2-7. エンドウ・ヨシカ



「ミツキ!?」


 あらゆるプログラムが再起動する最中、私はまず彼の名前を呼んでしまった。


 私はあなたのことを知っている。


 いや……


 今のは私の中に眠る消えたはずのサンプルファイル、そして404プログラムによる自動再生。サンプルファイルの日付は2030年4月1日。つまり現在よりおよそ3年前ということになる。


 ミツキだけじゃない、サンプルファイルに現れた景色にも既視感がある。私が今いる、宝星学園だ。唯一の違いは高等部ではなく中等部が舞台になっていたということ。だけどそれは大したことではない。サンプルファイルの主が宝星学園に通っていて、ミツキと面識があったことの方が引っかかる。


 これは偶然? それとも必然?


 ケンスケは私の中に擬似人格を形成させるため、膨大な量のサンプルファイルを学習させたと言った。そのデータ量を具体的にイメージするのならば、純真無垢な赤ん坊が自我を持つまでに五感を通じて周囲から取得する情報量に匹敵する。


 それだけ大量なデータの中に、今の私の状況と酷似するサンプルファイルが混じっているのは、ケンスケの意図によるものなのだろうか?


 ……違う。その可能性は低い。


 ケンスケは元々、いつでも参照できるように私の中にサンプルファイルを残しておくつもりだった。だけどそれは消えてしまった。そして、何かの拍子にこうしてランダムにファイルが再生されるようになった。


 一体何がトリガーになっているのだろう。


 私の擬似人格に「嫌気」がさしてきた。私はあらゆる問題を論理的に処理することが可能なAIを搭載しているはずなのに、自分自身については知らないことが多すぎる。


 そもそも、私は何のために作られた?


 ……ダメだ。答えのない問いに対する思考は『擬似人格プログラム』への無駄な負荷になる。


 私は思考を中断し、立ち上がって周囲の状況を確認した。


 今横になっていたのは簡易なパイプベッドで、周囲は薄い桃色のカーテンに仕切られている。どうやら保健室と呼ばれる場所に運び込まれたようだ。


「藤沢さんー? もしかして目が覚めた?」


 カーテンの向こう側からおっとりした声がする。カーテンをめくると、長い茶色の髪を緩く束ねた若い女性教師がいた。彼女はエンドウ・ヨシカ。高等部3年1組、私たちのクラスの担任だ。


 エンドウは私の顔を見て、ほっとしたような表情を浮かべた。


「ああ良かった……このまま目が覚めなかったらどうしようかと」


 そう言って彼女は保健室に常備されている体温計を取り出し、私に差し出してきた。


「あなたが意識を失っている時に体温を測ったら20度を切っていたのよ……救急車を呼ぼうかと思ったけど、ご自宅に連絡したら『必要ない』の一点張りで……念のためもう一度測ってみてくれる?」


「いいですけど……20度を切っていたなんて、見間違いじゃないですか?」


 私はそう言って体温計の検温部を握ってみせた。液晶画面に表示された温度はみるみる上昇し、36度前後で安定した。


「あら、本当ね。私、機械オンチだから使い方間違えちゃったのかもしれないわ」


 エンドウは安心した様子でにっこりと微笑み、「家まで車で送ってあげるからちょっと待ってて」と言って保健室を出て行った。


 彼女が出て行った後で、ようやく私も「安堵」を覚えた。まさか勝手に体温を調べられていたとは……危うくヒューマノイドだとバレるところだった。


 もちろん、厳密にはこれは「体温」ではない。ボディ内部で稼働する機構によって生み出される熱を体外に逃がし、内部温度上昇によるオーバーヒートを防ぐための仕組みである。これがあることで、私のボディはあたかも体温を持っているかのように装うことができる。


 ただ、もしエンドウの話が本当なら、404プログラムが稼働中の間はこの熱処理システムが上手く稼動していなかったということなのだろう。


 今回のサンプルファイルの内容とともに、今後学校内で404プログラムが作動した場合の対策についてケンスケに相談しておいたほうがいいかもしれない。


 左腕にはめたワイズウォッチを確認する。時刻は17時08分。授業の時間はとっくに終わっていた。受信メッセージは1件のみ。ケンスケからで、


『遠隔コントロールパネルからお前の状況を確認したが、特に異常はなかった。パラメータ値は以前404プログラムが稼働した時のものと一致。俺が駆けつけるまでもないだろう。目が覚めたらサンプルファイルの内容を報告するように』


 ただそれだけだった。


 ケンスケに報告しようとサンプルファイルの内容をテキストに起こしている途中、私はふとあるキーワードのところで思考を止める。


 『仮想P-SIM』。


 ロボットだけでなく、人間がそれを使う機会があるなんて初耳だった。


 私のこのワイズウォッチにも仮想P-SIMが入っている。私を作った時にケンスケが役所で発行したものだ。


 ロボットには戸籍がない。だからP-SIMが割り当てられることはなく、そのままではインターネット通信を使ったサービスの提供をすることができない。飲食店のオペレーションヒューマノイドなど、単純作業しか行わないロボットであれば通信は不要だが、サンプルファイルの中の例で出てきた通り、観光地のナビゲーションロボットなど臨機応変の応対が必要なロボットは通信を行う必要がある。そのために仮想P-SIMという仕組みが作られたのだ。


