2-9. ミノオ・タスク



 パソコン部のモリシマやカブラギと話して分かったことが二つある。


 一つ目は、〈隣人同盟ゾウの会〉公式サイトと〈バスティーユの象〉会員制サイトの制作者が同一人物である可能性について。


 ヨシハラは私からこの報告内容を聞いてすぐに、〈隣人同盟ゾウの会〉に所属していた元信者たちのP-SIMレベル1、つまり履歴書データをリストアップしてくれていた。その中からWebサイト制作スキルを持った人物に絞ると、宝星学園内のとある人物がヒットしたのだ。


 そして二つ目。それは学園内で生徒に無料配布されているウイルス対策ソフトについて。


 カブラギが言う「余計な動作をするプログラム」が頭に引っかかって、私はミツキのワイズウォッチの中に入っていたウイルス対策ソフトを調べさせてもらった。


 確かにカブラギが言うことは本当だった。ソフトの中にはウイルスを検出するプログラムの他に、特定条件下で動くプログラムが密かに仕組まれていたのだ。特定条件下というのは、「違法データアップロードサイトにファイルをアップロードしようとする時に警告が表示される」というもので、これを無視してアップロードしようとすると、使用者が気づかないうちにファイルの拡張子を勝手に変更してしまう。


 勝手に拡張子を変えられたファイルは、表面上は何も変わっていないように見える。だがその実態は──ブラウザ上でそのファイルを開いたユーザーの端末に忍び込むウイルスだったのだ。


 そしてこの二つの事実につながる人物が、ミノオ・タスク。


 進路指導部の教諭であり、社会科の授業を担当、名目上はパソコン部の顧問である。現在38歳、妻とは10年前に離婚しており現在独身。ちょうど離婚の時期と前後して、東京五輪後の不況で勤めていた大手のシステム系の会社が倒産し、大学在学時に取得していた教員免許を生かして宝星学園の教師として転職。その頃に〈ゾウの会〉の信者となったという記録があるが、教団の中では特に目立った活動はなく、〈ゾウの会〉解体後に警察からマークされるようなことはなかった。


 だが、今は違う。


 パソコン部から話を聞いた翌日、私は彼の動向を追っていた。〈バスティーユの象〉のサイト制作者であり、警視庁サーバーに攻撃を仕掛けるためのウイルスをばらまいていた容疑者として。


 あとは彼がテロ組織の構成員だという確証を得られればいい。


 日中はそれがなかなか難しかった。学校の中でのミノオは影の薄い教員だ。いつもアースカラーのよれたスーツを着ており、白髪混じりの頭は斜め下に俯いて猫背で歩く。怪しい行動は一つも見られない。


 ちなみに、他の生徒たちにも彼について聞き込みをしてみたが、それらしい情報はゼロ。ミノオに対して苦手意識を持っている生徒が多く、彼について詳しく知るものがほとんどいないのだ。その原因は彼の進路指導のやり方。彼と面談すると、きまって希望している進学先よりもレベルの高い学校を勧められ、拒否しようとすると「若者のくせに挑戦心が足りない」などと言われてしまうらしい。学校側から考えてみれば、少しでも多くの進学実績を残したいという気持ちも理にはかなっているのだが。


 結局校内で手がかりを得られなかった私は、放課後も彼の動向を探ってみることにした。


 早速、校門からミノオが学校を出るのを確認。追跡を開始する。電車通勤の彼は学校を出るとまっすぐ駅へと向かった。電車に乗って三軒茶屋駅から渋谷駅へ。彼の家は埼玉方面だ。そのまま乗り換えて帰宅するのかと思いきや、彼は改札方向を目指す。私は渋谷の人混みの中で見失わないよう注意しながら、彼に続いて改札を出た。


 ミノオの足取りには迷いがなかった。渋谷にはよく来るんだろうか。私はなるべく彼の後ろ姿に視点を集中させた。そうすることで周囲の余計な情報まで取り込む必要はなくなる。この先は何が起きるかわからない分、バッテリーの無駄な消費は抑えておかなければいけない。


