2-10. McJK




「みんなは箕面のこと嫌ってるけど……あたしにとっては恩人なんだよ」


 チャコに無理やり連れられて、私たちは近くのファーストフード店に入っていた。


 こういう店は初めてだ。外の雑踏よりは人が少ないから飛び交う情報量も少ないだろうとたかを括っていたが、実際は逆だった。ここはたくさんの情報で溢れている。


 過剰に訓練された店員の接客の声、入ったばかりでオペレーションにうまく乗れないアルバイトへ向けられる「不快」の視線、調理を担当するロボットたちの奏でる機械音、やけにハイテンポな店内のBGMと子どもたちのゲーム端末の音が不協和音となって混じり合い、周囲の目をはばからず自らの性事情について語る女子学生、慌てて食事をとるがゆえに咀嚼音を響かせる中年の男……ああ。


「あんた大丈夫? なんか気分悪そうだけど」


 私はなんとか自動処理を制御して、チャコの声だけが聞こえるように音声認識レベルをチューニングする。


「……もう大丈夫。今、他の情報をシャットアウトしたから」


「シャットアウト?」


「なんでもない、こっちの話。で、ミノオ先生が恩人ってどういうことなの?」


 するとチャコは自分で話を始めたくせに急に黙りこくってしまった。顔は再び赤らんで、私と目を合わせまいと下を向く。


 彼女に関する噂や最初に会った時の印象からすれば、まさかこんな表情を見られるなんて想定していなかったから、私もどう声をかければ彼女が話を続けてくれるのかわからなくて困惑した。


 だが、私は彼女とミノオの関係についてちゃんと確かめておかなければいけない。ようやくミノオのことを詳しく知っていそうな人物にたどり着いたのだ。もしかしたら決定的な証拠を掴むことができるかもしれない。


 チャコは自分を落ち着けるかのようにゆっくりと息を吐くと、頬杖をついて店の外の景色を眺めた。その視線の先にあるのは、さっきまで私たちがいた通り。


「……3年前、あたしの彼氏──環多が突然いなくなっちゃって」


 その固有名詞は、すでに私の人物認証データベースの中に登録されている。


「カンタって、自殺したっていうツヤマ・カンタのこと?」


 私がそう言うとチャコの眉間に皺が寄った。


「それ、誰から聞いたの?」


「ミツキから」


 するとチャコは深いため息を吐き、低い声で言った。


「環多は……環多は、自殺なんてするようなやつじゃない。誰かに殺されたんだ。そうに決まってる」


 その言葉はどこかで聞き覚えがあった。


 そうだ、ケンスケの言葉だ。


 大切な人を失った時、人は皆口を揃えて同じことを言うものなのだろうか。


 ミツキにツヤマ・カンタの話を聞いてから、私は警視庁のデータベースで当時の捜査資料を確認している。ツヤマの死因は中毒死。渋谷の雑居ビルの一室で死亡しており、近くに彼の指紋のついた注射器が発見された。注射器の中に残っていた薬物が、彼の体内からも検出されたことから、オーバードーズによる自殺と判断された。


 チャコが自殺じゃないと言い張るのは、おそらく恋人の死を受け入れられない感情によるものだろう。事実じゃない、願望。もしかしたらミノオに関する発言も事実だと鵜呑みにせず、後からちゃんと真偽を確かめた方がいいかもしれない。私はそんなことを考えながら、適当に彼女に話を合わせてみることにした。


「どうして殺されたと思うの?」


「環多はあたしに黙ってどこかに行っちゃうようなやつじゃないんだ。メッセンジャーで連絡すれば5分以内には返信をくれたし、電話すればたとえケンカの最中だって取ってくれる。そういうやつだった。なのに、3年前の夏に突然連絡が途絶えたの。どれだけメッセージを送っても、電話をしても、一向に返事はかえってこなかった」


 チャコは奥歯を噛み締めるような苦い表情を浮かべて続ける。


「きっかけはあいつだった。あいつの弱みを握ってやろうって二人で話してて、それで環多があいつの何かを掴んだみたいなことを言ってて、それで、それで……」


 あいつに近づきすぎた人間は──チャコに初めて会った時に言われた言葉がよぎる。


「あいつって、もしかして」


 私の言葉の途中で、チャコはガンとテーブルを叩く。


「そう、あんたたちが大好きな中條三葵だよ!」


 周囲の客が何事かとこちらを振り向くが、チャコは気にせずに声を大にして言う。


「環多はあいつに近づきすぎた……だから消されたんだよ! あいつがやったんだ、あいつが環多を殺したんだ! そしていつか、あたしのことも……」


 チャコの身体がわなわなと震えだす。店内は人が多くて暑いくらいであったが、彼女の唇は青ざめていき、がちがちと歯を鳴らす。それほど彼女にとってミツキは恐ろしい存在なのだろうか。