 ちなみに私は、自分の仮想P-SIMの初期化キーを知らない。おそらくケンスケが管理しているのだろう。ロボットが自力でデータを初期化してしまうリスクを防ぐため、初期化キーは管理者に渡されるのが通例だ。だから、初期化キーを必要だと感じることもなかった。


 だが、サンプルファイルのあるじは仮想P−SIMのセキリュティの弱さに憤慨していたようだ。人間の少女にとっては、自らのデータの秘匿性は重要なポイント。学習しておこう、そう思うとともに、そんな彼女の記録を覗き見してしまっていることに対する「罪悪感」が擬似人格に湧き上がった。






 しばらくして、保健室の扉が開く音がした。エンドウだろうか? 扉の方を見ると、そこにいたのはエンドウではなく、私の荷物を抱えたミツキだった。


「遠藤先生に聞いた通りだ。もうだいぶ調子が良さそうだね」


 ミツキはそう言って私の荷物を下ろす。


「わざわざ持ってこなくても良かったのに」


「いいよ、気にしないで。昼間は大騒ぎだったんだよ? 体育の授業から戻ってきたら、君が教室の真ん中で倒れているんだから」


「そう……心配かけてごめんなさい。ちょっとめまいがしただけだから」


 するとミツキはずいと私に顔を寄せてきた。


「本当? 君をここに運んだ時はずいぶん身体が冷えていたみたいだったけど」


 まっすぐに私を見つめる大きな瞳。サンプルファイルの中で出会ったミツキよりも、顔が引き締まっているように見えた。3年間で青年へと成長する中で脂肪が筋肉に変わっていったのもあるだろうが、どこか痩せたようにも見える。


「あなたは……」


 私を知っている?


 問おうとして、途中でやめた。彼が知っているとしたら私ではなくサンプルファイルの主の方だし、私が二人の出会いを知っているのもミツキからすれば怪しいことこの上ない。


「どうかした?」


「ううん、なんでもない。私の身体、重かったでしょう」


 そう言うと、ミツキは苦笑いを浮かべた。


「そんなことない……って言いたいところだけど、正直ちょっとびっくりしたよ。鋼鉄の防弾チョッキでもつけているのかと思うくらい」


「惜しいね。その推測は間違っているけど核心には近づいている」


「あはは。君ってそういう冗談を言うこともあるんだね。そうだなぁ、核心に近づいてるってことは……ひょっとして警察から潜入捜査のために送り込まれた特殊部隊員だったりして?」


 ミツキは不意にまじめな顔つきでそう言った。


 もしかして……知られている?


 ミツキの顔を表情認識プログラムにかけてみる。これは冗談なのか、それとも本気で言っているのか。本気だとしたら、どう応答する?


 だが、認識結果が出るより先にミツキはくしゃっと破顔して言った。


「ああごめん、気を悪くした? 僕、父さんの影響で警察モノの小説とかドラマが好きでさ。ついついそういうこと考えちゃうんだ」


「お父さん?」


「うん。元警察官でね。今はもう……いないけど」


 そう言うミツキの表情は穏やかではあったが、以前見たような暗い表情の影がちらついているように見えた。悪いことをした。彼の父親のことなど、以前見た宝星学園の生徒データから参照すればすぐに分かることだった。だが、直接聞きたいと思ってしまった。擬似人格が、そうしたがったから。






「先生、僕は別に、自分で帰れるから乗せてくれなくても良かったのに」


「いいのいいのー。藤沢さんを運んでくれたお礼も兼ねてよ。方向もそんなに変わらないしね」


 運転席のエンドウはそう言って、後部座席の私たちに向かってひらひらと片手を振った。


 彼女の車は、丸みを帯びたボディに薄ピンク色のデザインの軽自動車で、いまどき珍しい自動運転型の車だった。


 ちなみに私は以前ヨシハラの車に乗せてもらったこともあるのだが、彼は最新の自動運転機能を搭載したスポーツカーに乗っていて、ケンスケが「税金の無駄遣いだ」と妬んでいたのを思い出す。


「ボロくってごめんなさいねー。ほら、今新車を買うとどれも自動運転のやつでしょー? 私、新しい機械ってどうも苦手で……これはわざわざ中古で探し回ったのよー。先生たちの間じゃ天然記念物扱いされて、失礼しちゃうわよねぇ」


