいな野暮ったいデザインでしょう? だけどコーディングは完璧だ。僕たち外部の人間でもサイト構造がよく分かるシンプルな記述で、余計なものは極力削ぎ落とされています。スペースの空け方やコメントアウトの記述までしっかり規則的に統一されている……まるで教科書のような美しいソースコードです」


 カブラギは、それまで黙っていたのが嘘かのようにペラペラと語りだして止まらなかった。


「これだけルールが統一されて綺麗なソースコードを維持できているにも関わらず、サイトデザインはお粗末……僕の推測では、バスティーユの象のサイト管理人はたった一人でやっているんだと思います。そう思う理由がもう一つあって──」


 そう言ってカブラギは、今度は彼のPCに保存されているHTMLファイルを呼び出した。ブラウザ上にその中身が表示される。それは今はもう封鎖されてしまった、〈隣人同盟ゾウの会〉の公式サイトだった。


「サイト構成は全然違いますが、これもソースが綺麗だと思ってローカルに保存しておいたんです。ほら……見てください」


 カブラギは二つのサイトのソースコードを横並びにして見せた。ローディング順を意識して律儀に並べられたタグ、無駄のない構成、そして更新性を考慮された丁寧なコメントアウト。


「コーディングの癖が同じ……!」


「そうなんです。当時週刊誌とかでいろいろ調べて知ったんですが、〈ゾウの会〉の方は信者のうちの一人が教祖に命じられて作ったサイトのようですね。僕は〈ゾウの会〉のサイトを作った人と、〈バスティーユの象〉のサイトを作った人は同じなんじゃないかと考えています」


 これが本当なら、サイト制作者の方から構成員の手がかりを得られるかもしれない。私は他の三人に気づかれないよう、ヨシハラやケンスケに情報をメッセンジャーで送る。


「ところで藤沢さん、〈バスティーユの象〉に興味があるなら、この間の犯行予告はもう見たかい?」


「ええ、警視総監に謝罪会見を要求するものでしょう?」


 私がそう言うと、モリシマとカブラギは顔を合わせて急に笑い出した。


「な、何?」


「あんたもマニアなら分かるだろ? あの犯行予告のセンスの無さが」


「……どういうこと?」


 すると今度はモリシマがPCを操作し、〈バスティーユの象〉の信奉者たちが集まる裏掲示板のスレッドを画面に映し出した。スレッドには直近の犯行予告に対してのコメントが溢れかえっている。


『こりゃ無いわ』


『バスティーユの象も落ちたな』


『はいはい模倣犯乙。さっさと警察に逮捕されちゃってくださーい』


 隣で一緒に画面を覗いていたミツキが「荒れてるなぁ」と苦笑いする。


 その中でも長文のコメントの内容を見てみると、今まで〈バスティーユの象〉は警察を直接標的にすることはなかったと指摘している。確かに、過去の犯行予告の内容と照らし合わせてみても、警察をターゲットにしているものはない。


「信者たちでさえこうだ。きっとナポレオンは大層ご立腹だろうなぁ」


 モリシマは薄ら笑いを浮かべながら言った。まるでこの状況を楽しんでいるようだ。類似する感情を『デコイ作戦』の時に検知している。彼はあくまで傍観者で、娯楽として〈バスティーユの象〉の考察をして楽しんでいるだけなのだ。そこに当事者意識はない。こういう人間が構成員である可能性は低いだろう。


「この犯行予告はナポレオンの意思ではないの?」


「そんなの当たり前ですよ」


 即答したのはモリシマではなくカブラギの方だった。


「ナポレオン様は警察を相手にするようなことはしません。あの方の思想の敵は、あくまで弱者から搾り取ろうとする奴らだけ。自分の都合でテロを起こしたり、謝罪を強要するようなお方じゃないです。たとえ自分が警察に捕まる寸前だったとしても、少しでも多くの革命を成し遂げることを優先させるでしょう。だからこれはおそらく、ナポレオン様の意思とは関係なく、組織の誰かが勝手に出した犯行予告なんです」