 彼女の席の方に回り背中をさすってやるが、内心どこまで真に受ければいいのか判断が難しくて私は少し混乱していた。少なくとも、今把握している情報だけではミツキがツヤマ・カンタの死に関係していると証明できるものは何もない。だが、被害妄想だとしても、それだけでここまで怯えられるものなのだろうか。


 いずれにせよこの状態ではまともな会話は不可能だ。一旦話を逸らした方がいいかもしれない。


「それで、どうしてミノオ先生が恩人になったの?」


 ミノオの名前は彼女にとっては精神安定剤のようなものらしい。小刻みに上下していた肩がだんだんと落ち着きを取り戻し、顔も元の血色を取り戻していく。


 私が席に戻ると、チャコは再びぽつりぽつりとと話をし始めた。


「環多がいなくなって……心配してたのはあたしだけだった。環多の親も、先生たちも、他のクラスメートもみんな環多がいなくなってせいせいしてるって感じで……たくさんの人たちの中で、あたしは一人ぼっちになった気がした。つらかったんだ。自分の中に空いた穴を埋めるものがほしかった。でもタバコとか酒じゃ乾くばっかだった。全然満たされないんだ。まっずいものを口に入れた後に必ず思い出すのは、環多が抱きしめてくれた時のあったかさばかりだった。気づいたらあたしは……似たものを求めて、夜のあの通りを歩いてた」


 私は黙ってチャコの話を聞く。彼女が私を見かけて声をかけてきた理由が不可解だったが、もしかしたらその時の自分と重ねて見ていたのかもしれない。


「そしたら箕面に見つかって、あたしを止めてくれたんだ。こんなところに来ちゃいけない、自分を大事にしろ、って。それまで全然話したこともなかった先生にだよ? あんたに何が分かる! って思わず叫んじゃったよね。けど、箕面は言ったんだ。理不尽なことに対する怒りを抑えきれないところが僕と君はそっくりだ、って。意味わかんないよね。今でもイマイチしっくりこないんだけどさ……とにかく嬉しかったんだ。自分が一人じゃないって分かったような気がして」


 チャコの頬がほんのりと桃色に照る。こうして見ていると、彼女は普通の女子学生だった。普段のとげとげしい外見や態度さえなければ、他の生徒たちから慕われてもおかしくないだろうに。


 チャコはすっと顔を上げた。憑き物が落ちたのかすっきりとした表情になっている。彼女は私と目を合わせると、明瞭な声で言った。


「ねぇ。あんたさ、箕面を追っかけて……あの人に何をするつもりなの?」


 一瞬、私の中でのあらゆるプログラムの処理が停止する。てっきりそのことは彼女の頭から離れたものだと思っていた。しかしごまかせる雰囲気ではない。彼女は真剣な眼差しで私をじっと見据えている。


 ならば、応えなければと思った。


 彼女のことは未だにどこまで信用していいものか分からないけれど、ここで彼女を騙すようなことを言うのは私の『擬似人格プログラム』が疼く。そんな気がしたから。


「ミノオ先生は……犯罪に手を染めている可能性がある」


 混乱させてしまうかと思ったが、チャコの表情は崩れなかった。まっすぐ向けられた視線がまるで針のように突き刺さってくる感じがした。


「だから私は彼について調べてる。もし本当に犯罪者なら、あなたがどんなに彼のことを好きだとしても、私は警察にその事実を伝えなければいけない。それが私の使命なの」


 チャコは、私がなぜそうしなければいけないのか詳しいことは聞こうとしなかった。


 ただ黙って、飾られたまつげを一瞬伏せると、ゆっくりと縦に頷いた。


「いいよ。好きなだけ調べなよ。箕面があたしを止めてくれたみたいに、あたしも箕面には自分を大事にしてほしいから。ただ、あたしはあんたにもう一度忠告する」


 チャコはすっと立ち上がり、私の耳元に顔を寄せる。最初は臭気センサーが過剰に反応した香水の匂いも、慣れてきたのか『擬似人格プログラム』にアラートが上がってくることはない。


 チャコは声を掠れさせながら、しかし強く意志のこもった音で私の耳元に囁く。




「……中條三葵を信じるな」




──────────


 実行中のプログラムを強制終了


 最優先プログラムの実行モードに移行開始


 プログラムコード:404ヨンマルヨン


 File date 2030/06/03

 Now Loading......


──────────


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