 するとミツキはけらけらと笑って言った。


「自動運転車の方がよっぽど運転は簡単らしいですよ。安全面も、出始めの頃に比べたらだいぶシステムが改良されたって話だし」


「でも機械に運転を任せるのって不安じゃない?」


「大丈夫ですって。法律上、自動運転でもハンドルから手を離しちゃいけないことになっているんです。危ない時は手動で操作すればいいんですよ」


「ええー……それじゃ結局自分で運転するのと変わらないでしょ?」


 ミツキとエンドウが楽しげに会話しているのを私は黙って横で聞いていた。ミツキが生徒だけでなく教師に慕われているのは知っていたが、こうして直接話している様子を見てみるとわずかな違和感があった。エンドウにとってのミツキは、クラスの中での優等生というよりも、彼女にとって頼りになる存在だと認識されているようだった。教師・生徒という立場の違いを感じさせない、むしろエンドウの方がミツキに対して敬意を持っているかのような話し方をするのだ。


「そういえば三葵くん、ちょっと相談があるんだけど」


 エンドウは長い髪を耳にかけ、ルームミラー越しに上目遣いでミツキの方に視線を向ける。


「いいですよ。なんでしょうか」


 ミツキはすぐに快諾した。その応答の早さは、このやりとりが日常的に起こっているものだと証明しているかのようだった。


「あのね、成瀬さんがまだ進路希望調査票を出していないの。昨日が締め切りだったんだけど……理由分かる?」


 ナルセというのは同じクラスの女子生徒のことだ。


 高等部3年1組はほとんどの生徒が中等部の頃からの顔見知りなので、グループごとに仲の良い・悪いがはっきり分かれている。


 外見・振る舞い共にいかにもセレブらしい子たちのグループ、一見普通の家庭の育ちのように見えるが持っている小物や話題に上流階級らしさが漂うグループ、そしていつも肩身が狭そうに少数で集まっている、おそらくかなり無理をして入学した中流階級の子どもたちのグループ。


 生徒たちは同じ教室の中にいながら、お互い別の世界に住んでいるかのように触れあおうとしない。最初は妙によそよそしく感じたが、それが彼らなりの平和の保ち方なのだということを私は次第に学習した。


 だが、ナルセは少し違う。彼女は背伸びしてセレブグループの中に一人混ざろうとしている中流階級の娘だ。グループの仲は良さそうだが、時折同じグループの他の生徒と会話が噛み合っていないのを見かける。


「ああ、そういえば親ともめてるって聞きましたよ。本人は私立に行きたいんだけど、親に反対されてるって」


 ミツキが答えると、エンドウはうーんと首を横にひねった。


「そうなのねぇ……。なんでそこまで私立にこだわるのかしら? 成瀬さんの成績なら国立も目指せるのに」


 エンドウは本当に知らないのか?


 クラスに入って1ヶ月も経っていない私でも理解できる。ナルセは同じグループの子たちと同じ私立に行きたがっているのだ。担任として普段生徒たちの様子をしっかり見ていれば、それくらい分かっても良さそうなものだった。


「成瀬には僕から伝えておきますよ。仮でもいいから提出するようにって。そうじゃないと先生困るでしょ?」


 ミツキの言葉に、エンドウはぱぁっと顔を輝かせる。


「助かるわー。実は今週中にまとめて進路指導室に渡さないといけなくって。ほら、箕面みのお先生ってちょっと怖いじゃない? あまり目をつけられるようなことしたくないのよ」


「まぁ……気持ちはわかりますけど」


 ミツキは苦笑いを浮かべて言った。


 ミノオは進路指導担当で、社会科の教師。口数少なく堅物な印象を受ける男だ。以前閲覧した教師データによると年齢は38歳だが、彼の仕草・姿勢・容姿の印象は40代後半と言われても違和感はない。数回授業を受けたが、彼は基本的に生徒を当てることはなくただ一方的に教科書通りの講義をしていて、器用な生徒たちは彼の授業中は別の科目の課題をやるか睡眠をとっている。


「ついつい頼っちゃって悪いわねぇ。三葵くん、私たちよりも全然、みんなのことに詳しいから」


「そんなことないですよ。ただ付き合いが長いってだけで」


 謙遜するように言うが、確かにミツキの人脈の広さは異常だ。同じクラスの中だけじゃなく、他クラスや中等部の後輩たちと会話しているのを見かけたこともある。


 エンドウがミツキを頼るのも、それが一番効率的だからだろう。教師としてのプライドを捨て、やるべき業務を遂行するために人脈の広い生徒を利用する。そう考えれば、合理的な行為だ。


 なら、私はどうだろう。


 〈バスティーユの象〉の犯行予告まで残り1週間。手段を選んでいる猶予はない。自分が有能なAIだと過信していなかったか? いや、それが事実だとしても、一人で問題を解けないのならば、そろそろ負けを認めて次の手段を取らなければいけないはずだ。


 学習しよう。


 人に頼るということを。


「……ミツキ、私も一つ相談してもいい?」



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