 カブラギの話には憶測も混ざっているが、確かに一理ある。今回の犯行予告にはどこか「違和感」があるのだ。


 今まで〈バスティーユの象〉が行ってきたテロ行為は全て、特定の誰かのためではなく、社会的に意義があるかを重視しているようだった。先日の地下鉄駅爆破未遂事件も、過剰労働に対するメッセージであって、個人的な怨恨によるものではない。


「ちなみに……二人はナポレオンの正体について何か知っていることはある?」


 試しに尋ねてみると、モリシマは肩をすくめた。


「そればっかりは謎だね。確からしい情報が一切ないんだ。噂では年端のいかない子どもだって説とか、そもそもこの世に実体として存在しないAIだって説もあるくらいだ。でも、だからこそロマンがあってさ」


 モリシマがそう言うと、カブラギも大きく頷いた。


「誰がナポレオン様なのかだなんて、推測する方が無粋ですよ。一時期はうちの学校の生徒が疑われていましたが、がナポレオン様だなんて残念な結果にならなくて、心底良かったと思います」


「おい、鏑木。お前さぁ、さすがに言い方に気をつけろよ」


 モリシマが顔をしかめてたしなめたが、カブラギは少しも悪びれる様子がなかった。


「別にいいでしょ。だってあいつ、みんなに疎まれてたんですから。僕は良かったと思いますよ」


 カブラギに言葉には「恨み」の感情が強く込められている。


「あいつって……?」


 モリシマとミツキが顔を見合わせる。まるでどちらが説明するか、譲り合っているかのようだった。やがてモリシマの押しに負けたミツキが、声を潜めて言った。


津山環多つやまかんた。元々は僕のクラスメートで、その……学校一の不良だった」


 ツヤマ・カンタ?


 知らない。私の中の人物認証データではその名前はヒットしない。


「彼は今どうしているの?」


「亡くなったよ」


「え……」


「3年前の渋谷の事件で〈ゾウの会〉の教祖を殺した容疑者になっていたんだけど、事件の直後に自殺したみたいなんだ。違法薬物の過剰摂取だって話だよ」


 今、一つのピースがつながった。


 3年前、〈ゾウの会〉の教祖であるオウ・カイセイを殺害した人物がいた。


 だが、その人物が自殺したことで警察の捜査は一度途絶えた。


 それが、宝星学園の生徒の一人、ツヤマ・カンタ。


 だが、彼が亡くなった後に匿名掲示板に「王は私が殺した」と名乗る人物が現れ、〈バスティーユの象〉が結成された。


 そして私は今、〈バスティーユの象〉の構成員の手がかりを探りにここに潜入している。


 宝星学園と、この一連の事件……さすがに偶然とは思えない。何か関連があるのだろうか。


「……そう言えば、藤沢さんはもう箕面先生からウイルス対策ソフトをもらったかい?」


 神妙な空気から脱したかったのか、モリシマが話題を変えた。


「いいえ、まだだけど……」


 するとモリシマは安堵したような表情を浮かべた。


「そうかそうか、なら良かった! 今日はなかなか楽しい話ができた礼に、一ついいことを教えておくよ」


 そう言ってモリシマはカブラギとアイコンタクトを取る。カブラギは私の方に近づいてきて、ワイズウォッチの投影式ディスプレイを展開すると、インストールされているアプリケーション一覧のうちの一つを見せてきた。


「箕面先生は僕らパソコン部の顧問でもあって、生徒たちにお手製のウイルス対策ソフトを無料配布してるんです。でも僕らが密かにこのソフトを調べてみたところ、どうも一つ余計な動作をするプログラムが組まれているみたいなんですよね……詳細は調べきれませんでしたが、どうせ入れるなら市販のちゃんとしたやつを入れた方がいいですよ」



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