 駅前のファッションビルの左手を通り、道玄坂を登っていく。やがて人々の流れとは外れ、寂れた通りの中に入っていった。


 こんな場所に何の用だろうか。


 そんなことを考えていたら、急にミノオが立ち止まった。私は慌てて近くにある電柱の陰に身を隠す。ほとんど廃ビルかと見間違えるような、年季の入った雑居ビルを見上げている。地図情報と照らし合わせると、そこには個人名義で借りられた小さな事務所が数個入っているだけで、何かの店があったりするわけではない。


 ミノオはしばらくそこから動かなかった。彼が静止してからの時間を計測して……5分が経つ頃だった。雑居ビルから30代くらいの背の高い金髪の男が出てきた。ミノオはそれまでワイズウォッチを操作して時間をやり過ごしていたが、彼が雑居ビルの階段を降りてきたタイミングでふと目線を上げる。しかしビルを出てきた男に何か話しかけるわけではなかった。金髪の男の方はミノオには気づいておらず、そのまま駅の方へと歩いていく。


 それからまた5分くらい経った頃だろうか。今度は中肉中背の強面の男がビルの中に入っていった。ミノオはまたも男の方をちらりと見ただけで、すぐに自分のワイズウォッチの投影式ディスプレイに視線を戻した。


 一体何をやっているのだろう。もう少し認識能力のレベルを上げて彼の様子を観察しよう──そう思った時、背後に生体反応を検知した。私に向かって近づいてくる。


「……あんたこんなところで何やってるの?」


 怪訝な表情で声をかけてきたのは金髪の女子生徒・チャコであった。


「えっと……いいバイトないかなと思って探してて」


「馬鹿じゃない? この辺にまともなバイト先なんてあるわけないでしょ」


 チャコはそう言って、近くにある「無料案内所」とネオンで彩られた立て看板を指差した。露出の多い水着を着た女性の写真が掲載されている。


「……確かにそうだね。道間違えたのかも」


 ごまかそうとしたが逆効果だったようだ。チャコはますます眉間にしわを寄せ、マスカラをたっぷり塗ったまつげの奥から私を見上げてくる。


 だが、ミノオを追跡しているなど、本当のことを言えるわけがないし。


 そう思ってちらりとミノオの方に視線を戻すと、そこにはもう誰もいなかった。しまった。チャコの声で気づかれたのかもしれない。


「箕面なら坂の向こうの円山町の方に行ったけど」


 チャコのじとっとした視線を感じて振り返る。彼女の表情には「呆れ」が明確に浮かんでいた。


「藤沢……あんたストーカーだったの?」


「いや、違う、そういうわけじゃなくて」


 実際は的を射ている。私がどう返そうか言葉を選んでいる隙に、チャコはずいと迫ってきた。臭気センサーが反応する。またあの強い匂いの香水だ。


「三葵くん親衛隊の一人なのかと思ってたけど……本命はあんなオジサン先生だったってわけ?」


「それはないよ」


 今度はプログラムで処理するまでもなく即答できる質問だった。このまま話をそらして私がミノオを追っていたことは忘れてもらおう──そう思っていたら、チャコは急に糸が切れたように前屈みになって深いため息を吐いた。


 そして、小さな声でぼそりと何やらつぶやき、すぐにはっとしたように口を覆った。


 だが、ミノオ追跡用に音声認識感度を上げていた私は、雑踏の中でもその言葉を聞き逃すことはなかった。


 二人の間に、一瞬の沈黙が訪れる。


「……ねぇ、今『よかった』って言った?」


 私がそう言うと、チャコはびくりと肩を震わせて顔を上げた。その顔は普段より赤く、瞳が少しだけうるんでいる。


「うわ……まじかよ……こんな……最悪なんだけど……」


 彼女は慌てて顔を両手で隠したが、その指の隙間から「羞恥」を表す赤がありありと見える。


 なるほど。


「別に恥ずかしがる必要ないじゃない。同じ空間で長く一緒にいたらそういう感情が育っても何も不思議ではないでしょう? 試しにインターネットで事例をさらってみたけど、教師と生徒が恋愛関係に至るケースなんていくつでもヒットするし、それに彼は独身で、生殖活動もまだまだ可能な年齢だから──」


「うわあああああああバカ! こんなところで変なこと言うな! ちょっと来い!」


 8組の彼女に「バカ」と言われるとは。解せない。


 だがチャコは私に反論の隙を与えない。華奢な見た目に反して強い力で私の腕を取ると、無理やり通りの外に引っ張っていった。



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